「ちゃんとできたがな」とういうタイトルです。
ベランダでにトマトの苗を鉢植えしました。
案外、できるものです。
今日のタイトルは、「小説が書きたい」です。
似顔絵を描いてと頼まれました。
描かせてくださいと言った限り、やらなければなりません。
こうして毎日想いを綴っています。
今気にかかっていることを、自分なりに消化(昇華でもある)する歳時記です。
本当に書きたいことは、歳時記では書き表せません。
歳時記は、書きたいことの小出しのようなものです。
でも、それが部品や歯車となり、いつか小説になります。
誰もが、一冊は書ける自伝小説です。
学生の頃、短編の読み物を書きました。
主人公(龍三)は、自分のようで自分ではない。
数年前にも短編小説「さなさん」を書きました。
2014年12月27日投稿記事「楽しいことは苦しい」と仕上げた後の感想を述べています。
こんな小さな小説でも、描き始めて最終稿となるまで3か月を要しました。
書き始めは、勢いでした。
書くごとに、主人公(伊藤)は自分を離れていきました。
自分を離れていくことで、「何を書きたいか」が出て来始めます。
歳時記と違うところです。
挿絵を描く気になったのも、
より自分のイメージを鮮明に表現したかったからです。
歳時記では書けない想いがあります。
自分を試すような挑戦(世界観)が小説です。
似顔絵は、人物観察の練習のようなものです。
この人はどういう人なのか、考えながら描いています。
忙しいは理由にはなりません。
強い想いこそ、一つの小説のモチーフでありテーマです。
辛くても、面白おかしく人生を送ることが出来ています。
小説を書くことが、恩返しの一つとも考えてもいます。
太古から 伝え埋もれし 種ひとつ
2017年11月18日
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