本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人間は人間では分からない!?

2019-01-09 16:03:17 | 住職の活動日記

最近はAIの進歩はすごいもので

次第に人間の仕事が奪われるとか

いうことも話題です

将棋の世界では人間がAIに負ける

ということも起きています

自動車の運転もAIが行う

こちらから、話すことを理解して

音楽を鳴らしたりエアコンの

調節をしたりという車も

発売されたようです

 

身近な所では

我が家のアイロボット「ルンバ君」

少しだけAIがあるのでしょうか

時間になると動き出したり

留守の時は掃除をしてくれたりと

活躍していますが

見ていると、

むだな動きも多く行きつ戻りつ

同じ所を何回も行ったりと

これにAIが組み込まれると

部屋の大きさ、

物の置いてある場所を認識して

もっと短時間に出来るように

なるでしょう

 

そいうことがあると

やはり、人間とは?という問題が

クローズアップされてきます

人間のすることをすべて出来る

ということになると

人間との違いは

では、人間とはなにかという

ことが問われてきます

 

お釈迦さまは人間の存在を

苦の存在として捉えられました

「人生楽ありゃ苦もあるさ 

という歌もありましたが

そうではなく、

一切は苦であると

年をとっていく、老い

病気をする

今では二人に一人は癌と

身近な所でも耳にします

死という問題

愛する人とも必ず別れが来る

嫌な人とも一緒にいなければ

いけないという

また欲しいものは手に入らない

身体と心がバラバラで

思うようにならないという

というような苦しみがあります

 

ところが先日のテレビ

受験生のインタビューで

みな一応に

「自分との闘い」

とおっしゃっています

よく考えれば不思議なもので

自分の中に

勝つ自分と負ける自分がいる

つまり、

自分の欲望には打ち勝って

そして、目的を叶える自分が

いるということでしょう

 

ここに、

人間が自分の都合のいい頭で

考えても、解決できない

ということが起こってきます

自分の我がままを対治する

ということは

自分の中に自分を打ち負かす

自分がいるということです

 

仏教ではこういう心に

「発」(ほつ)

という字を使います。

この字も(はつ)と読めば

普通の発射するとか

もとは弓を射る「ハッ」という

音かららしいのですが

仏教でいう場合は

発菩提心とか発心(ほっしん)

発意(ほつい)というように

(ほつ)と読むようです

 

この言葉は

自分の中にあるのですが

自分を打ち破って出てくる

というような意味を含んでいます

そういう心だからこそ、あえて

起るという字を使わずに「発」

発る(おこる)と読ませたんです

 

自分を破るというと

普通に他からの力を借りて

ということになるのですが

自分との闘い、

と覚悟したときには

他からの力ではなく

自分自身にある心と決めたのです

自分では

分からないかもしれませんが

そういう心が沸き起こってくる

 

ですから、

人間は自分でいくら考えても

自分ということは分からい

ということです

自分を超えたものによってのみ

自分を本当に理解することができる

ということがあると思います

 

普通に

人間のことを考えると

欲の深い人間とかこすいとか

そういうことが出てきますが

それは自分の迷った心で

考えただけで、

迷った人間の目からは

人間とはそういうものしかありません

ですから、

人間が何であるかということは

人間にはわからないのです

 

私たちはなぜ迷うのか

それは

迷いを迷いと分からないからです

迷いが見つかった

自分との闘い、と分かった時

何に迷っていたかが分かる

ということです

 

自分では自分はわからない

自分の中にある

自分を超えたものによってのみ

自分が分かると

いえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 到達点からの出発 | トップ | 醪音(もろみね) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

住職の活動日記」カテゴリの最新記事