本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

喫茶喫飯(きっさ・きっぱん)

2024-02-27 20:13:30 | 十地経

安田先生はお茶・コーヒー

は特にお好みのようでした

本当にゆっくりと

味わうように飲んで

おられたました

 

炭を熾し茶釜でお湯を

沸かし

お抹茶、煎茶を準備し

お菓子はこちらでは

「御座候」といい

普通には回転焼きが

いつものお好みでした

 

お見えになると

まずお抹茶を出し

その間にお湯を冷まし

お煎茶の準備です

この間先生は一言も

言葉を発せられないので

無言の時間が

とても長く感じたものです

 

「喫茶」という言葉も

喫茶店ということが

一般的ですが、仏教でも

特に禅宗でこの言葉

「喫茶・喫飯」

ということを言うようです

 

「喫」という一字で

食べるという意味と飲む

という意味があります

面白いのは

「喫茶」という言葉には

結納という意味があります

茶の実はいったん植えると

移植ができないので

それにたとえて

女性が結婚したら二度と

結納を受けない

ということも

この言葉にはそういう意味

があるようです。

 

「お茶を飲むときには

喫茶喫飯これ仏法という

ことがありまして、

お茶、

菩提心において

お茶を飲めお茶が仏法だと

ええ。

お茶を飲みたいときに

お茶を飲むんだと。

 

しかしお茶飲むのは

ただお茶飲むんじゃない。

もうその、

お茶って中に一切を含蓄

しとるんだと。

こんような意味ですね。

『ああ有り難い。

  結構です』

というようなこというとき

そうじゃないか。

 

お茶一杯もらってやね、

有り難いという。

その有り難さの内容という

ものは無尽蔵の意味を

持っとるでしょう。

コーヒーだって、

200円ある、

200円分だけというような

こといってないね。

無限の味があるでしょう

そこにね。

 

有り難いて。

この貨幣を超えた

そんなような、その、

豊かさがある。

その豊かさというものは

現代人は知らんわね。

 

我々は金、

何でも経済価値で

全部割り切ってしまうけど

経済なんかでは買えない

ものを、

の中に生かされているん

だということを … 。

 

これ、脱却しなければ

いけないんですわ。

別に経済とか産業という

ものが

悪いんじゃないですけど

経済とか産業とか、

無制限なんだ。

それが人生を支配する

といったら、

人間はなくなってしまう」

 

お茶一杯にしても

このように味わって

おられたのかと

今さらながら驚きです。

 

病気されてからは

奥様もご一緒で

講義を速記で書き取って

おられました。

お茶を出そうとすると

「胃を悪くしましたので

薄めにお願いします」と

すると先生は

「お茶もそのまま飲めば

滋養になるから、

薄めんでもいいよ」という

やり取りもありました。

 

講義の途中でも

では一服しましょうか、

お抹茶を

作法など関係なしに

ゆっくりと味わって

飲みながらも話が展開する

という

本当にお茶を楽しまれた

様子を思い出します。

 

「喫茶・喫飯」

たかがお茶、

されどお茶ですね。

まあ、ゆっくり

お茶でも一服と出される

お茶には、心が静まる

ものです。

 

 

 

 

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