まだ行ったことがない、
ハワイの夜空はこんな風かなと描きました。
今日のタイトルは、「夜明け」です。
オリオン座が西の空にあって、きれいだと妻が言うので
寒空に表へ出ました。
残念ながら、私の眼にはくっきりとした星座を認識できませんでした。
以前勤めていた会社にクレームが来ました。
夜、お前の会社の灯りが明るくて眠れないというものでした。
夜間は、カーテンを閉めて仕事をするようになりました。
定時は、23時15分。
それから駅まで走って、それぞれの最終電車に飛び乗りました。
22時を回っても、客先から電話がかかってきました。
明日までに見積書を提出してくれと依頼されました。
最初は、ハイハイと答えていましたが、だんだん腹が立ってきました。
朝までかかって作り上げ、一番の新幹線で、
10時の会議に間に合うように客先まで届けました。
日曜日だけは休もうと、土曜日も普通に出勤しました。
周りもみんなそんな風でした。
それでも三期連続の赤字決算でした。
10年勤めて、リストラされました。
外資系の会社に戻りました。
夕方6時には、誰もいませんでした。
利益率は、こちらの会社のほうが良かった。
リストラされる前よりも給料はあがった。
お前だけだよ。リストラされて給料をあげたのはと言われた。
外人が責任者のうちは、早く帰れた。
日本人が、責任者になるにつれて、残業が増えクレームも増えてきた。
多くの日本人がリストラされた。
ここでも、夜明けどころか3日間連続で徹夜した。
そして自律神経失調症になった。
客先の無理難題に応えようと、外資系の仕事のやり方(受注後情報提出)を
曲げようと本国と必死で交渉したからだ。
送られてくる情報は、ドイツ語とロシア語で書かれた図面だった。
3日間寝て元に戻り、本国から来た助っ人と共に客先に行った。
30人の客を前にした会議では、質問が矢継ぎ早で相変わらず無理難題ばかり。
客先の米国帰りの部長が見かねて、優先事項だけに絞ってくれた。
その仕事では、納入後クレームがついて、
ヨーロッパから一週間に3回出張してもらった。
応えてくれたのは、同一人物だった。
最初に勤めた会社で、籾殻圧縮擂潰機を開発し東北に納めた。
夜20時に機械が燃えた。消防車が20台来た。と客先から電話があった。
21時には、夜行電車に乗って翌朝大阪発YS11に乗り11時に客先に着いた。
20人のお歴々を前にひたすら頭を下げた。
わが社に全面的に非がありますと謝った。
初めてだ。お前の会社が謝るのはと許してくれた。
会社に帰って、何故謝ったと叱られた。首にはならなかった。
夜明けは、絶望の時ではなかった。
まだ生きていると実感できた。
悩み抜いた夜が明けたと思えた。
どうでもしろと開き直れた。
もしかして 明日はなきかと 暁烏(あけがらす)
2017年11月25日