故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「夕雲燃ゆ」です。
五日市街道で家路を急いでいたら、信号の向こうに夕雲が現れました。
大きさと美しさに、信号が青になったのも忘れてシャッターを押しました。
精米後の白米が以外の他軽く(糠分約10%)なり、もったいない気がしていた。
玄米のままか、5歩搗きの白米に16穀を加えて炊くことにした。
噛むのに時間がかかります。
いつもの一品、納豆が使えなくなった。
夏大根は少し辛みがある。
皮を厚く剥き、きんぴら(京料理のおばんざい風)に加える。
小松菜の茎も固いので、きんぴら行である。
葉っぱは、味噌汁の具(火を止める前に投入)とする。
今日のタイトルは、「今どきの朝ご飯」です。
白米だけの時は、納豆が付く。
まず大根を3cmx2切を切り取り、大根すりにする。
摺りきらないで、残った薄い大根を刻んで味噌汁に入れる。
大根すりの汁を搾り味噌汁に入れ、残りを攪拌した納豆に加える。
朝ご飯作りは、冷蔵庫に保管するタッパーとジップロックの点検から始まる。
卵と牛乳を混ぜたものに刻んだパセリを入れ、食べ残しの果物(今だとブルーベリー)を加える。
昨日残ったおかずも加えて、軽く炒め、一品とする。
ナス、きゅうりも時期になると、毎日2-3本収穫します。
塩もみで一品とする。
トマトは、生で食べきれないから具材でも使う。
冷蔵庫には作り置きの物もある。
簡単漬けのきゅうりやナスの漬物です。
製造日が不明なので、漬けた妻に出してもらう。
私には時間がある。
ていねいに、食べられるものと食べられないものに仕分け、刻み、炒める。
食べられないもの(野菜の黄色くなった葉っぱ、根、卵の殻、食物残渣)を、乾燥コンポストにする。
我が家に生ごみはない。
出来上がったころに、早朝から畑に出かけた妻が「やった気分」で帰ってくる。
朝ドラを仲良く二人で観る。
フライパンや鍋で出来上がっている料理に、もうひと熱加えて、時間をかけて食べる。
残った味噌汁は、夕食でいただく。
料理が出来上がるころには、洗濯も終わっている。
料理を作りながら、筋肉を使い、脂肪も燃やす。
できれば、健康寿命を延ばしたい。
いつも空腹で、本能のままに生きれば、脳が貪欲(ポジティブ)になる。
そして、あらゆる臓器を活用して生き延びようとする。
ピンピンコロリが人生最大の目標となる。
2025年6月20日

絵のタイトルは、「熊の摩崖仏」です。
このおっちゃんに、「しっかりせよ」と怒られそうです。
今日のタイトルは、「ちぐはぐな会話」です。
心配していたことが、やってきた。
そんな感じです。
あることをイメージし、話す。
相手の言葉を待たずに、もう一方が話す。
相手の話を聞くことが億劫になってきました。
話すごとに、感情がかぶさる。
タイミングがずれるため、会話になりません。
例えば、ガソリンを入れに行くのを私が忘れた。
慌ててスーパーの駐車場に入り引き返そうとする。
妻が、腐葉土が欲しいと買ってくる。
ガソリンスタンドに向かおうとすると、どうしてまっすぐ帰らないのと妻が言う。
部屋に来たが、「何しに来たの?」と、ひとつ前の記憶が怪しいのです。
我慢も効かなくなりました。
一昔前の不満が口を突いて出る。
出たものは仕方がないと、妻は臨戦態勢に入ります。
不満が油となり、妻の怒りの炎は燃え盛ります。
ぶり返すかと聞き流すこともできず、私は白旗を掲げます。
「勝手にやったら」と、他人には分からぬ二人だけの秘密です。
私たちもそんな夫婦になりつつあります。
先輩たちは、もっと苛烈らしい。
身体が動かぬだけに、「あれせえ、これせえ」と、やっと帰ってきた者を残された者は怒ります。
畑仕事をしておったほうが気が楽だと、杖をつきながら言われました。
これを通り越したら、すれ違いの会話になるのだろう。
一人が話す。
もう一人は聞いたことに関係ない、思い付きの話をする。
うなづく。
もう一方もうなづく。
聞いてくれていると嬉しくなり、どちらも楽しい。
二人とも笑いが止まらない。
軽重の差はあれ、二人とも認知症です。
恐ろしいことだけど、やってきます。
可愛い女房殿も、般若になったり恵比寿になったり忙しい。
そういう私も、鬼になったり駄々っ子になるのでしょう。
どうしたものかいな。
罵り合おうが夫婦です。
そのうち一人になるのです。
経験したことがない孤独がやってきます。
「亭主元気で留守がよい」と言われていた奥様も一時は落ち込みます。
世間並みに辛い時期を過ごした後は、羽が生えたように楽しくなるようです。
私は、負けてなるものかと一計を案じました。
妻が出かけたら、妻の枕を尻に敷いてやることにしました。
情けないけど、うふふ。
2025年6月14日

納屋の軒下に干した玉ねぎ(約100個)とニンニク(50個)です。
小さい玉ねぎも100個くらいあり、網で乾し我が家で食べます。
大きな玉ねぎは子供たちに送ります。
3日前は、私は小雨のなか草刈りを頑張った。
妻は、玉ねぎとにんにくを収穫した。
2日前は雨の中、収穫した玉ねぎとニンニクを二人で軒下に干した。
梅雨に入り、野良仕事ははかどりません。
今日のタイトルは、「やる気」です。
昨日は雨が小康状態になり、妻は納屋周りを片づけていました。
どこに何があるか分からないからだと言う。
多分、「あとで片づける」の残り物です。
今日は、二人で目標スコアを決めてゴルフをやりました。
仲良く、目標をクリアーしました。
一生懸命なのですが、必ずポカをします。
反省すべきは、次に何とかしようとあきらめます。
疲れた翌日は、朝からその「やる気」が出ません。
現役時代は、お構いなしに頑張れました。
小さなできることをやりながら、整えていきます。
昨日も、妻の気がかり(トマト用支柱づくり、地を這うはやと瓜を網に固定)を手伝いました。
何しろ、追われています。
桜の木を引き取ってくれないかと、90歳近くの叔母に頼まれゴルフ帰りに寄った。
3m高の桜の根が鉢を割り地中に伸びていた。
耕せない(草を刈るのが精いっぱい)山の畑に植えることにした。
後日、軽トラで引き取りに行きます。
やる気が出なくても、暮らしていかなければなりません。
誰かの役目ということはありません。
できる人がやり、互いに支え合って生きています。
洗濯物を溜めると、まとめて干す場所がありません。
よって、毎日洗濯物を干し畳みます。
その日暮らしの毎日です。
風邪を引いて休むこともない、地獄と天国の混ざりあいです。
やっと、生きている。
明日の朝も動きたい、動けるだろうと夜寝ます。
2025年6月12日

絵のタイトルは、「名護の守り神」です。

シーサーに近づいてみました。
タイトルは、「阿吽」です。
飾って守ってもらいながら、近づいて感じるというのはいかがです。
2週間に一回の頻度で、図書館から本を借りて読んでいます。
今日のタイトルは、「背表紙を読む」です。
勘の良い読者は、私が何を書こうとするかと、考えを巡らせます。
本屋、図書館、古書店でも背表紙を見ながら吟味します。
図書館では、好きな作家の次は何を読もうかと探します。
背表紙を読み、内容を推測します。
本屋では、買いたい本を見つけるために、背表紙(タイトル)と作家を見ます。
財布の中身と相談が始まります。
古書店では、知らぬ本や作家との出会いが背表紙でした。
新鮮で、知識欲をそそる宝探しでした。
今は、本との出会いも一瞬です。
本をネットで検索し、あらすじを読み、読了です。
知ったかぶりをするために、ビデオを2倍速で観るようなものです。
知らない言葉を広辞苑で調べることは昔の話です。
スマホに知りたい言葉を叫んだら、意味が瞬時に出てきます。
広辞苑の行間の説明にわくわくし、知りたい言葉の前後で出会った言葉にも興味が広がりました。
辞書で調べる副産物でもあり、楽しみでした。
コミュニケーションが大切と世間で言われ、頭も理解を装う。
実際の会話となると、聞きたい話が終わったら、後は上の空です。
喫茶店で男女が会話をすることもなく、スマホを覗いています。
互いに、興味(見つめ合いドキドキする)はないんかい。
会社でも、隣の席の者とメールのやり取りで会話をしています。
履歴(証拠)を残すのが目的で、CC(関連)宛てのメールは読む気もしない。
これじゃ、在宅勤務と変わりません。
上司が部下を監督(評価と通達)するためだけに、出社をさせる。
暮らしが、「安近短」に汚染されています。
面倒な(哲学的、情緒的)ことは、できるだけ避けて通りたい。
「だいじょうぶ」という言葉が好きではありません。
相手を傷つけまいと思うのか、「不要」と宣言しない。
振られたくない(傷つきたくない)から恋愛しないのと同じです。
次は、もっとうまくやろうと、探求心に欠けています。
私は、仕事で付いた筋肉が自慢です。
相手に伝えたいと、目の動きや肌の赤らみが好きです。
シミュレーションばかりしてないで、当たって砕ける。
当たって砕けたら、破滅に繋がるほど被害甚大(この世の破滅)ですか。
そんなに世間は冷たくはありません。
テレビやネットで洪水のごとく流れる情報です。
生き方が、知らず知らず受け身になっている。
ほとんどの若者が、よそ者で馬鹿者です。
経験者は、石橋をたたいて壊す輩です。
生きてきた道すがら、成功と失敗を数えてみれば分かることです。
成功経験は、一握りです。
だから、一瞬でも嬉しい。
生きる力が湧いてくる。
2025年6月8日

冬の寒さに耐えるいちごです。
タイトルは、「これからぞ」です。
私の絵が変わってきたきっかけの一枚です。
年取れば いじめっ子さえ 杖に世話
今日のタイトルは、「時間が薬(Part2)」です。
2022年12月8日記載、「時間が薬」では、
「「時間が薬」と老人が言う。
若い時のように身体は動かないが、時間をかければ同じように達成できる。
そういうことだろうか。
私にとって、「時間が薬」とは、「気づかせてくれる時間」をいただけた。
薬は、自分の中に沁みこみ、長い時間をかけて効能を発揮した。
薬が何か、解答を探している。」
(記事より抜粋)
謎かけのような老人の言葉、「時間が薬」の意味をつかめずに2年半を過ごした。
老人は、時間は余るほどある。
しかし、体力と勢いは若い時ほどはない。
余る時間を使い、根気よく仕事をすれば達成できると言いたかったのかもしれない。
私は、時間とは「経験」と捉えてみた。
経験(失敗と成功)を積むことで、ゴールに近づくことができる。
プロジェクト(仕事)の前に時間はある。
プロジェクトのあとにも時間はある。
昨日は、草刈りをした。
終わらせたくて、おきて破りのタンク4杯(0.7リットルx1回が適当な草刈り)もした。
熱中症からくる、痙攣を押さえるために水分補給も十分にやった。
明日が、島全体の清掃日です。
きっと、道にはみ出している草が掃除の邪魔をすると予測したので無理をしました。
サロンパスのお世話にならずに、妻に凝っている箇所を押してもらった。
いつものごとく、この時間(午前3時)に目が覚める。
試しに身体を捻る。
何とか動きそうです。
老人は、仕事のあとの時間のこと(時間が薬)を言ったのだろうか。
痛みが引くまで、何時間でも休める。
身体を休ませず、少しずつ仕事と遊びをこなしてきた。
島に移住して、長い時間をかけて難題(耕作放棄地と向き合う)に対処してきた。
やっと攻める(プランを実行:環境に適応、経済的な方法、楽しむ)ことができるようになった。
シングルプレイヤーの先輩は、ゴルフの前後を休日にされる。
カムバック(疲労回復)の時間がとれる。
カムバックの要領を知る。
カムバックの時間が短縮される。
「時間が薬」の「薬」とは「休む」ことだったのかとも思う。
疲れたら潔く休む。
「潔さ」も経験上の「薬」かもしれない。
「潔さ:薬」の種類や効能を知る知恵が発したことばなのかもしれない。
若い時は、精神的疲労を「飲む打つ買う」で解消しようとした。
身体と頭に問うことをしなかった。
「これくらいなんとかなる」と潔さもなかった。
処方箋を守るも、効能書き通りとはいかない薬です。
今まで通りとはいかない身体です。
何があっても、まず休み補充しそれから考えよう。
2025年6月7日