中学時代は野球部でした。
と同時に合唱部にも所属していました。
歌が得意であったわけでもなく、上手かったわけでもなく、ただ声が大きかったからです。
音楽の先生から入部をすすめられ、野球を優先することを認めていただき、合唱の練習にも顔を出すようになりました。
男子パートはには私を含めて5人しかいませんでした。
それでも目指すは、NHK合唱コンクール県大会出場!
今のように校舎に空調設備はなく、寒い冬はまだしも、夏の暑い日に声を出し続けることはかなりの体力と気力を要しました。
夏休みの練習では、歌いながら貧血となり倒れる女子が出るほどでした。
男子パートのまとまりは良く、それぞれ他の部活動からかき集められており、体力自慢の個性派ぞろいでした。
特に男子パートリーダーになってくれた彼は、当時の歌謡事情にも詳しく、練習の合間に当時のヒット曲を振りつきで披露してくれたりして、合唱部全体を明るい雰囲気にしてくれていました。
付いたあだ名は“マッチ”でした。
母校は小規模学校ということもあり、女子のソプラノ、アルトパートとも10名程しかおらず、声量不足を補うために一人ひとりがしっかり声を出すことを心がけ練習を重ねていきました。
そして合唱コンクール児湯地区予選当日・・・
出場校のうち最大部員を有するのは高鍋西中学校で、倍以上の部員数に加え、ソプラノパートには見るからにオペラ歌手のような中学生とは思えないほどの声量の持ち主がいました。
本番では委縮することなく、目をしっかりと開き、頭のてっぺんから声をだし、先生の指揮棒にすべてを集中させました。
そしていよいよの結果発表・・・
「NHKコンクール児湯地区代表校は・・・・・・・・・高鍋西中学校です」
“やっぱりか・・・”
その瞬間、うちの女子には泣き出す子もいました。
次の瞬間、奇跡が起こりました!
「そしてもう1校、木城中学校」
“えっ”
一瞬、時が止まったのちに、女子の流していた涙がうれし涙にかわり、みんなで飛び上がって喜びました・・・
合唱部の思い出はここまでで、県大会でも出来事はほとんど薄れてしまっています。
それだけインパクトのあった
「そしてもう1校は、木城中学校」
でした・・・今でも同窓会で合唱の話になると、繰り返される青い思い出です。