英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

韓国人と日本人の国民性の違いはどこにあるのか     英紙のBTS批判について思う

2018年11月13日 09時50分22秒 | 国民性
 世界的に人気を集めている男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」が原爆投下Tシャツやナチスの帽子を堂々と着用し、日本の被爆者団体や反ナチ監視団体などから批判の声が上がっている。また英国のリベラル系全国紙で主要紙の「ガーディアン」が11月12日付の記事で「BTSは日本とユダヤ人被害者に謝るべきだ」と述べた。これに対し韓国人や、他国のBTSファンから同紙に批判が殺到し、韓国政府も閣議でBTSに文化勲章を授与することを決めた。
 ユダヤ人大量虐殺の記録保存や反ユダヤ主義を監視するサイモン・ヴィーゼンタールセンターの米・ロサンゼルス支部の副部長アブラハム・クーパー氏は声明を発表し、それを「ガーディアン」が引用。クーパー氏は「過去を茶化し軽視している」と批判し「原爆犠牲者や被爆者をあざ笑うかのようなティーシャツを日本で着たのは、BTSが過去を軽蔑する直近の出来事である」と話した。
 またクーパー氏は2015年初めにBTSが発売した写真集に言及し、「BTSは、ユダヤ人の大量虐殺を実行したナチスの秘密警察SSを模した帽子をかぶった」と指摘、ベルリンのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)記念館でのコンサートでもナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)に似た旗を振ったと語った。そして「国連でのスピーチに招待されたこのグループは日本の人びととユダヤ人犠牲者に謝罪しなければならない」と結んでいる。
 これに対して韓国人はネットで「ガーディアン」を批判する。「ガーディアンはフェイク(虚偽)の情報に基づいて発表したのは確かであり、仕事をちゃんとしていない」「ガーディアンは知っているのか。われわれは1910年から45年まで日本の植民地となり塗炭の苦しみを味わった」「ガーディアンはこの数カ月嘘でたらめを並び立てている」
 また韓国政府は火中の栗を拾うことを知っているのか、それとも世界の動きなど眼中になく自らの路をまっしぐらに進んでいるのかどうかは定かではないが、BTSグループに文化勲章を授与することを発表。李洛淵首相は閣議で「外国の多くの若者が韓国語の歌詞で(BTSの曲を)歌うなど韓流を広めただけでなく、ハングルを広めることにも寄与してくれた」と評価した。
 韓国人のガーディアン紙やクーパー氏に対する批判に怒り心頭になった日本人はツイッターで「韓国文在寅政権は、まるで何かに憑かれたように、絶妙のタイミングでものすごい決定をする。韓国政府、異例の決定は解ったから、何かお祓いでもした方がいいのでは?」「わかった。それが韓国政府の見解やな。韓国政府がBTSに勲章を授与することを決めたというニュースを見てショックを受けました。間違えたメッセージを世界中に送ることだと思います。韓国政府はナチスの被害者の方達がどう感じるかを考えるべきです」「韓国は……5歳児か。いやちょっと…引いた。原爆シャツ+ナチコスで日本にハネられた意趣返しがコレか…。日本人はがっちり『ナチコス+原爆シャツ=文化勲章=韓国』と言う公式を全世界に喧伝しよう」

● 「恨」と「小中華」思想に支配されてきた韓国・朝鮮民族
 この日韓の若者らの180度違った発言から見えてくるのは何だろうか。
 洋の東西を問わず人間は感情的で情緒的だ。しかし欧米人に比べ、日本人や韓国人(アジア・アフリカの人びとも)は、程度の差こそあれ、この傾向が欧米人より強い。平均的な日韓両国民は論理、分析、合理思考力が弱い。これらの上に立って物事を判断しない傾向がある。そして日韓両国民は「美」を感知する感覚的な国民だ。「情緒的」だともいえる。西洋人の基盤になっている西洋科学思想から生まれる合理主義者ではない。ただ韓国人の考えの基には日本人にはまったくない「恨」がある。
 私は「恨」の概念を十分に理解してはいないが、韓国人の心には「自らが望むかくあるべき」という概念があるという。これは「法律」を超越する概念だ。「かくあるべき」だということが達成できないと、「嫉妬や羨望、恨み、悲しみ、怒りなど様々な感情」を内包し、諦めと同時に終わりの無い感情になるという。「羨望や恨み」はコンプレックスであり、それをバネにして困難を克服する力にもなる。
 「漢江の奇跡」と言われる韓国の経済発展の大きな原因の一つは、日本のかつての植民地への贖罪意識による経済・財政支援だった。冷静な目で見れば、それは客観的な事実なのだが、「韓国の経済発展は日本の経済支援のおかげ」というと、韓国人は「恨」からわき出てきた「努力」「奮闘」を否定されたと考えるのだ。自らの努力を否定されたと思い込むのだ。
  また、韓国人の日本人に対する潜在的な優越意識も日韓関係を複雑にしているようだ。彼らは自らを「中華圏」に属するという伝統的な優越意識がある。日本は中華冊封圏(属国)の外にある。日本人は中国の歴代皇帝の帝朝に朝貢し、支配されたことは一度としてない。13世紀後半、元(中国を支配したモンゴル帝朝)のフビライ皇帝が2度、日本を侵略しようと博多(福岡)に来襲したとき、鎌倉武士は勇敢に戦い、台風の援護もあって撃退した。
 これに対して、朝鮮半島(韓国と北朝鮮)はどうか。13~14世紀の高麗のように、勇敢に中国(元)と戦った王朝があったが、1392年に成立した李氏朝鮮は1910年に日本に併合されるまで、中国の明、清の朝貢国(属国)となり、中国に認められることで独立を保った。
  中国の明、清王朝はベトナム、チベット、ビルマ(現在のミャンマー)、シャム(現在のタイ)などをも朝貢国にしたが、ビルマのように10年に一度、中国へ朝貢使節を送ればよい国もあれば、李氏朝鮮のように1年に1度(ひどいときは1年に4回のときもあった)朝貢使節を送る王朝もあった。中国の歴代の皇帝は属国との力関係で朝貢の回数を決めたという。
  李氏朝鮮(1392~1910)はそれを恥じるどころか、自らを中華圏に属する文明人だと自負し、日本人は中華圏の外にいる「蛮族」だとさげすんだ。そして中国で、漢民族の「明帝国」が1644年、李自成の乱により滅ぼされ、異民族(満州族)の清帝国が成立すると、李氏朝鮮は自らを「正当な中華(漢族の明帝国)の後継者」だと考えるに至った。この理念は、潜在意識の中にあろうがなかろうが、脈々として今日まで韓国・北朝鮮人に受け継がれているという。「小中華」思想が韓国・北朝鮮人の中に現在も脈打っていると分析する朝鮮半島の専門家は多い。
 読者は21世紀にもなって「何が中華圏だ」というかもしれないが、それは長い伝統に根ざしている。自己の優越性や正当性の証明手段として「他者の劣等性を指摘すること」を何よりも重要とする価値観を韓国・朝鮮人は持っている。だから「恨」と「小中華思想」が背景にあると、「いかにして相手の劣等性を指摘して引き摺り下ろすか」が不満の解消行動となる。
 他民族や他国の人々が韓国の問題点を指摘すると、問題を指摘した側の問題を指摘し返して、その事だけにしか目が向かなくなる。「相手も同じだ、どっちもどっちだ」と強引に、非合理に相対化して問題点を打ち消そうとする行動をとる傾向が強い。これも広い意味では「恨」の根ざした不満解消行動の一種なんだろう。
  自身の劣等性が指摘されたと考えるので、そこに恨を感じて「自分が上に登れないなら相手を自分と同じ位置かそれよりも下に引き摺り下ろそう」という発想になる。
  元徴用工問題や日本政府による対韓輸出規制強化からわき出ている文政権や韓国メディアの「恨」や「小中華思想」の典型的な例は「放射能カード」だ。福島など8県産の水産物の輸入禁止措置を続けている文政権が、福島第1原発の事故の汚染水処理を日本政府に持ち出し、「汚染水処理の結果が両国民の健康と安全、さらに海でつながる国全体に与える影響を非常に重く認識している」「国際社会にも計画や対策をより透明で具体的に説明するように」と「命令口調」で伝えている。また韓国メディアも執拗に国内に「汚染水問題」を報道している。
 韓国政府やメディアは「他者の劣等性」や「弱み」を指摘して自らの不満を解消し、中華圏外の”蛮族”日本への優越感に浸り、「被害を受けている」と文句を言っているかのようだ。これは明らかに「恨」に由来する。
 一方、日本人は不満解消行動の一種である「恨」を抱く韓国人に対して「言いがかり」を受けたと怒るだろう。「放射能カード」と対韓輸出規制強化とは別次元の問題で、関係ないではないか、と多くの日本人は怒り心頭になるだろう。
 日本人と韓国人は感覚的で情緒的な感情は同じだが、日本人には「恨」はない。たぶん、700年もの間、日本社会を支配した武士階級の精神が根付いていると思われる。中国を範にした貴族を倒した武士は、13世紀前半の「御成敗式目(貞永式目)」から江戸時代にかけて「法秩序」を敷いた。それが支配者本位の「法」ではあったが、武士階級は「喧嘩両成敗」などの「法」に基づいた社会を築き上げていった。また、堂々と戦う、卑怯な戦い方をしない、フェアー精神などは、武士によって育まれていったと思われる。それが、日本人の情緒や感情一辺倒を押さえ、明治以降の西洋合理主義精神の流入とともに、それが日本人に受け入れられていったのではないだろうか。たとえ消化できなくても、受け入れられていった。
   だからこそ、日本人は、朱子学から来る「自らを絶対善」と信じて疑わない韓国人よりもまだ冷静で観察的な眼識はあると筆者は感じる。BTSを擁護している韓国人はクーパー氏の提起と「ガーディアン」のBTSへの批判を、「恨」を土台にしながら日本の植民地や慰安婦、旧徴用工問題と結びつけ、感情に任せていることが十分にわかる。この二つの問題の本質は違う。
 植民地問題と被爆者問題を関連させれば、日本の植民地政策は「悪」だから、広島・長崎の被爆者は当然の報いを受けたと言うことになる。原爆の非人間性を無視したことになる。歴史の現在と過去の違いをも無視することになる。韓国の若者や人びとが、「恨」感情に縛られ、歴史が織りなす複雑な彩りを理解しようとしないのなら、自己中心的な「5歳児」のものの見方だと感じる。

  ●西洋の合理精神と武士道・騎士道
 「ガーディアン」やクーパー氏はBTSグループの姿勢を批判しているが、日本の対韓国・朝鮮植民地への考え方を吐露していない。あくまでこの問題に限っての発言である。日本の植民地問題を切り離した冷静沈着で観察眼に富んだ客観的な発言である。
 また英国紙は英国人の冷徹な事実優先主義と欧州人の「合理主義的」なものの見方を貫いている。しかし「恨」の感情や観念のみに支配されている人びとにとっては不条理で主観的だと考えるのだろう。この問題は歴史に育まれた日韓の国民性を如実に表している。自分の窓と敵対する相手の窓の両方から事実に基づいて観察してこそ、過去に対するより公平で客観的な判断ができる。韓国人の多くはそれができないのだろうか。
  韓国人は自己主張が激しい。それは悪いことではない。ただ、政敵や敵対する民族へのいたわりも必要だ。それがあってはじめて政敵を公平に扱い「敵ながらあっぱれ」という言葉が出てくる。
日本の戦国時代、徳川家康は真田幸村にさんざんにやられ命を落としそうになりながら、彼の武勇を褒め称えた。また英国史を紐解くと、ナチ党とナチス・ドイツを人一倍憎んだウィンストン・チャーチルはナチスドイツの知将アルビン・ロンメル元帥が国際法を遵守し、知略の限りを尽くして北アフリカの英軍に善戦したことを英国議会で絶賛した。この賞賛はそれぞれ「武士道」や「騎士道」からくるものだろう。
 これに対して、韓国人は水の中で溺れそうになっている政敵や憎むべき相手をさらに棒で叩く、と中韓の知識人は歴史を紐解いて解説する。あまりにも敵への「恨」が強く、自己中心的な感情になるのだろう。

  ● 韓国社会を縛ってきた朱子学は近代国家の概念を否定
  もう一つ韓国人(北朝鮮人を含む)のものの見方や思想に特徴的なことを述べたい。それは、600年以上にわたって朝鮮半島国家(韓国と北朝鮮)をがんじがらめに縛ってきた儒教だ。「こうあるべきだ」と最初から決めてかかり、事実を見ず、論理的な思考方法に乏しい平均的な朝鮮半島の大衆には儒教は打って付けの学問なのかもしれない。
  孔子が唱えた儒教の流れから11世紀頃に中国で生まれた朱子学に目を向けたい。中国の朱子学は李氏朝鮮の時代に、支配者階級の両班によって朝鮮社会に不動の地位を得た。朱子学が支配者を正当化したからだ。
  それは、西洋が1648年のウェストファリア条約以来、育んできた「国家(State)」の概念を否定している。紀元前、中国の孔子が唱えた儒教は形骸化し、権力者を擁護する朱子学へと変貌し、繰り返すが、それは権力者を正当化し、絶対化する。
   朱子学の精神は、王朝や国王が変わればすべてが変わり、前の王朝や国王ないしは側近の政治を否定する。少なくとも、1492年に李成桂により開かれた「李氏朝鮮」から受け継がれている。1910年に日本に併合されるまでの約400年間続いた。その間、日本では室町、戦国、安土桃山、徳川、明治と5時代が交代した。この李氏朝鮮400年の時代をひとくくりで要約すれば、腐敗と国王側近や親族の権力独占、凄惨な権力闘争に伴う容赦ない殺戮だった。国王が代わりたびごとに、前国王の側近や国王の親族は毒殺される凄惨な歴史だ。日本史には徳川幕府でも室町、鎌倉幕府でもこんな凄惨な事件は数えるほどしかない。
 儒教という「窓」から朝鮮半島の歴史を観察すれば、1945年に日本から独立してから現在に至っても、政権が変われば、新しい政権は前政権をすべて否定する。初代大統領の李承晩から前大統領の朴槿恵氏まで、ほぼすべての大統領が亡命、暗殺、自殺、そして何らかの罪で法廷に引きずり出され、徹底的にたたかれる。もちろん歴代大統領自身やその親族が権勢を利用して不正蓄財をしたことは事実なのだが・・・。つまり罪にあった罰を受けず、過酷な状況に置かれるのだ。朝鮮半島の北半分を支配する北朝鮮の最高権力者は、李氏朝鮮と同様、世襲の独裁者(国王に同じ)が君臨してきた。
   朝鮮半島では、日本の植民地時代を除いて、王朝の国王や1945年以降の共和国の大統領が絶対的最高権力を保有し、その上に君臨する国家(近代国家と言い換えることもできる)が実質的にない。最高権力者の上に国家や法律があれば、政権が変わろうとも、国家は継続する。具体的にいえば、政権によって結ばれた国家間の条約は、政権が変わろうが、国家が引き継いでいく。
  しかし、韓国の元慰安婦のために日韓両政府が設立した基金にしても、これにかかわった朴槿恵前政権から文在寅現政権になると、いとも簡単に破棄する。1965年当時の政府(朴正煕政権)が結んだ日韓請求権協定で、元韓国人徴用工の賠償は韓国政府が責任を持った。日韓両政府は日本がこれを国家賠償の中に含むことに合意した。しかし、文現政府はいとも簡単にちゃぶ台をひっくり返した。これらの例は、韓国には「近代国家の概念」が存在しないことを図らずも証明した。
なぜ、新しく誕生した政権は前政権を全否定するのか?それは儒教に由来する天命思想と易姓革命だ。天が支配者が腐敗して支配者能力を失うと断じれば、新しい支配者を据える。天が支配者が人民の支持を失えば、人民に支持された新しい支配者を遣わす。徳を備えた新しい支配者は、天の差配により、腐敗した前の支配者を倒し、すべてを否定する。そこには法が入り込む余地はない。儒教に支配された朝鮮半島の人々は今日まで、意識するしないにかかわらず、儒教の絶対善に基づく自己正当化と他者絶対悪という伝統的なものの見方を持っていると思われる。
  中国人から日本人になった評論家の石平氏は「韓国と関わるな」とツイッターで主張している。石平氏の発言の多くは賛成しかねるところが多いが、この発言については即座には否定できない。心情的には関わらないことが一番の良策だろうが、通信革命が進行している現代では、韓国との鎖国は非現実的。そうは言っても価値観が全く違うやっかいな隣人だということを認めざるを得ない。
 日韓国民の真の和解は永遠にないのだろうか。日韓の歴史や文化があまりにも違う。国民性は全くといってよいほど違う。ものの考え方も違う。韓国人が政敵に対して寛容の精神(チャーチルがよく生前話したこと)を育まなければ、日本人が韓国人の態度や姿勢に寄り添うだけでは日韓が抱えている困難な問題を解決できない、このままでは永遠の溝が鉄路のようにどこまでも平行して続く。

  ●日本人は過去を忘れやすく、全体の一部を全体と思い込みやすい
 私は「恨」の観念を抱く韓国人のものの見方や国民性を批判したが、日本人にも問題がある。韓国人(や中国人)の多くは歴史を自分の都合の良いように歪曲するようだが、日本人は過去を忘れる傾向がある。言い換えれば、水に流す。「武士の情け」という情緒的な寛容さである。歴史を学ばない点では日本人、韓国人(そして中国人)は同じだ。歴史を学ばなければ、現在と将来において、何かを決断するとき、その一助は体験だけと言うことになる。
 「日本国紀」に関わった右派の知識人の百田尚樹氏にしてもジャーナリストの有本香氏にしても日本の歴史を自ら好きなように解釈し、素朴な日本人大衆を嫌韓に向けて煽っている。振り子のように大きくぶれる日本人の国民性もある。
  1980年代、元朝日新聞の本多勝一氏ら左派の言論に心酔した日本人は今や右へと大きく舵を切っている。そこには30年前と同様、冷徹な観察眼や判断がない。
 百田氏や有本氏は1950年代半ばから60年代前半に生まれ、戦争を知らない世代だ。親も戦場へ行った世代ではないだろう。日本の歴史をことさら美化し、現在の体験から生じる感情を吹き出している。
 体験でしか過去を学ばなければ、世代ごとに過去は分断される。ひとつの世代の人びとが死に絶えれば、後の世代の人びとは死に絶えた世代から何も学ばないことになる。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と19世紀のドイツ帝国の「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクは語っているではないか。
 日本帝国陸軍は、有史以来最も悲惨を極め、初めて市民(銃後)を巻き込んだ第1次世界大戦に参戦しなかった。欧州を舞台とした初の総力戦を日本陸軍は体験しなかった。またその歴史を研究した軍人指導者はごくわずかだったという。
 太平洋戦争を指導した東条英機陸軍大将ら陸軍軍人指導者の99%は悲惨な日露戦争を知らない。日本陸軍将兵の屍で埋め尽くされた日露戦争の激戦地「203高地」の戦いに参加していない。太平洋戦争の陸軍指導者の大多数は日露戦争直後に陸軍士官学校に入学した。「歴史に学ばないこと」も悲惨な太平洋戦争を始めた一因かもしれない。

 ● 日韓の支配者と両国民は対立概念で分析し判断を
 21世紀に入り、太平洋戦争を体験しない世代が日本の全人口の大半を占める。あまりにも「恨み」が強い韓国人の「理不尽とも思える」厳しい対日姿勢、中世から近世の封建的な専制君主政治と核・ミサイルを保有する北朝鮮、共産党の一党独裁体制を敷く中国の台頭や強権政府を持つロシアがわれわれの前に立ちはだかる。
 われわれは感情的にならず、客観的な姿勢で過去を学び、「自分の窓」と「相手の窓」から物事に対峙しなければならない。BTS問題のプリズムを通して見た韓国人(や中国人やロシア人)にもそうあってほしいと願う。
  日本人も韓国人も前方だけを見て自分だけが正しいと考え、過去を「白黒」でしか判断しない「ものの見方」になってはならない。感情や情緒を優先して主観的な歴史をつくり上げてはならない。歴史を「正しい」「反省」「間違い」などと、最初から二面構造に基づいて分析するのではなく、できるだけ客観的な事実(史料)に基づき「対立概念」で、論理的な、分析的な思考力を駆使して真実を見いだす努力をしてほしい。人間がつくりあげる過去は複雑そのものであるのだから。英国で半世紀前に「保守とは何か」「データを駆使して論理的、分析的な思考」を学んだ私はそう思う。

(注意)2019年7月24日と8月25日に加筆しました。

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