
絵のタイトルは、「稲荷橋」です。
爆心地から約1Kmです。
広島の中心街から広島駅に向かう途中にあります。
今日のタイトルは、「較べる幸せ」としました。
もっと、適切な表現があるのではなかろうかと始めました。
原爆が投下されて、80年が経ちました。
戦後、「原爆の子」という写真集が出版された。
当時小学生だった子供たちが書いた文章も載っていた。
いつも通りの暮らしを綴りながら、自らに突然起こったことを文章にしていた。
原爆被災の60年後、107人中24人の子供たちが追跡取材を拒否した。
被害者の立場でありながら、隠すことを選択した。
子供に恵まれても、産むことが不安でならなかった。
拒否されたことを載せなかったら、「原爆の子」を出版した意味がないと編集した写真家は言われた。
疲れた、辛いと私は投げやりになることがあります。
もっと背が高かったら、もう少しだけ美しかったらと子供心に思いました。
大人になっても、彼我の差を較べました。
老人になっても、若いころはなんでもなかったのにと嘆息します。
40歳を過ぎたころ、授かった命に責任を持つと決めたはずなのにです。
原爆による後遺症への不安は、私の想いをはるかに超える出来事だった。
被災された方は見た目元気そうなのに、手当をもらうのかと周囲から言われた。
原爆の子の一人が、遭ったものでなければ分からないと言われた。
原爆の子の想いをしっかり伝えることが使命と、写真家は広島の風景を切り取った。
幸不幸の悩みは人それぞれです。
較べることができない不幸について考えさせられました。
戦後80年の節目に、最後となる追跡取材で辿れたのは7人でした。
追跡取材のインタビューから、自らの足元を見つめなおす元気をいただけました。
2025年7月12日
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