楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

インド旅行―生きるを訪ねて(インド紀行1)

2020年11月21日 04時38分20秒 | 海外旅行1
(インド旅行/これは2006/9月の事です)

前回、インド紀行の予告編でお判りと思いますが、
これからが本番です。
どうぞお楽しみください。

生きるを訪ねてインドを旅してきました。
インディラ・ガンディー国際航空から外に出ると、人人人・・・・、
十億の民の視線を浴びました。
なんと沢山の人たちがいるのだろう、
夜でもありそのままホテルへ。


(インディラ・ガンディー空港)


(インディラ・ガンディー空港到着の日航機)

翌朝、テロ事件があったばかりのデリーを観光。
12人のツアー客に3倍ほどの物売りが殺到しました。
それもやや汚れたTシャツにサンダル履き。

加えてもっと汚れた衣装を身につけ、
裸足で、髪は汚れ、何か言いながら、
汚れた手を差し出す子供たちの群れ。


(市街地の状況1)


(市街地の状況2)

何を言っているのかガイドさんに聞くと、
当たり前のことだがインドの言葉で
「おめぐみを!」 と言っているとの事。
これについては、観光客の自主にお任せしますと、
最初に念を押されていた。 

その他注意されていたのが、衛生上の問題。
コレラ、マラリア、下痢、発熱。
 旅行準備の注意書きにもあったが、飛行機が飛び立つ前に、
一人当たり50枚の消毒用のアルコール綿を旅行社から手渡されていた。
生水はもちろんのこと、生野菜のサラダ、皮をむいた果物、
アイスクリーム、フレッシュ牛乳、etc.
火を通さないものは絶対ダメ。


(ゴミの中から食べ物をあさる人)

歯磨き、うがいも、購入したミネラルウォーターで、
それこそホテルのドアーから、トイレのドアー、
列車バスの乗り降りの取っ手まで、触れたら消毒をする。
もちろん食事前の手の消毒は言うまでも無い。
ツアー客の三分の二は旅行中に下痢症状を訴えると言う。

「おめぐみを」の声を無視していると、
猿の手のような汚い手で触ってきて注意を惹こうとする。

物売りはしつこく食い下がってくるが、
ガイドさんは同じインド人として仲間だから、
「向こうへ行け!!」
とは云えませんという。
(バナナ・その他の売り子)

イギリス領であったインドは、おおよそ誰もが英語を話せ、
理解できるというので、
「ノー!」と追い払ったつもりが、どんどん食い下がってくる。

嫌がらせメールと同じで、
一度反応を示すと、(見込みあり)で、
これでもか、これでもかと、
余計しつこく食い下がってくる。
無視するのが一番良いようである。

物売りはインド人に寄り付かない。
いや寄り付くのだが、誰にも分からないように拒否する。
腕を組んだまま、脇の下で、手のひらを左右に振る。
それを見て物売りは引き下がる。
物売りは、ダメをあらわす仕草の手のひらを振ると、
引き下がっていくが、物乞いの子供は引き下がらない。
やっぱりインド人にはねだらない。

持てるものは、貧しいものに
「おめぐみを」提供するのは当たり前の土地柄。
貧しいものは富める者から「おめぐみを」貰う権利がある国。

ボクがボールペンを胸のポケットに二本挿していると、
(お前は二本持っているが俺には無いからこれは俺のもの)と考える。

五体満足の乞食はまだしも、腰から下の自由が利かず、
体を手で引きずりながら移動する乞食が、
上を見上げて片手を差し出す姿、
大きな澄んだ目で物乞いをされて、
哀れに思わない人はいないに違いない。
こんな乞食の後ろには、五体満足の人が見張っている。
乞食は「おめぐみを」受けるやすぐに、
その管理者(?)に「おめぐみ」を渡している。
子供の乞食の近くには、
親が見張っていたりする。
(物乞いの子供の後ろにいる親/ボクの作ったDVDから)


(デリーの人々)
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ボージョレー・ヌーボー

2020年11月20日 20時38分58秒 | 日記
ボージョレ―・ヌーボーの声、なんて久々に聴く。

一頃、今年出来た新酒のワインを11月19日に解禁になると言うので、
一足、早く飲みたいという、
「ノンベェー/呑む兵衛」がいて、
日本へ到着する前に飛行機の中で飲もうという輩が出てくるほど、
もてはやされた時期があった。
もう昔の話だ。

所が、いつもならどこかのバーで何やらわけのわからぬことを言って、
今年のワインは辛口だの甘いのと言う人達も、
今年、流行の新型コロナは勝てず、
やむなく家の閉じこもることになって、
家でゴロゴロして居たら、思わぬスーパーのチラシに、
ボージョレー・ヌーボーが載るや、
普段行きもしないスーパーに、
今日は行くぞとカミさんを驚かして、
カミさんには内緒でヌーボーのワインをそっと買い物かごの中へ・・・

いつもなら飲み屋で、
ワインについて、知ったかぶりの能書きを、
聞きたくもない様子のカミさんにたっぷり聞かせて、
悦に入って居る亭主の顔―ボクの顔?
それを見たいものだと、

孫がLINEでメールを寄こしたと、
誰かさんが話している。

(そのボージョレー・ヌーボー)


出かけたくとも、コロナが怖くて、
出るに出られぬ男の嘆き節・・・・
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ハゼ釣りー釣り道具ー断捨離?(2)

2020年11月19日 16時34分55秒 | つれづれなるままに考えること
「けたハゼ釣り」は諦めて、誰でもできる夏ハゼ釣り。

書物に夏のハゼについては、「乗りで釣る」と書いてある。
夏のハゼは、食い意地が張って居て、誰でも釣れる。
若い女の子なんかも釣りに来るくらいだと言う。

だから「ハゼに始まり、ハゼに終わる」なんて言う。

しかし、夏ハゼと言っても、
そう簡単には釣れないことをボクは知って居る。
上に書いた「乗りで釣る」と言うのが解らなくて、
東京湾のハゼがいる海に出かけた。

到着した時はちょうど満潮の時間帯で、
竿に餌を付けて投げ入れても、ハゼはいっこうに釣れない。
諦めて橋桁のある浅瀬まで行ったら、
ハゼが見える所にいるではないか。
ハゼの口元に好物のゴカイを垂らしても見向きもしないのだ。

何度同じことを繰返しても、
変わらないので諦めていたら、
海の様子が少し変わって来た。
満潮が終わり引き潮になって来たのだ。

海が動き、海水が動き出すと、
今まで居たハゼたちが動き出し、
少し深い砂地へ移って居ったが、海が綺麗で透けて見える。
見える魚は釣れないと言うが、餌を垂らして見る。

ゴカイの付いた針を下すと、
ハゼの一匹がぱくりと食いついた。

しかしじっと動かない。
周りに居た別のハゼが近寄って来ると、
ゴカイを咥えたハゼがさっと動いた。
咥えた餌を横取りされないようになのか・・・・。

この時、竿先にブルッと手応えがあった。
竿を上げたら、当然のことであるが、ハゼがかかって居た。
そこで、別の場所に移動して、釣りを始めると、
こんどは、たびたび手応えがあってハゼがつれる。

つまり満潮の間は、海が動かず、
ハゼはジッとして居るだけのようだ。
引き潮(或いは満ち潮)で海が動き、
水がかき回されると、ハゼは食欲旺盛になって来る、
そんな気がした。

そこで「乗りで釣る」意味が少し解った。
ハゼは最初、餌を咥えるだけで、その後のみ込んで移動する、
この移動する時、ブルッと手応えがあるのだが、
釣り上げるとハゼは針ごと餌を飲み込んでいる。
飲み込んで腹に入ってしまった針を取るには、
すこぶる面倒であることを、釣りをしたことのある人は、
ご存知のはずである。

餌をハゼは最初はくわえる状態で、
次に餌を飲み込んで、移動する、
この観察から、ハゼが餌を咥えた時に釣り上げれば良い、
これが「乗りで釣る」と言うことに違いないと判断した。

ハゼが餌の上に乗ったような感じがしたら、竿を上げる。
これが「乗りで釣る」と言うことに違いないと確信して、
夏のハゼ釣りに友人と出かけた。

始めは「乗りで釣る」感触が解らず、相変わらず、
「ブルッ」と、くる手応えで釣っていたが、
針は餌ごとお腹に入っていて、針を取りだすのに手間取っていた。
その内、錘(おもり)と竿先へつながる糸を、
ピーンと張り詰めると、
錘りが微かに重くなることが有ったので、
竿を跳ね上げると、なんとハゼがかかって居た。
それもお腹に針があるのではなく、
針はハゼの上あごにかかって居た。

この感触が「乗りで釣る」ことに違いないと、
次に入れた竿が同じ微かな重さを感じたら、
竿を上げると同じようにハゼが釣れて、
しかも針はハゼの上あごににかかって居るではないか。
魚の口から簡単に針を外して、また海へ餌を投げる。

友人はと見ると釣り上げた魚から、
四苦八苦して針を外している。
友人が一匹処理する間に、ボクは三匹処理できる。

しかし釣り上げるタイミングがすこぶる微妙で、
全神経を指先にかけて、合図を知らなければ釣れない。

それにしても「乗りで釣る」タイミングが解ったため、
釣果ははるかに多かったことだけは事実である。

しかしハゼは食べるのに天ぷらか、
白焼きにして正月の雑煮のダシ程度しか、
ボクは知らないので、
以後二~三回ハゼ釣りはしただけで終わってしまった。


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釣り道具ー断捨離?(1)

2020年11月17日 04時48分07秒 | つれづれなるままに考えること

釣り道具を処分しようと、
「釣り道具買います」へ電話することにした。
しかし肝心の道具が、押し入れの奥に入って居り、
取りだすのに、すごく手間がかかりそう。

釣り道具を捨てる覚悟が出来て、
思いだすことは多い。

「釣りはフナに始まりフナに終わる」と言うが、
これは川魚のこと。竿に伝わる感触の手応えが豪快で、
一度この醍醐味に取り付かれると忘れられない。

一方で海の魚はなんて言うのだろうと思ったら、
「ハゼに始まりハゼに終わる」と言うと友人が話していた。
「ハゼは川魚では?」と言ったら、

川ハゼが海へ出て、卵を産みその卵の周りで卵を守る。
そのハゼ釣りが、なかなか釣るのに苦労する。
それがハゼ釣りの終わりの方のだいご味という。

それで終わりの方のハゼ釣りに出かけた。
小さな船に乗って海に出るのだ。
釣り客はおよそ10人くらい。

中に結構年配と思しきオジサンが、
自前の古びた竹竿と魚篭を自転車につんでやって来た。

舟が少し沖に出て、「ハイ、始めましょう」と
船頭さんの掛け声で、皆さん竿を一斉に垂れる。

そうこうして、およそ4時間くらいで白波が立ってきたからと、
竿を収めて船が帰港の途に着く。

その間に、本日の釣果の話で盛り上がるのであるが、
一番は、古竹竿で自転車のオジサンが44匹で最高。
ボクはたった4匹。

悔しいことこの上ない。
帰ってハゼ釣りの極意書を図書館で借りて読む。
産卵のため、やや深い海底にいるハゼ釣りは、
「落ちハゼ」あるいは「けたハゼ」と言って難しい、
と書いてある。

悔しいが「けたハゼ釣り」は寒いことだし、諦めた。











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外国の トイレ事情(インド紀行 予告編 2)

2020年11月14日 04時32分57秒 | 海外旅行1
日本に来る外国人は、和式トイレに入って、
いわゆる金隠しの上に座って用を足そうとする人がいるそうだ。

上野の谷中(地名:やなか)にある純日本風旅館の主人が語っていた。

この旅館は、日本風であることと、
おもてなしの心に溢れた旅館として、
ネット上で欧米人の評判になった旅館である。

銭湯も和式のトイレも、
欧米人から見れば変っているもののようだが、
日本を理解する上で、大切なものだそうだ。
湯船に入る前にすそを洗い身体にお湯を流すと聞くと、
途端に安心して湯船に浸かると言う。
欧米では入浴は一人でするものらしい。

欧米のトイレは椅子式で、日本もずいぶん洋式が増えた。
でも、この旅館は和式を洋式に替えることはないという。
勿論、畳に布団をべッドにするなんてことはしない。
隣の部屋との仕切りの襖も、これも壁に替えることはしない。
何故ならこの和式の魅力を感じて泊りに来る外国人が多いからだそうだ。

アジアのトイレ事情は日本人も驚くことが多い。
お隣の中国では、便器に金隠しは無く、
ドアを開けてどちらを向いてかがめばよいか解からない。
日本では、ドアを開いて奥に向って用を足すので、
中国でも同じと思って用を足すと、それは間違い。
中へ入って、ドアー側に向き直り用を足す。
外から外敵に襲われた時の用心だと言う。
第一ドアーに鍵がないのだ。

ボクが旅行を始めた時の、中国ではドアーが無かった。
衆人の中では、大も小も、とても用は足せない。
一瞬であるが、前立腺肥大を疑った。

次がトルコ。
ここは椅子式の座って用を足す方式。
何が違うかと言うと、用を足した後の始末の仕方が違う。
日本では終わった後、トイレットペーパーでお尻を拭くが、
トルコでは、ホテルでも紙は無く水道のホースがあり、
ホースをお尻に向けて水を流し、左手で洗う。

古い遺跡を訪ねて、そこに公衆トイレがあった。
ベンチのように長い椅子があり、
ポーランドのアウシュビッツの捕虜収容所のトイレのように、
お尻を乗せるところに丸い穴が幾つも開いている。

穴を覗くと、はるか下のほうに川の流れがあり、
そこへ用を足したものを落とす。
落としたものが水しぶきを上げても、
お尻までは届かないほど深い。
川への落し物は、住んでいる魚の餌食(?)になるのだろうか?

用を足した後の始末であるが、
座っている足元にせせらぎがあって、
せせらぎから左手で水を掬ってお尻を洗う、
そのように出来ていると、
若くて美しい金髪のガイドさんが実演しながらの説明であった。
さて、ここで言う左手と言うのが大切なことで、
トルコ人は食べ物を絶対左手では持たないのである。

日本人が誤って左手で食べ物を渡すとなると、
どんな反応が待っているのだろう・・・・。

考えただけでも楽しくなる。


(作業に出かける前に座らせた
 アウシュビッツ強制収容所のトイレ、
 二列になっているが、
 前後左右には仕切りがあった跡がある。)

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