半月前の新聞のお悔やみ記事に「三笑亭笑三(さんしょうてい・しょうざ」の名前があり、ショックでした。
その記事によると、肺炎のため10月24日に亡くなり公にされたのが12月11日。
葬儀は近親者のみで密葬で行われたとのことでした。
享年92歳、あと4日で93歳になられるところでした。
落語家の笑三師匠には「ほのぼのマイタウン」に小咄とイラストを13年近く連載していただきました。
ほのぼのマイタウン(2016年6-7月号掲載)の小咄
また、弊誌20周年記念の「定年後をこの街で10倍楽しく暮らす法」にも寄稿してくださいました。
師匠のイラストは本の章ごとの扉に使わせていただきました。
師匠は東久留米にお住まいで、インタビューしたのがご縁で「何か小咄でも書いてお手伝いしましょうか」とおっしゃってくださいました。
それをいいことに、1/4ページに小咄とオリジナルのイラストを毎号かいていただきました。
現役の噺家で落語芸術協会の相談役の方が、この小さなタウン誌に13年間、1度も休むことなく送り続けてくださったのです。
鉛筆書きで原稿用紙に小咄を、厚手の小さな紙にパラフィン紙でカバーした掲載用イラスト、その上一筆箋に季節のイラストと一句を添えて。
一筆箋一葉にこんなにも手をかけてくださるのかといつも驚嘆しつつ、その鮮やかな手描きイラストと一句が、私は何より楽しみでした。
丁寧に色を付けたイラストと機知にに富んだ一句、特徴ある几帳面な文字が大好きでした。
送っていただいたものすべてを大切にとっています。
時々頂くおはがきにも必ずイラストが描かれていました。
左側のはがき、薄いブルーの象のイラストはこの号のほのぼのマイタウン表紙絵がピンクの象だったため、「世界に2頭目の象」とおちゃめ心で書いていらしたのです。
蟻と対比して、一句も。こんな暑中見舞いをいただいたら誰でもニンマリしませんか?
浅草演芸ホールのパンフレット表紙絵も長年描いていらして、同封してくださいました。
招待券をいただくこともよくあり、師匠が寄席へ出演の時は末広亭や浅草演芸ホールへ足を運んだものです。
素顔は物静かな方で声も細いのですが、高座に上がられると人が変わったようによく通る高い声、その話芸の円熟味に酔わされたものです。
若い頃から8ミリ、16ミリの映画製作もなさり、「話し上手になる秘訣(コツ)」などの本も出し、多才で知的な噺家さんでした。
そして、文面からも分かる通り、謙虚できめ細かい心配りをなさる粋な方でした。
このような方には2度と会えないと思います。
私は笑三師匠に出会えたこと、そしてたくさんの温かいお便りを遺してくださったことに尊敬の念とともに、衷心から感謝します。
ほのぼのマイタウン30周年休刊の折、寄稿してくださった方々への小さな感謝の会を開いたのですが、その時師匠が自作の色紙額を2つ持参くださいました。
出席くださった獣医さんと元商社マンの方が若い頃笑三さんのファンだったと、師匠に会えたことを大喜びされ大盛り上がり。
色紙額はじゃんけんで勝った人にプレゼントということになりましたが、勝った人の好意で、ファンだったお二人にプレゼントされました。
90歳になられた師匠を囲んで本当に楽しい集いになり、私も花束をいくつもいただき幸せ気分に浸ったものです。
その数日後、師匠が娘さんの運転で私の自宅まで上の写真の額を届けてくださるというサプライズが!
細やかなお心遣いに感激したものです。
この2年半前にお会いした時が最後になりました。
生涯現役が目標といつもおっしゃっていましたが、最後の高座は昨年1月の国立演芸場だったとか。
本当に生涯現役を貫かれた人生でしたね。
このお正月にぴったりのおめでたい額を壁に掛け、師匠を偲んでいます。
天国でも笑いをふりまいていらっしゃるでしょうか?
数々の楽しい思い出が浮かんできます。
お世話になりましたこと、本当に本当にありがとうございました。
合掌
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