今にも冷たい雨が降り出しそうな空模様を見ながら、今日のお江戸散策はあきらめ久しぶりに両国の「江戸東京博物館」見学へそそくさと出掛けた次第です。
今日の江戸博は特別展示の催しはなく、通常の常設展示なのですが平日にもかかわらず小学生の課外授業や東京見学の団体客でかなり混雑していました。
当ブログではこれまで江戸博の内部の様子や展示物を紹介したことがありません。個人的には何度も訪れている場所なのですが、お江戸に関する展示物は何度見ても見飽きることがないんです。その展示物の多くは複製や模型なのですが、江戸時代の雰囲気や暮らしぶりなどを垣間見る場所としてはかなり充実していると思います。
常設展は6階が入口となっています。エレベーターを降りると薄暗い館内に浮かび上がるのがお江戸のシンボルとして誰もが知る「日本橋」です。お上である幕府が造った官製橋を示す宝珠が欄干に取り付けられています。展示されている「日本橋」は幕末期のものを再現したもので、当時と同じケヤキと檜を使って復元されています。
日本橋の宝珠
日本橋から左手を眺めると復元された歌舞伎の芝居小屋「中村座」の官許を示す「櫓」が目に飛び込んできます。小屋の正面には役者の名前や絵看板が掲げられ、顔見世興行らしい華やかさを感じとることができます。
橋上から見た中村座
日本橋を渡りきるとそこは江戸ゾーンと呼ばれるエリアに入ります。そこには江戸初期の寛永時代の江戸城大手門前の大名小路にあった越前福井藩主・松平伊予守忠昌の上屋敷を30分の1の縮尺で復元した模型が置かれています。
松平伊予守忠昌の上屋敷模型
屋敷門
屋敷の御成門かな?
江戸ゾーンにあるもう一つの見どころは神君家康公の「寿像(複製)」です。この寿像は家康公が60歳のころの等身大の像で徳川家菩提寺である芝増上寺敷地内にある安国殿に祀ってあったものなのです。「安国」とは家康公の法名である「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」によるもので、安国殿は家康公没後の元和 3年(1617)に竣工しました。オリジナルの寿像は増上寺脇にある芝東照宮に祀られているといいますが、私はそのお姿を見たことはありません。
寿像
江戸ゾーンのある6階から5階の江戸ゾーンへと場所を移しましょう。まずは江戸ゾーンの中心的な復元展示物である「芝居小屋・中村座」の前に行ってみることにしました。
芝居小屋の櫓
芝居小屋看板
説明書きによると19世紀初期の中村座を復元したものとあります。江戸時代の歌舞伎の芝居小屋は幕府の改革の中で風俗取締りの憂き目に会い、その所在地が目まぐるしく変わった歴史があります。19世紀初頭ということはちょうど天保の改革が断行された時期で、それまで木挽町にあった中村座・市村座・森田座が浅草寺裏手の浅草聖天町へと強制的に移されています。聖天町はその後、猿若勘三郎の名に因んで「猿若町」と改名され、江戸における一大芝居町へと発展していくことになります。
復元された芝居小屋は毎年11月に行われていた顔見世大歌舞伎興行の芝居小屋を表したもので、顔見世興行のときにだけあがる「櫓」が取り付けられています。「櫓」とは籠のような骨組みに2本の梵天と5本の槍を組み合わせ、これに座の定紋を染め抜いた幕で囲ったものです。この櫓をあげていることが官許の芝居小屋である証だったのです。
そして芝居小屋のすぐ側に展示されているもう一つの展示物が高さが数メートルもある大きな山車です。この山車が江戸三大祭の一つである神田明神の神田祭で使われたものなのです。
神田祭の山車
山車と日本橋
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われているように、明神様の山車は江戸一番の壮麗さを誇っていたのです。現代の神田祭ではこのような山車が繰り出すことはありませんが、お江戸の時代にはこの山車が江戸城内まで繰り出し、将軍上覧の栄誉を得ていたといいます。
それでは江戸ゾーンの展示エリアへと進んでいきましょう。まず目につくのが建築物の大きな模型なのですが、これがあの三越の前身である江戸時代の「三井越後屋」の様子を表したものです。
三井越後屋模型
三井越後屋模型
この縮尺模型からでも、さすがお江戸一番の大店であったことが覗えます。江戸時代の三井越後屋は現在の日本橋三越本店がある場所なのですが、今から200年前の日本橋が克明に描かれた絵巻物『熈代勝覧(きだいしょうらん)』を見ると、三井越後屋はちょうど中央三井信託銀行がある場所ではないかと思います。平成の世でも三越百貨店の建物が日本橋の袂から始まり中央三井信託銀行までのワンブロックを占めていることを考えると、お江戸を代表する老舗の偉大な歴史を感じざるを得ません。
熈代勝覧の三井越後屋部分
5階の江戸ゾーンには江戸の暮らしに関しての数多くの展示がありますが、当ブログではこの程度で写真紹介このくらいで終わらせていただきます。尚、当博物館の展示は江戸時代だけでなく、明治以降の東京を紹介する展示を見ることができます。そんな展示の中で幾つかを写真でご紹介いたしましょう。
国立第一銀行模型
浅草十二階模型
寒い冬の一日、暖房の効いた快適な博物館で思い存分楽しんだひとときでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ad/e684f0f4619ea5407c52c65d4f5c0c14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e3/cf23692bdc07c2291b2b6eb316d45c80.jpg)
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今日の江戸博は特別展示の催しはなく、通常の常設展示なのですが平日にもかかわらず小学生の課外授業や東京見学の団体客でかなり混雑していました。
当ブログではこれまで江戸博の内部の様子や展示物を紹介したことがありません。個人的には何度も訪れている場所なのですが、お江戸に関する展示物は何度見ても見飽きることがないんです。その展示物の多くは複製や模型なのですが、江戸時代の雰囲気や暮らしぶりなどを垣間見る場所としてはかなり充実していると思います。
常設展は6階が入口となっています。エレベーターを降りると薄暗い館内に浮かび上がるのがお江戸のシンボルとして誰もが知る「日本橋」です。お上である幕府が造った官製橋を示す宝珠が欄干に取り付けられています。展示されている「日本橋」は幕末期のものを再現したもので、当時と同じケヤキと檜を使って復元されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/22/b26baf5db53721622bdd71d8b4de08e1.jpg)
日本橋から左手を眺めると復元された歌舞伎の芝居小屋「中村座」の官許を示す「櫓」が目に飛び込んできます。小屋の正面には役者の名前や絵看板が掲げられ、顔見世興行らしい華やかさを感じとることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/30/48ff597e25efba823fca89370e93beff.jpg)
日本橋を渡りきるとそこは江戸ゾーンと呼ばれるエリアに入ります。そこには江戸初期の寛永時代の江戸城大手門前の大名小路にあった越前福井藩主・松平伊予守忠昌の上屋敷を30分の1の縮尺で復元した模型が置かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/d1/dff0ab08c3df3c17a498910d0e207585.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/ea1238839dedd5d264ec7e16bb959328.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/4c/0e3d19758b616bec81fd5ce9e2e168ec.jpg)
江戸ゾーンにあるもう一つの見どころは神君家康公の「寿像(複製)」です。この寿像は家康公が60歳のころの等身大の像で徳川家菩提寺である芝増上寺敷地内にある安国殿に祀ってあったものなのです。「安国」とは家康公の法名である「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」によるもので、安国殿は家康公没後の元和 3年(1617)に竣工しました。オリジナルの寿像は増上寺脇にある芝東照宮に祀られているといいますが、私はそのお姿を見たことはありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/90/00c17aa58fdbcf3c59da9cf9cdb4ec0e.jpg)
江戸ゾーンのある6階から5階の江戸ゾーンへと場所を移しましょう。まずは江戸ゾーンの中心的な復元展示物である「芝居小屋・中村座」の前に行ってみることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/ea/55d0b9bcbf8d269305b2c89ad90bfcce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3e/21046a26402d47962ffa928ed7b73386.jpg)
説明書きによると19世紀初期の中村座を復元したものとあります。江戸時代の歌舞伎の芝居小屋は幕府の改革の中で風俗取締りの憂き目に会い、その所在地が目まぐるしく変わった歴史があります。19世紀初頭ということはちょうど天保の改革が断行された時期で、それまで木挽町にあった中村座・市村座・森田座が浅草寺裏手の浅草聖天町へと強制的に移されています。聖天町はその後、猿若勘三郎の名に因んで「猿若町」と改名され、江戸における一大芝居町へと発展していくことになります。
復元された芝居小屋は毎年11月に行われていた顔見世大歌舞伎興行の芝居小屋を表したもので、顔見世興行のときにだけあがる「櫓」が取り付けられています。「櫓」とは籠のような骨組みに2本の梵天と5本の槍を組み合わせ、これに座の定紋を染め抜いた幕で囲ったものです。この櫓をあげていることが官許の芝居小屋である証だったのです。
そして芝居小屋のすぐ側に展示されているもう一つの展示物が高さが数メートルもある大きな山車です。この山車が江戸三大祭の一つである神田明神の神田祭で使われたものなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/23/f59f2785b21dca68f1aafa3d6149cc56.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/1b/095f5f5ab71489db429e8b2815554bb2.jpg)
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われているように、明神様の山車は江戸一番の壮麗さを誇っていたのです。現代の神田祭ではこのような山車が繰り出すことはありませんが、お江戸の時代にはこの山車が江戸城内まで繰り出し、将軍上覧の栄誉を得ていたといいます。
それでは江戸ゾーンの展示エリアへと進んでいきましょう。まず目につくのが建築物の大きな模型なのですが、これがあの三越の前身である江戸時代の「三井越後屋」の様子を表したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/da/fcffafa487acaec6395537a4c48b6470.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b6/a3b45e7813146eb088861b4835ca6119.jpg)
この縮尺模型からでも、さすがお江戸一番の大店であったことが覗えます。江戸時代の三井越後屋は現在の日本橋三越本店がある場所なのですが、今から200年前の日本橋が克明に描かれた絵巻物『熈代勝覧(きだいしょうらん)』を見ると、三井越後屋はちょうど中央三井信託銀行がある場所ではないかと思います。平成の世でも三越百貨店の建物が日本橋の袂から始まり中央三井信託銀行までのワンブロックを占めていることを考えると、お江戸を代表する老舗の偉大な歴史を感じざるを得ません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8a/b7abe4c442e91fc1df9bc03eee49d6c1.jpg)
5階の江戸ゾーンには江戸の暮らしに関しての数多くの展示がありますが、当ブログではこの程度で写真紹介このくらいで終わらせていただきます。尚、当博物館の展示は江戸時代だけでなく、明治以降の東京を紹介する展示を見ることができます。そんな展示の中で幾つかを写真でご紹介いたしましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/00/bbf9bd48181bb987486ded121a0cff8b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a0/90c91d8de7fcdd699479cc98d3ef7957.jpg)
寒い冬の一日、暖房の効いた快適な博物館で思い存分楽しんだひとときでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ad/e684f0f4619ea5407c52c65d4f5c0c14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e3/cf23692bdc07c2291b2b6eb316d45c80.jpg)
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