故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ルーツ離れ

2022-02-10 05:21:50 | よもやま話

絵のタイトルは、「われ帰って来いや」です。
島人だって黙っちゃいない。
生活は、大いに進化していました。


手に蜜柑 つなぎし命 鳥に分け

我が家のインターネットが繋がれた。
20Km走って、書き貯めた数日間の記事を載せていた。
必要があってする努力なので、苦にはなりませんでした。

親離れ子離れはできても、「ルーツ離れ」(今日のタイトル)は簡単ではないと感じています。
親離れ子離れは、
60過ぎの再婚に挑戦したものの、新妻を家に迎えることが叶わず、私が家を出ることにしました。
母に倣い、子供たちを「さん付けで呼ぶ」ようにしました。
親離れ子離れの始まりになったように思います。

東北で、多くの耕作放棄地を見てきました。
何の愁いも感じませんでした。
人口が減っています。
農業機械の進歩は目覚ましく、効率のよい農業が残っています。
食料調達(外国から品質の良いものを安価に輸入)が容易になりました。
教育を受けた若者は、都会で暮らすことが出来、戻りません。
残った者も、農業一本では生きていけません。
こんな理由で、耕作放棄地は増えています。

故郷に帰り、荒れた山河を見ます。
ここに暮らしがあり、生産したものを売り、生きて来ました。
そのお陰で、学問をさせていただき、今があります。
東北で見た耕作放棄地に感じるものとは違う感情があります。
先祖代々、土地に張り付くように生きて来ました。

定年後、都会では余る時間を使う場所が少なく、何をするにも金が必要で暮らしにくい。
終の棲家を故郷にしました。
子供を連れてこない、都合のよい選択かもしれません。
恩返しの真似事でもしたいと思いました。
返す相手は、もういません。
故郷と言えど、飲み友達もいません。
空き家となった家の庭の木をなんとか剪定しました。
先祖代々の畑や山は手つかずです。
途方もなく広く、荒れています。

手始めに、終の棲家の付属する畑や山を開墾しています。
思った以上に大変ですが、毎日畑に行くのが楽しい。
「ルーツ離れ」はいったん置くことにしました。
ルーツは、先祖伝来の土地に住みつくことだけではないと思いたい。
家族を作り、生き繋ぐことだと思います。
どこで何をしようと自由です。
しかし、気持ちが沈むのは何なんでしょう。

2022年2月10日
コメント
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