OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

2013年08月11日 | 書道・筆文字
書は刻むことであった。
刻書は酷暑と同音であることにより、漢字文化圏、とくに日本では、書のイベントは真夏に企画されるが多くなっていった。
と狭辞苑にある、とか真夏の戯言である。

上野の国立博物館で開催中の「和様の書」は9月上旬まで。
「唐様の書」が5年前だったか。
なかなか見ごたえのあるイベントだが、光悦はやっぱり粋である。それだけでなく、上手さもあるのだとあらためて思い知らされた。

絵のなかに字を隠し入れる葦手様は、今回、さまざまな形で楽しませてくれた。
秋草のの画面なかに、一首の主な漢字を入れ込み、元の歌を想起させたりする。
その作り手や愛でる所有者などのゆっくりした時間の流れを感じる。

長谷川等伯が描いたといわれる檜原を中央に、周りに近衞信尹の大胆な文字が散らばる。一首のうちの「三輪の檜原」は、その等伯の絵でまかなう。
光悦の舟橋蒔絵硯箱も、名称になっている通り、一首が作中にあるなか、「舟橋」の図柄が、一首中の「舟橋」を省略させている。

文字を絵に変換した戯画もあったり。

料紙も和様の書に伴っての見どころだが、今回、平安時代は藤原道長の金泥の筆による金峯山埋経の紺紙の美しさが一番気になった。
古筆の名品の数々は言うに及ばず。今回はやはり藍の深みがいい曼殊院古今集に惹かれた。

紺九さんの藍がまた気になった。





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