「心の学級委員」というタイトルにしました。
どのクラスにも、心の支えのような子がいるものです。
独りでいる子に、自然と声をかける子のことです。
さりげなく、さりげなく。
今日のタイトルは、「伝えたいけど、遠すぎる」です。
始まりが違うだろう。
そこじゃないだろう。
心配するところは、目的は。
そんなことが問題になるとは。
現実は、そういったことから始まります。
お母さんのガミガミはいつもそうです。
子供のことが嫌いじゃないのと思うこともあります。
子供の成長を見ようとしてないのでは、
先走りしなくても、放って置けばやりますよ。
もうちょっと黙って聞いてあげたらと思います。
年代のギャップもあるでしょう。
好き嫌いの壁もあるでしょう。
想いの違いもあるでしょう。
遠すぎると感じるのは、よくあることです。
かみさんが亡くなった時、子どもとどう話したら良いかわかりませんでした。
子供から直に話を持ち掛けられても、「お母さんに話して」と言っていました。
お母さんのフィルターを通して話すことになっていました。
私の考えも、子どもの情報もすべて母親を通じてでした。
かみさんの子供への答えも、「お父さんに相談してみるね」でした。
同じ家族なのに、ややこしいコミュニケーションでした。
日頃親しくないお父さんには、子どもの心情は伝わりませんでした。
これが問題でした。子供を見ていない。何を考えているのか知ろうとしませんでした。
かみさんが亡くなるまで、双方とも気づきませんでした。
子供達には、悪いことをしたと反省しています。
これでは、物事は正しく進みません。
話すしかありません。
嫌いでも、壁があっても、うまが合わなくても話さなければなりません。
「伝えたいけど、遠すぎる」と言うタイトルでした。
遠すぎると感じるのが、始まりです。
気づいたわけですから、行動をおこします。
その方に判る方法でやるのが良いでしょう。
その方が、気持ちよくなる方法が良いでしょう。
面倒くさいですが、やらなければなりません。
地域おこしは、仕事です。
ほーほけきょ あなたも何か つたえたい
2017年2月28日
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