OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

一国民

2015年08月13日 | 日記
ふだん国民という意識もないが、8月は、国民という意識がめぐる。
すぐ忘れるのがこの国の国民性とか。

いま甲子園が眩しい。
今年は久々に「選手宣誓」を聴いた。
甲子園100年だそうで、第一回出場校の鳥羽高校の主将の言葉は、心からの言葉に感じた。過去の日本をおもんぱかり、平和な今に感謝した。

日本の首相も鳥羽高校の主将のように、心からの言葉を感じられるような談話を期待したいものだが、さて。

憲法改悪、戦争賛助、原発再稼働の動きには、「国民が甲子園以上に声を上げるべき熱い夏です」とは、熱い弁護士さんの暑中見舞いから。

一国民も、思う。
経済界の事情の原発再稼働は、福島の今をみてもないだろう。
戦争に巻き込まれる、とかではなく、戦争のない世界を目指すリーダーになるべき日本は、新たなアメリカとの関係を築くことに一生懸命になりたい。
きれいな沖縄に、戦時のための基地などあってはならない、が当たり前なのだ。
憲法は、今が最高とは感覚的におもわないが、中途半端な改憲は、改悪といわれてもしかたない。

オリンピックも昔のオリンピックと違って、ヒューマニズムよりもビジネスが優先されているようで、感動も仕込まれてきている。
誰も責任をとらないスタジアム問題も今の日本の国民性か。
「オリンピックまで」という言葉は、そこまでがチャンスという意味でよく聞かれる。

今時に生きるか、あらがうか。
身動きがとれないほどに発展した後の疲弊した世界に、
一国民ながら、時に人間の崇高をみながら生きようと思う。

書を愛する一国民は、思う。
このIT時代に必要なのは、筆文字からだ。
真摯な姿を伝える。







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