故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

自分おこし

2019-10-11 07:53:45 | 故郷再生

道半ばにして、あっちに逝った「友人」です。


今日のタイトルは、「自分おこし」です。
友人の葬儀に参列した。

協力隊になって3年目を迎えていた。
移住も起業も何とかなりそうだった。
根気よく準備をしていた。
突然の死であった。
高血圧の持病があったとか。

参列していた女性と話した。
その方も協力隊員である。そして、一年目。
体験を話した。
期待されていないことに早く気づいてください。
期待されない自由にも気づいてください。
何をしてもよい。
ミッションの有無に関係なく、何をしたらよいのか考える。
私の3年間は、「自分おこし」だったと話した。

「自分おこし」とは、
自分は何がしたいのか。何ができるのか。
自分流のやりかたで試しながら、良い悪いを知ってきた。

会社勤めでは、なかなかできないことです。
指示されたことを、自分の能力で精いっぱいやることが望まれること。
地域おこしは、地域で何が求められているのかを知り、それにどう対応するか。
白紙にとりあえず字を書くような作業です。
どんなことを書きたいのか。
どんなふうに書くのか。
続けて何枚か書く。続けるも、納得できる字は書けない。

何が必要なのか、気づけず躓く。
気づいたとて、自分は何ができ、何をしたらよいのか相談する人もいない。

これならできるかと、似顔絵を描き始めた。
最初は、お会いした人の顔を覚えるためであった。
一生懸命、良いところを探す試みとなった。
描いてもらったことがないと、喜んでくれた。

これがしたいと、空き家や耕作放棄地の草刈をした。
実に気持ちがよいものであった。
誰にも手伝わせないと隠れるように続けた。楽しくて仕方がなかった。
妻は、気が振れたのかといぶかしがった。
生い茂る草や雑木の中から、使われていないカフェが現れた。
使えないかと交渉した。信用されず、交渉は難航した。

できることが増えてきた。
カフェを始めると、赤字が目についた。
材料費を抑えるために、卸を探し良いものを安く購入した。
畑を借りて、自家栽培を始めた。
初めは、収穫できなかった。店で出る生ごみをコンポストにし、畑に入れた。

すべて、やれることの連鎖のような「自分おこし」であった。
話したい人がカフェに来る。
溶け込むように暮らしを続ける。
旬の食材を使った料理は無限に広がり、味付けは深くなる。
また来たいとリピーターが増えてきた。
周りの耕作放棄地の中にある私たちの畑は元気になっていった。
畑の周りの草刈もできるようになった。
休むことはなくなった。
できることを続ける「自分おこし」である。
疲れることもなくなった。身体が丈夫になったのである。
証拠に、ゴルフの飛距離が伸びてきた。

地域おこしに経験は必要ない。
できることを根気よく続けることである。
続けることで、どんどん見えてくる。

それでよいのかと、時々は立ち止まる。
もっと、遠くを見ることが求められる。
周りに眼を配ることである。
もっとできることと、やることがあるはずである。

大根葉 間引きいただき 冬を待つ

2019年10月7日
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切ない恋

2019-10-04 07:53:49 | よもやま話

冬空の中、府中市役所の前まで来ました。
娘のブロンズ像に出会いました。
思わず、「寒くなーい」とつぶやきました。
これが、恋の始まりでした。


今日のタイトルは、「切ない恋」です。

大人の恋は、実らせてはいけない。
いろいろと不都合がありますから。

切ないとは、
悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない。
からだが苦しい。
身動きがとれない。どうしようもない。
(goo 国語辞書より)

この感覚が思い出せない。
誰にもある甘酸っぱい思い出です。
今なら、一人の女性に固執せず次に行ける。
苦しんだ挙句、一人の女性を選びました。
良かったのか、悪かったのか今に至ります。

絞り出すように思い出を書きましょう。
「私と別れることになったら、同じことをするの。」と付き合っていた彼女から問われました。
同じこととは、二度と会わぬようけじめをつけるために失礼なことをする。
私の答えは、「するだろう。」でした。
哀しそうな表情を覚えています。
そして、のうのうと生きてきました。

選んだのだから、責任をもって添い遂げる。
甘酸っぱい心情の中には、選んだ相手を幸せにできるだろうかと不安があった。
すべての敗戦の恋は、自信がなかったのです。
心配は奇遇でした。なぜなら、恋は育むことだと知らなかったのです。
当然のことながら、恋に夢中の頃は本当にわずかな期間で、あとは一生懸命の暮らしでした。
そして、一人ではなかった。常に二人でやってきた。

切ない恋は、実らない。実らせてもいけない。
中途半端な気持ちでは、続かないのです。
去る者は追わず、来るものは拒まず。
あなたで良いと言ってくれる人と添い遂げるのです。
あなたの知らない、あなたのよいところをいっぱい引っ張り出してくれることでしょう。
きっとね。
あとは、あなたが頑張りなはれ。

夢のよな 女子を抱いて 始まった

2019年10月4日
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生き残る

2019-10-03 06:48:00 | プロジェクトエンジニアー

瀬戸内海に浮かぶ小さな島の「浜辺の公園」です。
夏は、海水浴客で賑わいました。
冬は、落ちた松葉も掃かれない。
人が来なくても、松葉を掃いていたら違う島に見えたはずです。


今日のタイトルは、「生き残る」です。
同僚が死ぬこと、三度。
一人は、農薬を使って自殺をした。
死後、会社では農薬管理について厳しく検討した。
二人目は、高尾山中で首を吊った。
仕事が厳しかったと予想される。
三人目は、トイレで亡くなっていた。
翌日、警備員に発見された。
同僚の私たちが冷たいと、非難された。
三人とも、20代後半から30代前半であった。

私は、リストラに会うこと2度。
会社が赤字で、リストラが手っ取り早かった。
給料が安くて能力があった古参のものから切られた。

地域おこし協力隊員が亡くなった。
死後1週間で発見された。
起業について、積極的に動いていた。
月一回、カフェで勉強会をしていた。
唯一の癒しの場だと言われていた。

太平洋戦争に従軍した元兵士が重い口を開ける。
どの方も死線をさまよった。
残る人たちも、空襲で死んでいった。

経営者が違う人だったら、死なずに済んだかもしれない。
悪政がなければ、生き残っていたかもしれない。
政治家が変われば、白も黒になる。
国家の約束事も、忘れ去られる。

どんなことがあっても、「生き残る」ことです。
「生き残る」ことで、道が開けてくる。
一生懸命努力をする。努力が認められないのなら、そんなところはやめればよい。
とにかく、生き残ることです。
選択肢を狭くしないことです。
私達は自由なはずです。
誰かが、あなたの努力を見てくれている。
そのうちの一人が手を差し伸べてくれる。
そんな世の中であると、信じています。

明日よりも 今が見えない 朝が来る

2019年10月3日
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赤信号を渡る

2019-10-02 16:21:02 | よもやま話

「夕雲燃ゆ」というタイトルの絵です。
青信号を渡りたくないほど、赤く燃えた雲が美しかった。


今日のタイトルは、「赤信号を渡る」です。
大阪人のお客さんと飲み屋への道を急いでいた。
わずか3mの赤信号を両側を見ながら渡った。
東京人が行儀よく待っていた。そして、渡る私たちを注意した。
子供のためにならぬと言われた。
大阪人のお客さんは、青信号とて信用はできないと言われた。
赤信号と青信号、どちらも注意して渡りなはれと子供に教えるのが本当ではないだろうかと、
茶目っ気たっぷりに話した。

社会では、ルールがある。
交通の安全のために信号がある。
両側の安全を確認せずに、青信号を渡れますか。そんな危ないことはできない。
そもそも信号なんてなかった通りです。わずか3mの横断歩道に信号が必要なのか疑問です。
決めたことに文句を言うことはありません。
ルールが守ってくれる。
信用するなと言いたいだけです。

赤信号みんなで渡れば怖くない。
ビートたけしの名言です。敢えて、迷言ではなく名言と言おう。
世の中の人々の多くが、偉い人に忖度をして生きている。
部長が言うことはすべて正しい。
「時間x能力」が、私の評価と言い放った部長がいた。
ふざけんな。時間を掛ける必要はない。
能力がないものが、長く働けば評価がよくなる。こんな馬鹿なことはない。
当時部下であった私は、部長にくってかかった。
サービス残業を暗に指示しているに違いない。
定時に帰ろうとすると、偉い人が時計を見る。早いじゃないかとその眼は言っている。
こんな風景は見飽きるほど体験した。

年度初めに、上司をまじえて年度の目標を設定する。
目標をクリアーできれば、私の給料と身分は保証される。
目標に達せなければ、それなりの評価と給料となる。
営業をしている時、無理難題の目標設定を上司に指示された。
マーケッティングをして、20年は使われる機械の売れる可能性(台数/年)を示して、
無理だと言った。それでも、指示し続けるので周辺機械を売るエンジニアリングをすることにした。
機械を売らずに、エンジニアリングだけを売ることにした。
そうして食いつないできた。

目標は、時として「赤信号」である。
皆で渡ることはできないので、信号のシステム(進む方向)を変えることにした。
赤信号は渡らないけど、90度違う方向(信号は青)でも、商売をすることにした。
赤信号を無理やり渡ることはない。向きを変えれば青信号である。
顔を真っ赤にして、時にはパワハラまがいに青くしておっしゃる上司に従うことはない。

逆説的な言い方かもしれません。
そもそも「赤信号」とは、なんなのか。
黄色から変わったばかりのオレンジだったかもしれない。
世の中には、「赤信号」に覆いをして渡れという人がいる。逆もしかり。
自分の目で見て、心で感じて正しければその色が「赤」と「青」なのです。

昔の中央線を渡ろうにも、40分も開かずの信号を待ったものです。
電車が2分刻みに走るダイヤに無理があった。何十年もかかって、中央線は高架になった。
ルールそのものを見直す勇気と決断も問われるのです。

かたずけろ 親が子に言い 子が親に
 
2019年10月2日
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