天正19年(1591)
秀吉は外敵から京都の町を護るため
京都の町を囲むように土塁を
築きました。
南は東寺を囲むように
東は鴨川の内側です
その構造は
土塁を築きその外には濠をめぐらし
その周囲は23キロにもおよびます。
秀吉の都を守る心意気が感じられます。
そして、地図でもわかるように
鴨川の西、鴨川の氾濫からも
都を守るというのがその目的です。
その御土居(おどい)が
美しく残っているのが
北野天満宮の境内です。
見事な総門をくぐり
本殿の菅原道真公にお参りして
御土居の方へ向かいます
御土居の上はもみじの新緑が
まばゆいばかりです
その下には紙屋川が流れ
涼しさを演出しています
その中に朱塗りの太鼓橋が
緑の映えて鮮やかです
ここからは紙屋川がさらに美しい
下に降りた所
この堤が御土居の土塁です
それが今では美しい緑を
秋には真っ赤な紅葉が見れ
素晴らしい観光スポット
いろいろな木々が自然豊かに生え
よく見るとそこにもいろいろなドラマが
たぶん寄生木したハゼの木
だんだん、根を伸ばし
ついには、本体の木を
巻き殺した??
もう本体の木は枯れてしまい
ハゼの木が青々と葉を茂らせ
秋にはこの木の紅葉も見事でしょう。
それから御土居の御神木
樹齢600年の大欅です
この御土居が作られた時からあって
ここから大宰府へ向かって
風を送っている
「東風」(こち)という体木
秀吉の頃からずっと歴史を見続けた
大木なのですね
見上げれば
豊かに緑を掲げています。
1年1年新緑の葉をつけ
夏の暑い盛りは木陰を作り
秋には紅葉して
はたらき終えて葉を落とし
冬にはじっと力を蓄え
次の年にはまた新芽を吹いて
じっと世のありようを見続けて
いるのですね。
人間がちょこまかと
やれ儲けたの、やれ損したのと
動いている姿は
見続けている木から見ると
何とも滑稽な姿かもしれませんね。
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