大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

完成間近!江戸湊の新しい名物橋「東京ゲートブリッジ(Tokyo Gate Bridge)」

2011年12月07日 15時20分08秒 | 江東区・歴史散策
アメリカのペリー艦隊が4隻の黒船を率いて江戸湾に現れたのが今から158年前の嘉永6年(1853)のこと。時の幕府は外国艦隊からの攻撃に備えるために、江戸湾に砲台を設置し江戸の防備に努めたのです。幸運にもその砲台からは砲弾が発射されたことはないのですが、その砲台跡が江戸湾の「お台場」として現在もその姿を残しています。

そんな時代からおよそ160年が経ち、江戸湾の様子は大きく様変わりしています。よく「江戸前の海」なんていうことを言いますが、一般的には深川洲崎(現在の木場辺り)洲崎神社とと品川洲崎の利田(かがた)神社を直線で結んだ内側の海を指していました。

この海域では江戸前の新鮮な魚が豊富に獲れ、その中でも江戸前のアナゴ、コハダそしてウナギなどはその代表として現在でも江戸前寿司のネタになっています。

私が住む東京の江東区は江戸の昔から荒川の流れに沿って江戸湾方向に埋め立てられた場所で、砂村新田と呼ばれた干拓地域です。今でこそ東西線が走り、都心の日本橋までは地下鉄で15分ほどの便利な場所になっています。江戸湾の埋め立て事業は江戸から明治、その後の大正、昭和そして平成の時代に引き継がれ、ますます盛んになっているようです。

その埋め立て地のほとんどが江東区内といっても過言ではありません。東京都が東日本大震災の被災地の瓦礫の焼却を引き受けていますが、その焼却灰はおそらく江東区の埋め立てに利用されているのではないでしょうか。

この埋立地に平成の新しい名物が完成しようとしています。墨田区のスカイツリーほどメジャーではないのですが、江東区の水辺のリクレーション施設として有名な若洲から大田区の城南島を結ぶ東京港臨海道路の一部として架橋される「東京ゲートブリッジ」です。



我が家からマウンテンバイクで一路若洲を目指すこと約30分。若洲のゴルフ場脇のサイクリングロードから遥か東に広がる舞浜のディズニーランドの景色を見ながら埋立地の最南端に到着すると、眼前に現れるのが「東京ゲートブリッジ」の雄姿です。晩秋の靄の中に浮き上がる巨大な建造物に圧倒されてしまいます。

灯台と東京ゲートブリッジ

2頭の恐竜が向き合っているような特異な外観をしているので「恐竜橋」とも呼ばれています。
外観からほぼ完成しているように思えるのですが、若洲側中央部トラス桁の架設後に溶接の割れや鉄骨の変形が発見され、桁の架け直しのため完成が半年ほど遅れたようです。

東京ゲートブリッジ

橋の長さは全長2933m。海上を跨ぐ区間の長さが1618mでレインボーブリッジの2倍を誇っています。歩道も敷設されるようなので、完成の暁には是非歩いてみたいものです。開通は来年2012年2月12日の予定です。

掲載した画像のような東京ゲートブリッジをご覧になるには若洲まで行かなければなりません。ただし若洲までのアクセスは非常に不便なので車で行くことをお勧めいたします。





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