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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

結果を求めるな

2022-02-15 05:21:55 | よもやま話

絵のタイトルは、「あっかんべえ」です。


杵柄は ヒマワリの下 今椿
 
私のゴルフは、段々と悪くなっていく。
こんなはずじゃあなかった。
現実を見る目まで失ったのか。

今日のタイトルは、「結果を求めるな」です。
末娘の転職に際し、助言を求められた。
「40歳までは、やりたい仕事をしなさい」
「40歳を過ぎたら、できることをやりなさい」
と伝えた。

60歳の時に、東北で草刈を始めた。
空き家と耕作放棄地の持ち主の了解をいただきました。
草刈ローテーションは、2週間でした。
早春から晩秋まで休むことなく続けました。

70歳を前にして、違う場所で同じことを続けようとしています。
身体が悲鳴をあげています。
弱い部分が痛くなり、一晩寝て回復するを繰り返しています。

結果なんてどうでもよい。
妻も私も、夕食を摂りながら転寝(うたたね)をするようになりました。
夜眠れない。
そんなはずはない。
昼間、暇あるごとに寝ているではないか。
バランスは取れている。

ゴルフの飛距離をあきらめることにしました。
スイングの善し悪しも求めない。
只々、正しく当てる。
夕食後、汚した皿を洗えなければ、朝洗う。
忙しければ、忙しくない時間をスケジュールする。
その時に考えることにしている。

かつての栄光なんてどうでもよい。
若さなんて吹っ飛んだ。
今できることをやるだけです。
やれるように。

2022年2月15日
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ルーツ離れ

2022-02-10 05:21:50 | よもやま話

絵のタイトルは、「われ帰って来いや」です。
島人だって黙っちゃいない。
生活は、大いに進化していました。


手に蜜柑 つなぎし命 鳥に分け

我が家のインターネットが繋がれた。
20Km走って、書き貯めた数日間の記事を載せていた。
必要があってする努力なので、苦にはなりませんでした。

親離れ子離れはできても、「ルーツ離れ」(今日のタイトル)は簡単ではないと感じています。
親離れ子離れは、
60過ぎの再婚に挑戦したものの、新妻を家に迎えることが叶わず、私が家を出ることにしました。
母に倣い、子供たちを「さん付けで呼ぶ」ようにしました。
親離れ子離れの始まりになったように思います。

東北で、多くの耕作放棄地を見てきました。
何の愁いも感じませんでした。
人口が減っています。
農業機械の進歩は目覚ましく、効率のよい農業が残っています。
食料調達(外国から品質の良いものを安価に輸入)が容易になりました。
教育を受けた若者は、都会で暮らすことが出来、戻りません。
残った者も、農業一本では生きていけません。
こんな理由で、耕作放棄地は増えています。

故郷に帰り、荒れた山河を見ます。
ここに暮らしがあり、生産したものを売り、生きて来ました。
そのお陰で、学問をさせていただき、今があります。
東北で見た耕作放棄地に感じるものとは違う感情があります。
先祖代々、土地に張り付くように生きて来ました。

定年後、都会では余る時間を使う場所が少なく、何をするにも金が必要で暮らしにくい。
終の棲家を故郷にしました。
子供を連れてこない、都合のよい選択かもしれません。
恩返しの真似事でもしたいと思いました。
返す相手は、もういません。
故郷と言えど、飲み友達もいません。
空き家となった家の庭の木をなんとか剪定しました。
先祖代々の畑や山は手つかずです。
途方もなく広く、荒れています。

手始めに、終の棲家の付属する畑や山を開墾しています。
思った以上に大変ですが、毎日畑に行くのが楽しい。
「ルーツ離れ」はいったん置くことにしました。
ルーツは、先祖伝来の土地に住みつくことだけではないと思いたい。
家族を作り、生き繋ぐことだと思います。
どこで何をしようと自由です。
しかし、気持ちが沈むのは何なんでしょう。

2022年2月10日
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友来たり、そして帰る

2022-02-04 14:49:53 | よもやま話

絵のタイトルは、「鳴門海峡夕景」です。
悲願の架け橋だった。
今は、渡る人もまばらです。


「グーグルの地図」じゃ、分からんよ。
そう言って先輩が我が家を訪ねてくれた。
近くに住む友人と飲みたいけど、どこの店もまん延防止でアルコールが出ない。
先輩の友人を我が家に招待した。
普段は酒を飲まない二人と私で、昼過ぎから始め夕方まで飲んだ。
1升五合を空けた。
先輩達は、なつかしい友人に電話をかけた。
8人かけて全員と話ができた。
まさに同窓会のようになった。
コロナで巣ごもりなのだろう。
先輩が滞在した4日間で2回もゴルフをした。
今日のタイトルは、「友来たり、そして帰る」です。
先輩とその友人に島を案内した。
山道を通り、離合困難な島の生活道を通った。
今は耕作放棄地となったが、かつては山の上まで畑だったと説明した。
島の火事は、指をくわえて見ているだけで三日三晩燃えて鎮火した。
島人は、その後消防車が入れる山道を延々と造った。
山道に観光客を呼ぼうとしたのか、名士の名前が刻まれた植樹記念碑が立っている。
荒れた山道にこれでもかと続く、日陰に佇む墓標のようである。

次の日には、30年の耕作放棄地を先輩に見ていただいた。
どうしてこうなったか。
どうすれば、元の畑になるのか説明した。
我が家の畑の開墾途中の様子を説明した。

先輩は、「もっと努力しなきゃいかんな」と帰っていった。
やっと、乗りたかったフェリーと市内電車に乗れた。
観光らしいことが少しできたようである。

2022年2月4日
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