大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸の鎮護不動尊「府内五色不動」の一つ「目赤不動」の佇まい【本郷本駒込】

2010年12月12日 10時30分12秒 | 文京区・歴史散策
広いお江戸にはその鎮護と天下泰平を祈願して市中の周囲五つの方角に不動尊を選んで割り当てた「五色不動【五眼不動】(目白、目赤、目黒、目青、目黄)」があるんです。この五色不動を具申したのが、上野寛永寺創建で知られる天海僧正なのですが、当時江戸府内にあった名のある不動尊を指定したものです。



江戸城鎮護のために不動明王像を造立し、王城鎮護の四神にならい江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・日赤・目青の四不動で、これを後になって徳川将軍家光が、四不動に目黄不動尊を加えた五つの不動尊を「五眼不動」としてお江戸の結界を造りあげていたのです。即ちこの五色とは「目の色」にあるのではなく、東西南北中央の五方角を色で示したもののようです。
しかしながら明治以降、各寺が統廃合や移転などで、そもそもの江戸時代の結界はくずれて本来の役目は終わってしまっていると言われています。

ご本堂

不動明王は悪魔を降伏するために恐ろしい姿で、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持つ「大日如来」の使者なのです。憤怒の形相で、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ恐い姿をしていますが、その心は人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちているのです。

本郷通りを歩いているうちに、以前からお参りをしたいと思っていた目赤不動様にたまたま行き当たったのです。「本郷もかきやすまでは江戸の内」と詠まれたように、江戸の府内の線引きの内側に位置する目赤不動様は確かにお江戸の結界の重要なポイントをなしていたように思われます。

天台宗大聖山南谷寺が正式な寺名です。開基は元和年間(1615~24)、万行和尚が伊勢国赤目山で、不動明王像を授けられ、その後、尊像を護持して諸国をめぐり、駒込村の動坂に庵を開き赤目不動と号したと言われています。



本堂通りに面して南谷寺と目赤不動尊とそれぞれ異なった色の文字で刻まれた門柱が立っています。山門からやや下るような参道を入っていくと、右手に不動明王を祀るお堂が静かに佇んでいます。

 



お堂に近づいて行くと、扉が半開きになっていて、誰でもが扉を開けて不動明王のお顔を拝めるようになっていました。薄暗いお堂の中で蝋燭の淡い光に反射した怖い目が微妙に輝いていました。



お堂の前に鎮座する右側の狛犬の台座に興味ある文字が刻まれていました。「神刀流開祖 天下無敵 日比野雷風 同正明」とありました。はじめて見聞きする流派「神刀流」とは一体なんなのか?調べてみました。

 



比較的新しい流派で、明治23年開祖日比野雷風によって、創案された剣武術と居合の流派です。剣武とは詩吟にあわせてその詩の内容を舞で表現するものです。

開祖日比野雷風は幕末の激動期の元治元年(1864)に鹿児島で誕生。雷風のお父さんは刀鍛治で新徴組お抱えの刀剣鍛冶だったのです。そんなことで「刀」とは浅からぬ関係を持ちつづけた雷風は明治23年、神刀流剣武術(剣武・居合)を大成させたのです。東郷平八郎、乃木希典、伊藤博文、伊藤祐亭、徳川達孝、徳富蘇峰、頭山満、渋沢栄一、寺内正毅等、当時の名士たちに愛され、お屋敷に招かれては演技を披露したと伝えられています。そんな方の名が台座に刻まれた狛犬がなぜ当寺に寄進されたかの理由は定かではありません。

もう一つの目黄不動~江戸川・平井「最勝寺」~
お江戸府内の結界の一つ・目青不動を訪ねて~竹園山最勝寺教学院~
お江戸府内の結界を守る名刹・目黒不動尊(龍泉寺)





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