本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

何か大事な忘れ物をしている

2021-01-03 16:01:29 | 十地経

なんだか、忙しい、忙しいで

1年あっという間に過ぎて

しまいましたが、

ふと静かになって考えてみると

何か大事なものを忘れている

ような気がします。

 

忙しいという字も

忘れるという字も

どちらも心を亡ぼすという

字から成り立っています

心が横に付けば、「忙しい」

下に付けば、「忘れる」

どちらも自分を誤魔化すようで

好きな字ではありません

極力、使わないように

しています。

 

「何かと忙しくしていまして

 すいません」

と書いてしまいがちですが

弘法大師でしたか

「もろもろの仏事が重なり」

というような表現を

しておられたようです。

 

師匠の三浦先生からも

「仏教の罪は忘れること、

 不安という罰を与えられる」

ということを聞いています。

 

憶念不忘ということがあって

やはり仏教では

「忘れる」ということは

一番いけないことです。

常に心に深く念じて忘れない

ところが

言い訳ではないのですが

日々2万個の脳細胞が壊れてる

といいます

時には昨日の夕食さえ

何を食べたか思い出せないことが

ある始末です。

まだしも救いなのは

食べたこと自体を忘れていない

ということです。

 

講義の中で

「宗教心というものは

世界から見ればですね、

細い糸、

あるいは見えんかも知れん

しかし細い糸でも、

全然見えんのなら、

ないものですけど、

細い糸のようにあるもんじゃ

ないかね、宗教心というものは。

つまり、

何か気にかかるんです。

忙しくばたばた働いとるけど

何か一番大事なものを

忘れとるんじゃなかろうか

という不安があるんです、

人間には。

 

だから考えてみると、

忙しゅう … 。

それは本能でしょうや。

何か大事なものを

忘れとるんじゃないかという

ことは本能や。

宗教的な本能や。

これはいかに理屈でも

ごまかせんのや。

一応、理屈つけてみても

本能は聞かんわね。

だから聞かんからごまかそうと

するわけですわ。

なかなか我々は忙しいんだ

そんなこと考えている暇はない

まあ、これが済んでからやる

といってですね。

その忙しくするということで

その偽れん自己を偽るわけです」

 

と述べられておられます。

今の私にぴったりの言葉のようで

身に沁みたのですが

 

「いかにして自己を忘れるかと

いうことにかかり果てとるんだ

それはその細い糸のような線が

生きとることや」

 

と続くのですが

忘れようとするけど

何か心の底で気になる

それが細い線でしょう。

しかし、

ごまかしているうちに

スポーツとか音楽とか旅行とか

言っているうちに

命の時間も迫ってきている

のですが、

妙なもので

忙しいといって一日終わる

その方が何か落ち着く

でも、気にかかる

何だかその繰り返しのようですが

 

「眺めとる間は細い糸だけど

その糸に立ったら

糸が大地になるわけや。

するとそこに

見出された歓喜地がですね

見出した人間をですね、

菩薩にするんですよ。

位が変わるんだ。

凡夫が菩薩になるわけです

菩薩に即位させるわけや。

そうすると

人が生まれてくるでしょう。

初めて人が生まれてくる。

それまで人はおらんじゃないかね

目や鼻があるというのが

人じゃないですから。」

 

と続いていくのです。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 純粋感情の世界 | トップ | 丑年にちなんで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事