故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「うーん」です。
初めて上海を訪れました。
無錫で見た霞を、同僚のドイツ人はスモッグと教えてくれた。
西洋建築が立ち並ぶ通りで、中国人と思える若い娘に声をかけられた。
ちんちんマッサ、いかっすか。
教えた日本人の馬鹿野郎。
真っ白な原稿用紙を眺めながら怖気づく。
誰しもが経験した作文の宿題です。
今でも、ブログを更新するごとに胃がちじみ上がります。
今日のタイトルは、「ブログを書く」です。
先輩のうちに、定期的に旅日記が届くそうです。
最初は興味を持って読んだそうです。
そのうち、同じ下りに飽きが来て積読になったそうです。
捨てるわけにもいかず、貴重なスペースを埋めるごみとなる。
私のブログも、毒にも薬にもならぬ代物です。
たまに、「面白かったよ」と友人から励ましをもらいます。
毎日、「針が落ちて笑い転げる」ような些細な珍事に気づけません。
空ぞうきんをさらに絞るようなかすかすの記事が並びます。
じゃあ、何で書くの?
誰も読んではくれないのに、少ない読者全員が持つ感想です。
あなたも馬鹿なのね。
それなら、まだ救われます。
まだ書いてるの、飽きもせず。
こんな声が聞こえてきます。
ここまで書いてすっきりしました。
ずーっと感じていた疑問でした。
芥川賞、直木賞、さらにノーベル賞をいただいた作家まで、書けなくなって自殺を試みます。
笠置シヅ子さんのように、進駐軍が去ってブギから泣き節に代わった時にすっぱりと歌手をやめる。
書くことに行き詰ったら、書くことをやめれば良いのです。
自分に嘘をつき、世間を欺くことは格好悪いし、精神を蝕むことでしょう。
今しか書けない。
明日になったら、違う気持ちになっている。
思い出せない。
誰しも経験するジレンマです。
たけしが言う、ゴルフの上達ループです。
書いていてよいことが一つだけあります。
真剣に突き詰めるほど引き出しが増えて、誰かと話しているときパッと浮かんできます。
さらによいことは、区切りを付けられます。
日々の考えは、堂々巡りです。
これでおしまい。
私の記事は、Know-howものではありません。
読んで得することはありません。
あいつも馬鹿だね。
から、こいつ相変わらずだね。
と親近感を持っていただければ幸いです。
2024年2月3日

絵のタイトルは、「素(クールビューティー)」です。
ブギの女王・笠置シヅ子(佐古口早苗著)を読んでいる。
戦後間もないころ、帰還兵は闇市で、戦争孤児は靴磨き、戦争未亡人はパンパンを
やってしのいできた。
笠置シヅ子は、まっすぐな性格だった。
らくちょう(有楽町にGHQの本部があった)のお姉さんたちから支持された。
何故と思い、図書館に行きこの本を取り寄せていただいた。
今日のタイトルは、「素の自分」です。
寒くて、疲れて、どうしても楽なほうに足が向いてしまいます。
それでよいのですが、一方格好をつけたがる自分がいます。
以上でも以下でもなく、ありのままで生きたいと思います。
どうしてできないか。
自分は弱い。
でも認めたくない。
このジレンマです。
歳を重ねるごとに、ギャップが大きくなります。
朝起きられない、いつまでも妄想(後悔含む)に明け暮れます。
シミュレーションだけでは進まないと、すぐに起きだします。
できないゆえに、5分間で済む仕事(炊事、掃除、洗濯)を考えなしに続けます。
畑に行こうにも、道具を選んでトラックに積むことが億劫です。
なぜなら、畑しごとがきついからです。
夕ご飯で酔っぱらった後は、片づけが嫌です。
洗い水が冷たいからです。
ストレッチは、気持ちよいからできます。
筋トレは、腹筋がつらいから躊躇します。
5分だけ我慢と続けています。
ちょっとした努力でよいのです。
正しい方を向いてるだけで十分です。
何をためらっているのでしょう。
「素」でよいのです。
2024年1月19日
素とは、
ありのまま
なにも伴わないこと
(他の語の上に付けて)
軽蔑の意をこめて、ただの、みすぼらしい、などの意を表す語(素寒貧、素町人)
程度のはなはだしいことを示す語(素早い、素ばしこい)
(広辞苑より)

絵のタイトルは、「あんた誰、私ね」です。
訊かれても答えようがない。
浮き草人生に、終生つきまとう疑問です。
秋風が 沁みる汗かき 影となる
今日のタイトルは、「あんたがたどこさ(Part6)」です。
「あんたがたどこさ」と多くの記事を書いてきました。
感じるのは、人それぞれです。
興味のある方は、記事にハイライトが付いています。押してください、記事が読めます。
今回の「あんたがたどこさ」は、一昨日ゴルフコンペに出た時の感想です。
メンバーの4人は、すべて初対面でした。
大たたきをしましたが、実に楽しかった。
探るような腕自慢です。
なんのことはない。
1ホール目の最初の一打で、その人の技量がわかり、真摯に向き合う熱が伝わります。
あとは、一期一会を楽しむだけです。
昼食時間も含め、5時間も一緒にいるわけですから、およその人格と越し方が透けて見える。
広島から千葉まで2泊三日のお気楽旅でした。
ゴルフが終われば、少なくなった友と大酒を飲みました。
恥ずかしいことは何もない。
やらかした馬鹿の場数分のオンパレードでした。
寿司屋のママも笑いころげて、どこまでが本当で何が嘘か知らぬまま、ああすっきりした。
リストラされずに勤め上げたらの恐怖を話しました。
入社から退職まで、お世話になった人事通りに出世した。
出世の道筋と序列は、退職後も続く。
かつての上司が招集をかけると、瞬時にかつての部下が集まる。
家の修理も業者の手配もすぐに終わる。
中には、上司の娘との閨閥も出て、やれやれということでした。
転職することで、否応なく場数が増えました。
おかげで、管理職にもなれず、生涯現役でした。
常に真剣勝負の、菅笠集団を引っ張る渡世人暮らしとなりました。
次も呼んでもらえるか。
電車の乗り換えごとに、階段を使い。
足腰を鍛えねばと思うばかりでした。
2023年12月17日
(あとがき)
リストラされて喜ぶ馬鹿は少ない。
私は、馬鹿の一人です。
(筆者)
2020年6月14日投稿記事、「あんたがたどこさ(Part5)」では、
「あんたがたどこさ」は、案外自分の中の理想像かもしれない。
決してユートピアではない。むんむんと息吹を感じる生きざまなのだと感じています。
自分らしく生きようとすれば、そして生かせてくれれば、どこもかしこも故郷なのです。
(記事より抜粋)
2018年6月14日投稿記事、「あんたがたどこさ(Part4)」では、
この地に来て、会った方はたくさんいます。
第一印象でこんな人かなと、すぐに括るのが私の癖です。
プロジェクトエンジニアーの性のようなものです。
実は、こうなんだと、地域の方から教えていただく。
私の印象ファイルの写真の人に影が出来、動き始めます。
(記事より抜粋)
2018年2月22日投稿記事、「あんたがたどこさ(Part3)」では、
「あんたがたどこさ」の集団は、ただただ走り抜けるだけ。
笑顔は、事をなして後に見せるものと決めています。
真っ白から透明になる。
そして消えていく。
人々から忘れ去られて行く。
置き去りにされた人々は、何かが変化したことさえ気づかない。
昔からこうだったと思うしかない鮮やかな仕事ぶりです。
(記事より抜粋)
2017年10月10日投稿記事、「あんたがたどこさ(Part2)」では、
初めて行った後楽園の場外馬券売り場。
「よっ、久しぶり」と後ろから肩をたたかれました。
振り返ったら、懐かしい顔がありました。
その男に似ているが、ちょっと違う。
よもやま話のあと、「馬主を知っている」と10万円馬券の束を見せられました。
給料袋ごと預けるまで時間はかかりませんでした。
(記事より抜粋)
2014年11月12日投稿記事、「あんがたどこさ」では、
学生寮から、ちゃんちゃんこを着た若い男たちが出てきます。
皆さん、一応学生でこれから授業に行かれます。
東京に出たくて、国立一期校に入りたくても、夢が破れた面々です。
地方からの出身者で溢れていました。
(記事より抜粋)

絵のタイトルは、「かとちゃん、ぺ」です。
お母さんが怒るからやる気がなくなった。
今からやろうと思っていたのに。
どの子もいう台詞です。
かまうことはない。
だって、叱る私だっておんなじなんだから。
今日のタイトルは、「言い訳5分、片づけ5分」です。
3時に起きても、ネット記事をずるずる読んでいると4時になった。
ストーブの熱で眠気を催す。
寒いので、パジャマを仕事着に着替える。
加齢臭がまといつくシャツと靴下を洗濯機に放り込み、他の洗濯物と一緒に洗う。
台所に向かう。
野菜が使いにくいのは、洗って切ってごみを取り除くことです。
パックを開けて、レンチンしたほうが楽に決まっている。
ごみにしてなるものかと、野菜を使います。
食べきれないほど作るのが、二人の趣味です。
野菜くずと真正のごみ(牛乳パック、瓶、缶、残油、煙草の吸殻)が散乱している。
分別して玄関に出す。
玄関じゃ見た目が悪い(これ見よがし)と、ごみを納屋まで運ぶ。
洗濯が終わり、干す。
単品5分を5品(合計30分)作った。
食べきれない量だとわかりながら。
それぞれ5分の作業です。
積み上げたって、1時間未満でした。
片づけが嫌なものだから、5分で一つのネット記事を読む。
飽きたころ時間を見ると、一時間が経過していました。
馬鹿々々しいけど、それが私です。
終わったころに妻が起きだす。
冷めたコーヒーを飲みながら、自分の時間が湯気と一緒に飛んでいく。
2023年10月24日

ある経営コンサルタントが考えた「ものさし」という図式です。
勉強をして優秀な人材は、「お利口さん」として使い捨てされます。
センチュリーカンパニーを世間に負けない「変人」が再生し続けます。
まれに、「成功者」は周りの者たちによって裸の王様に祭り上げられます。
どこを目指すかは、あなた次第です。
今日のタイトルは、「動く船に目印」です。
エンジニアリング会社にいる頃、教育プログラムを始めました。
後輩のエンジニアリング能力向上教育の一環として、上司の許可が出ました。
仕事が終了した後に1時間~2時間、週一回のペースで実施しました。
エンジニアリングは証拠を書類で丁寧に残します。
中には、メモ魔がいます。
大事な話をその場で学ぶより、記録に残すことを選択します。
そんな後輩を揶揄したわけではありません。
よく釣れた場所を忘れないよう、川に浮かべた船に目印をつける釣り人がいました。
中国のことわざだったように記憶しています。
船は常に動いている。
川も流れている。
なのに、船に目印をすることは愚行です。
東大の図書館の司書をしておられた先輩から、聞いた話でした。
卒業しても就職せずに図書館に通う人が、100人はいる。
各種国家試験を取得するために、日夜勉強をしている。
国家試験に受かって、何かの職業に就くわけではありません。
テストの点数でしか自分を評価できない人たちのことでした。
結婚がゴールと言われる方たちがいます。
こんなに素晴らしい伴侶を見つけ、モノにしたと自慢する。
単なるスタートだったと気づくのに時間はかかりません。
勘違いというか、考え違いというか、本質から遠のくばかりです。
議事録を作ろうと、教育プログラムを許可してくれた上司のノートを借りました。
何時間も話して、メモはたったの2行でした。
決まったことだけを記録されていました。
会議で、人の話を聞き、自分の理解を深めることに集中されていたのでしょう。
私も多くのごみをため込んでいます。
すっきりさせたいので、インデックスを付けたり整理術から始めました。
我が家は博物館ではありません。
不要なものは、早々に捨てておくべきだったのです。
2023年10月14日