本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

価値の転換

2024-02-26 20:12:03 | 十地経

開経偈の全文ですが

「無上甚深微妙法

 百千萬劫難遭遇

 我今見聞得受持

 願解如来真実義」

というものです

お経を読む時にはいつも

唱える言葉です

 

昨日の講義の中に

「ゆくりなくも」という

言葉がありました

非常にいい言葉です

「ゆくりなくも」

仏法に会うというのは

決まったものでもなく

また、逢おうと思って

会えるものでもなく

それこそ、

「ゆくりなくも」

出会うのです

たまたま、偶然に

 

そういうことを

百千萬劫難遭遇と

いうのでしょう

百千萬劫にも遭い遇う

こと難しと

「劫」という果てしもなく

長い時間において

ゆくりなくも、たまたま

出逢ったのだと

 

よく講義の中で

私たちの心は煩悩という

撥水加工されているような

もので覆われている

ですから

本当の真実の言葉でも

弾き返してしまう

本当の心まで届かない

そういうものだと

言われています

 

以前ですが

ガンジーが日本に来て

日本人を見て

胃袋と生殖器が歩いている

と言ったそうです

ひどいことを言うと

思ったのですが

事実、今でもそうですが

グルメにファッション

それが最大の関心事のよう

です

 

そういう心が真実の言葉を

受け付けないのです

そいうとき

何かの折に偶然にも

何か本当の言葉を聞く

「ああ、そうか」

というような

深い道理は分からんけど

何かしら頷くものがある

 

それが針の一点です

撥水加工された心に穴を

開けてくるのです

煩悩に覆われていた心に

小さな針で突いたような

穴が開く

その本当の話を

繰り返し聞いているうちに

少しずつ

穴が大きくなってくる

 

自分が一番大事にしていた

ものが、本当にこれで

いいのだろうか、と

今まで

大事にしていたものの

価値の転換が起こってくる

 

そういうことが

開経偈でいえば

「願解如来真実義」

ということでしょう。

 

そういうことを講義では

 

「そういうものに

目覚めるとですね、

そうすると方向が違って

くるんだ。

そういうものに立って

みるというと、

あらゆるものがその、

目覚めたものの、

分、部分になるんです。

菩提分法になっていくん

です。

あらゆるものがね。

 

何読んだっても。

やっても。

わざわざ我々が菩提分法に

するんでないんですわ。

菩提の願心に目覚めると

いうとですね、

我々のやっとることが

全部その、

その菩提分、菩提分法

という意味を与える、

 

つまり、

価値の転換なんだ。

これまではその菩提の

意味として

やったことはない。

ただ名誉のために

やっとるんだ。

それが菩提分法という

意味が、

価値が転換してくる。」

 

面白いもので

学生の頃食事が終わって

三浦先生はじめ皆で

テレビを見ている

私たちは面白おかしく

見ているのですが

先生の目から見れば

そのドラマの人物は

煩悩の動きの物語として

見られている

 

反対に迷った目から見れば

どんなに真実の教えでも

それは煩悩の話に

なってしまうものです

 

価値の転換が起きなければ

真実も真実ではなくなり

転換が起きれば

どのようなことでも

それは菩提分法

菩提の因(分)となって

くるものです。

行住坐臥すべてが

菩提分法になるという

なんでもないことが

何でもないことになる

という価値の転換が

起こってくるという

 

面白い問題です。

 

 

 

 

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