絵のタイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
早く気づいていれば、よかった。
姨捨が 悪いも良いも 枝を折り
今日のタイトルは、「親を捨てる」です。
私も妻も末っ子です。
兄弟がいて、姉がいる。
そして、頭が上がらない。いつまでたっても、「パシリ」です。
「親を捨てる」ことは、当然あってしかるべきです。
産まれてきて、4年(4歳)で親孝行は終わっているからです。
電話で、「兄貴に逆らうのか」と言われ、
会えば、「親の言うことを聞け」と言われる。
二十歳になる前から、そう4歳で親孝行を終えた後は、親兄弟と対等なはずです。
いやもっと前から、産まれた瞬間に「個人の尊厳」は憲法で規定され保障されている。
私は、親父に叩かれました。
親父の記憶は薄い。
私は、どんなことがあっても子供は叩きませんでした。かみさんには、はたかれました。
「片づけなさい」と、母が幼い娘をしかる。
母が歳をとったら、娘に「あれもこれも捨てたら」としかられる。
認知も進み、悪態をつく親の面倒を見たくない。
一方、80歳の老人が、50歳の息子の生活を支える話も聞きます。
ヨーロッパでは、いつまでも親元で暮らす男にガールフレンドはできない。
世界中に散らばった子供が、亡くなった母の葬儀を出すのは一年後、それまで冷凍保存する。
日本中、空き家問題で困っている。
相続しようにも解体しようにも、1000人のハンコが必要だからです。
何代も、相続していない。
私は、毎日のようにブログを綴っています。
生きれることを楽しみ、自由が損なわれる辛さを噛みしめています。
再婚を機に、私は自分の家を出ました。
出てよかった。
子供と距離を置くことができたし、関係も対等になった。
年金がこれだけあり、施設に入れてくれと息子に頼んでいる。
「あいよ、わかったよ。そうするね」と言われ、少し寂しい。
過去のブログ記事を二つだけ選びました。
「さん付けで呼ぶ」と「恩を仇で返す」です。
自分を戒めるために、子どもと自由に暮らせるために考え続けています。
2021年5月7日
<<参考記事>>
2021年3月10日付の記事「さん付けで呼ぶ」では、
「自分の子供を「さん付け」で呼ぶようになってから、世代交代を意識するようになった。
自分の家の戸主は息子になった。
子供たちを一人の成人と見るようになった。
さん付けを使い始めの頃は、「何か魂胆があるの」と子供たちに疑われた。」
(記事より抜粋)
2019年3月23日投稿記事「恩を仇で返す」では、
「子どもの親孝行は、4歳で完了する。
どこかで聞きました。
大きくなった子供に期待するのは、もう遅い。
すでに、子どもから親孝行をしてもらっているのに気づかない。
あなたが私たちの子どもとして産まれてくれて、どんなに喜んだことか。
育てるのがどんなに楽しいことだったか。
4歳の子は、すでにたっぷり恩返しを済ませている。
恩返しの途中の子どもを虐待する行為こそ、「仇で返す」他何物でもない。」
(記事より抜粋)
読んでくださり、ありがとうございました。
読者の皆さんは、「親を捨てる」ことができますか。
(筆者)
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