本郷通りからそれるように斜めに続く旧白山通りのなだらかな坂を下りきったところにお七を祀る円乗寺があります。林立するマンションの谷間にひっそりとした面持ちで円乗寺は佇んでいます。山門というほどのものも無く、門柱の脇に八百屋お七墓と刻まれた石碑が立てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/bc/acbaf51edb08a449534093b32577a7c6.jpg)
天和3年(1683)3月29日に八百屋お七は鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられました。
江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘として生まれたお七は幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こしたことで知られています。そもそものいきさつは天和2年(1682)12月28日の大火(おそらく天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙院とする説もあるようです)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(吉三もしくは吉三郎とも、または武士であり左兵衛とする説もあります)と恋仲となってしまいます。翌年、彼女は恋慕の余りその寺小姓との再会を願って自分の家に放火未遂を起した罪で捕らえられ、鈴ヶ森刑場で火刑に処されたのです。これが一般的に伝わっているお七の恋道の末路なのです。
尚、貞享年間(1684~1688)に発行された「天和笑委集」によるとお七の父親は本郷森川宿の八百屋市左衛門と記され、避稚した寺は正仙院としています。お七の恋の相手は寺小姓の生田庄之助で、お七は近所の商家に放火し捕えられて火刑に処されました。一方、庄之助は自殺を図ったのですが、思い直し高野山に登ったという。付け加えて、正仙院に該当する寺は駒込界隈には存在しません。
お七処刑から3年後の貞享3年(1686)に井原西鶴がこの事件を『好色五人女』の巻四に取り上げたことでお七は日本全国で有名となり、以後浄瑠璃や歌舞伎の題材となっている事はご承知のことでしょう。
円乗寺ご本堂
そんな逸話の残るお七を訪ねて円乗寺を訪ねてみました。ビルの間に埋もれるように佇む円乗寺には境内らしきものがなく、参道とも単なる道とも言えるような所を進むと、本堂手前の左手に社が現れます。この社にお七の墓が置かれています。墓地の中の一角ではなく、あえて造ったといった風情の墓です。
円乗寺の参道?
社には3つの石碑?が並んでいます。真ん中の丸い石が寺の住職が供養のため建てたもので、右側は歌舞伎役者岩井半四郎が建立したもの、左側は近所の有志が建立したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/2b/b85af4ee1105410b7cc2824950f1af22.jpg)
火付けといっても放火未遂の犯罪で、市中引き回しの上、火あぶりの刑はあまりの極刑。恋こがれる相手と会いたいがための無謀な行動であったと言ってしまうには余りに無情、無慈悲。こんな一途な女性はいつの時代でも男にとっては魅力があるのかもしれません。私が円乗寺境内にいる間にも、若い男性が何人もお七の墓に詣でる姿を垣間見ました。ということは、現代の平成の世においても、お七のような女性に出会いたいと思う男性がたくさんいるのかなあ、と勝手に想像した次第です。
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天和3年(1683)3月29日に八百屋お七は鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられました。
江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘として生まれたお七は幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こしたことで知られています。そもそものいきさつは天和2年(1682)12月28日の大火(おそらく天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙院とする説もあるようです)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(吉三もしくは吉三郎とも、または武士であり左兵衛とする説もあります)と恋仲となってしまいます。翌年、彼女は恋慕の余りその寺小姓との再会を願って自分の家に放火未遂を起した罪で捕らえられ、鈴ヶ森刑場で火刑に処されたのです。これが一般的に伝わっているお七の恋道の末路なのです。
尚、貞享年間(1684~1688)に発行された「天和笑委集」によるとお七の父親は本郷森川宿の八百屋市左衛門と記され、避稚した寺は正仙院としています。お七の恋の相手は寺小姓の生田庄之助で、お七は近所の商家に放火し捕えられて火刑に処されました。一方、庄之助は自殺を図ったのですが、思い直し高野山に登ったという。付け加えて、正仙院に該当する寺は駒込界隈には存在しません。
お七処刑から3年後の貞享3年(1686)に井原西鶴がこの事件を『好色五人女』の巻四に取り上げたことでお七は日本全国で有名となり、以後浄瑠璃や歌舞伎の題材となっている事はご承知のことでしょう。
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そんな逸話の残るお七を訪ねて円乗寺を訪ねてみました。ビルの間に埋もれるように佇む円乗寺には境内らしきものがなく、参道とも単なる道とも言えるような所を進むと、本堂手前の左手に社が現れます。この社にお七の墓が置かれています。墓地の中の一角ではなく、あえて造ったといった風情の墓です。
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社には3つの石碑?が並んでいます。真ん中の丸い石が寺の住職が供養のため建てたもので、右側は歌舞伎役者岩井半四郎が建立したもの、左側は近所の有志が建立したものです。
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火付けといっても放火未遂の犯罪で、市中引き回しの上、火あぶりの刑はあまりの極刑。恋こがれる相手と会いたいがための無謀な行動であったと言ってしまうには余りに無情、無慈悲。こんな一途な女性はいつの時代でも男にとっては魅力があるのかもしれません。私が円乗寺境内にいる間にも、若い男性が何人もお七の墓に詣でる姿を垣間見ました。ということは、現代の平成の世においても、お七のような女性に出会いたいと思う男性がたくさんいるのかなあ、と勝手に想像した次第です。
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