かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

新刊書は自我のため、古書は知性のためにある

2008年08月23日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
「新刊は著者主体で促進される国内の経済であるのに対して、古書は主題別に推し進められる世界の経済なんだ。新刊書は自我のためにあり、古書は知性のためにあると言い換えてもいいね。」

本を語る表現で、久しぶりにガツン!とくる言葉に出会いました。
業界紙「新文化」2008年8月21日号に出ていたイギリスの古書の村「ヘイ」の王様が語る頑固で崇高な理念の記事です。


英国中西部のウェールズ地方の極めて交通の便の悪い場所に、今や世界的に知られる約30件の古本屋が密集するところがある。本紙の取材の相手は、この村を世界的に知らしめた立役者リチャード・ブース氏。

ヘイを真似した古書村は、今では全世界に15もあるといいます。
古書の村では日本にも只見村の例がありますが、それとはちょっと性格が違います。

書店業界、出版業界の市場縮小にともない、古書の販売を併設する書店も増えていますが、新刊書と古書の市場の違いについて、この方は流通上の違いだけではなく、商品のもつ性格の違いをとても深くとらえています。

私は、自分の店で一部、古書も取り扱っているのですが、見かけの粗利の良さや、二次流通市場の広がりだけから、新刊書店が古書販売に参入してはいけないと思っています。
古書は古書のきちんとした管理が出来ないと、新刊書以上に死んだ棚をつくる原因になるからです。
それでは、どのような棲み分けが求められるのか、といった問いにブース氏は的確に応えています。

「新刊書は国内の経済、古書は世界の経済」といった表現は、ブース氏のビジネスモデルの成功体験からきているものですが、この国内、世界という表現は、ローカルか、グローバルかといったニュアンスだけでとらえてはいけないと思う。
それよりは、「古書は主題別に推し進められる世界」といった表現のほうが大事だ。

もちろん、規模の経済のなかでは、ブックオフのようなモデルは間違っているわけではない。また新刊書のデータを見せながら、圧倒的多数を様々な古書店や個人が出品する古書データの販売で稼いでいるamazonも、ひとつの理想のモデルであることに異論はない。

しかし、規模の経済のビジネスモデルの枠のなかでは、売り手が知識や情報に攻め込むことはない。
顧客・読者が勝手に大量の在庫情報のなかから見つけてくれることこそが大事だからだ。

ここが私にとっては一番大事なポイントだと感じました。

ブース氏は、「私たちは、貧しい経済によって動いている」という。
だが、同時にそれは世界を相手にしている。
古本の村は、ともすれば地域内の小さな読者から始まると思われがつだが、それは間違いだと言う。全世界のマーケットを相手にしてこそ初めて可能になるのだと。

ここに「主題別に推し進める」ことと、「古書は知性のためにある」ということ、「全世界の顧客のメーリングリストこそが財産」という所以がある。
古書をおいているビジネス、古書を大量に扱っているビジネスではない。これは攻めの情報ビジネスだということだ。


ここに最近わたしがずっとキーワードとして追い続けている問題を、大きく後押ししてくれるものを感じます。

・書店は「版元の代理人」であることから速やかに脱却し、「顧客の代理人」にならなければならない

・書店に必要なのは「配本」ではない!「仕入れ」だ!



ブース氏はさらにこういう。
ラテン語の諺で「最良のものが腐敗すると最悪と化す」というのを知ってるかい?
これはBBCのことだよ。
BBCは私のヘイでの活動を批判し破壊しようとした。なぜなら私は彼等とグルだった政治家にとって驚異だったからだ。でも私が相手にしているのは全世界のマーケットであり、世界的な古書の売買をしている。


現状のマス市場やメジャーな世論とは徹底的に闘い、ニッチのテーマでゲリラ的に攻め続ける世界文化の問題だ。行動はゲリラ的でありながら、その思想は常にグローバルであるということだ。

なんてことを田舎の小さな書店で叫んでも通じないだろうけど、この記事を見て、とても心強い味方を発見した満足感でいっぱいです。


私個人は8、9割を古書で購入していながら、新刊書店の仕事をしていることの矛盾も、これでだいぶ整理することができそうです。
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