故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「似島」です。
親のいない子供たちの学園がありました。
船に乗り、広島の高校に通いました。
このまま、東京まで行きたいな。
そして、毎夕この灯台を通り過ぎ帰島しました。
この灯台が、別れの一本杉でした。
’’Onley one’’が’’One of them’’に変わる。
あなたなしでは生きていけないと一緒になりました。
あばたもえくぼ。
落ち着いて周りを見渡せるほど、熱も鎮火しました。
そのころになると、「おたがいさま」(今日のタイトル)となります。
どちらも、同様に感じることのようです。
数々の失恋の反省が始まります。
力不足を思い出し、別れていったあのひとに申し訳なかった。
別れた理由を思い出し、これでよかった。
冷静になり、自分の選択肢に納得です。
割れ鍋に綴じ蓋。
一緒に暮らし始めると、不満も募ります。
体調が思わしくない、仕事が上手にいかない時に、言わなくてもよいことが口をついて出てきます。
出たものは仕方がないと、開き直り言い合いになります。
一晩寝たら、元通りです。
まことに、「おたがいさま」なのです。
俺様も、お姫様も、元をただせば孤独な独り者でした。
縁があり、努力の結果、今があります。
どうして好きになったか、思い出せますか。
思い出せる方は、果報者です。
「おたがいさま」とパートナーを許せるでしょう。
きっと、自分のことを反省できるでしょう。
「おたがいさま」と高め合えることでしょう。
そうなればよいですね。
2025年7月17日
(あとがき)
これからゴルフです。
プレイに刺激を与えるために、「10打差」のハンディをつけて競い合いました。
相手のミスをほくそ笑むようになりました。
精神的に楽しくないと、それぞれが目標スコアを設定することにしました。
自らに挑戦することで、汗をかくことが楽しくなりました。
まだまだ、続けられそうです。

絵のタイトルは、「稲荷橋」です。
爆心地から約1Kmです。
広島の中心街から広島駅に向かう途中にあります。
今日のタイトルは、「較べる幸せ」としました。
もっと、適切な表現があるのではなかろうかと始めました。
原爆が投下されて、80年が経ちました。
戦後、「原爆の子」という写真集が出版された。
当時小学生だった子供たちが書いた文章も載っていた。
いつも通りの暮らしを綴りながら、自らに突然起こったことを文章にしていた。
原爆被災の60年後、107人中24人の子供たちが追跡取材を拒否した。
被害者の立場でありながら、隠すことを選択した。
子供に恵まれても、産むことが不安でならなかった。
拒否されたことを載せなかったら、「原爆の子」を出版した意味がないと編集した写真家は言われた。
疲れた、辛いと私は投げやりになることがあります。
もっと背が高かったら、もう少しだけ美しかったらと子供心に思いました。
大人になっても、彼我の差を較べました。
老人になっても、若いころはなんでもなかったのにと嘆息します。
40歳を過ぎたころ、授かった命に責任を持つと決めたはずなのにです。
原爆による後遺症への不安は、私の想いをはるかに超える出来事だった。
被災された方は見た目元気そうなのに、手当をもらうのかと周囲から言われた。
原爆の子の一人が、遭ったものでなければ分からないと言われた。
原爆の子の想いをしっかり伝えることが使命と、写真家は広島の風景を切り取った。
幸不幸の悩みは人それぞれです。
較べることができない不幸について考えさせられました。
戦後80年の節目に、最後となる追跡取材で辿れたのは7人でした。
追跡取材のインタビューから、自らの足元を見つめなおす元気をいただけました。
2025年7月12日

絵のタイトルは、「無言で語るおんな」です。
テレビが気になり、妻の話が耳に入らない。
自分が話す番になったら、妻は居眠りです。
これって、何なの。
「聞く耳、話す目」と自分でも気づいています。
今ある状態を、いったん横に置いて、「どうしました」と何故言えない。
「聞いてもらいたい」に、正面から向き合うことから始めます。
似顔絵を描き始めてから、相手の小さな変化に気づくようになりました。
残像記憶の最たるものです。
今日のタイトルは、「野菜と話す」です。
この時期、野菜はあの手この手でアピールします。
十分大きくなったから、収穫しておくれ。
朝見たら、もう少しかなと感じたきゅうりが、夜には肥大化していた。
昼間は、葉がしおれているように見えました。
水分蒸発を防いでいたのでしょう。
その証拠に、朝露の頃はパリッとしています。
ある日、ピーマンが倒れていた。
水をやり、肥料を足しました。
もう支えきれないと、根が浮くように倒れます。
支柱を足してやると、「そうなんですよ」と元通りの元気な姿です。
水分補給しようと、毛根を伸ばす。
「いつでもくれるもの」と野菜に思わせない。
したがって、じゃぶじゃぶと水を上げない。
ほら見たことか、根腐れしたじゃない。
野菜は話さない。
野菜のアピールをより感じる猛暑です。
野菜と話すことに夢中になり、暑さで疲れたのか妻と話せない。
出会った頃に求めた、水が滴(したた)る「話す目」に向き合ってない証拠です。
朝昼晩と表情の違いに気づかない。
妻は、いつも同じと思い込んでいる。
その証拠に、奥さんの似顔絵に、「これは、誰?」と気づかない。
写真のようには復元できないけど、気づかない表情を切り取っているでしょうに。
声しか聞いてない。
その辺りにいるだろうと、空気と暮らしている。
毎日の愛してるの発信に、「聞き飽きた」と返す妻です。
それでも、口角があがったのを見逃さない。
2025年7月9日

絵のタイトルは、「鳥栖の女」です。
サロンパスの野外美術館で会いました。
夏娘のような美しい少女像でした。
朝3時に起きて、朝ご飯を作り、また寝ました。
6時に起きて、畑に出かけました。
仕事は、キウイの摘果作業です。
一枝に一玉、小さい実は落とす。
9時までかかりました。
今日のタイトルは、「暑くてもへこたれない」です。
昨日植えたさつま芋の苗23本に水をやる。
畑に埋けた暗渠から湧き出した水(牛糞、鶏糞も通過した液肥)が貯まっている。
どこから来たのか、カエル(ツチガエル)が一匹、貯水タンクに棲みついた。
貯水タンクの中には、オタマジャクシが泳いでいました。
トンボも飛んでくるから、そのうちヤゴも泳ぐことになるでしょう。
蚊が来てボウフラを産んでも、オタマジャクシが食べてくれる。
せっかくだからと、貯水タンクの水をバケツで掬い、かぼちゃ、冬瓜、牛蒡、スイカと蜜柑にかけた。
貯水タンクが空になっては、ここで暮らすと決めた生物たちが生きていけない。
梅雨明け後は、快晴の日が続きます。
川には、我田引水(山の奥から引いている)のホースから水があふれていた。
軽トラにタンク(20リットル)4個とペットボトル(総量30リットル)を我田引水ホースから拝借した。
貯水タンクを満水にしておいた。
仕事が終わったのが、11時でした。
家の周りの野菜や植木、果ては庭全体に井水を撒いて、本日の役目は終わり。
朝ご飯が、昼ごはんになった。
汗をいっぱいかいて、洗濯をしたら、お昼寝の時間です。
そして、夕ご飯。
野菜が食べきれないくらい収穫出来ました。
天ぷらにあげるのは私の仕事です。
また汗をかいて、テレビでカープ観戦しながら飲むしかないでしょう。
ゴルフ場の職員に、「見事に焼けていますね」と褒められた。
2025年7月5日

絵のタイトルは、「イチャリバチョーデー」です。
今日のタイトルは、「キーワード(Part2)」です。
私は、いつもキーワードを探しているし、情景や想いを炙り獲った大事な言葉として記憶している。
朝ご飯を作りながら、しばし考えていた。
煮びたしの予定が、佃煮になりました。
フライパンにこびり付いた煮汁を水で溶かし温め、佃煮の上にかけました。
2023年7月21日投稿記事、「キーワード」では、
「キーワードは、深くなり浅くなります。
機微に触れるからでしょうか。
本質に気づいたからでしょうか。
キーワードは日々変遷していきます。」
と書いています。
ブログを書く時、メモとは違う自分の考察を文字にしようと頑張っています。
散逸にならないよう、タイトルを決めています。
言葉足らずにならぬよう、饒舌にならぬよう気を付けています。
キーワードが私の何かを呼び覚ましました。
その何かについて、いつもおさらいをするように、考えを辿っています。
誘惑に負けて、広辞苑を引きました。
キーワードとは、
「文意などを解く上で重要な鍵(かぎ)となる語。
情報検索の手がかりとするため、その検索対象の特徴を表すものとして索引に取り出した語」
とありました。(広辞苑より)
自分にとって、キーワードは記憶を呼び覚ます、貴重な言葉かもしれない。
歌であったり、人物であったりします。
絵手紙を書き上げた後に、その絵を見て言葉を足します。
絵と言葉が一対として記憶されています。
キーワードは、記憶の扉ともいえる。
私の琴線に触れたキーワードは、さらなる喜びをもたらしてくれる。
鶏むね肉を塩こうじに漬けしばらく置くと、ジューシーで美味しくなる。
私の脳内で別の記憶、考え、発展と回線がつながる。
人生の曲がり角かもしれない。
私は、汗をかくことを、とても大事にしている。
何かに当たれば、恥もかく。
恥を知らなければ、本質が分からない。
汗がほとばしったら、洗い流す。
その繰り返しです。
キーワードが後押ししてくれる。
2025年7月4日