連日の暑さに負けてはいられない。
今日の予報では最高気温31℃、陽が照り付ける午後14時頃、
ボクは病気予防のための散歩は欠かせないので歩くが、
その散歩途中、ボクは汗でシャツが絞れるくらいなのに、
ある会社の前で、就活の女性に出会った。
濃紺のスーツにタイトスカートで、
足元を見るとソックスをきちんと履いている。
レディの身だしなみだ。
この暑いのにご苦労様なことだと、そう思った。
ボクはこの姿を見て、自分が若かった頃のことを思い出した。
高校を頑張って、良い成績で卒業したからと、
国立大の法学部、競争率6.5倍の受験に見事失敗した。
なぜ法学部? 実は父が警察官だったからだ。
当初、理系の受験を目指していたが、
色弱と言うことが解って、理系はすべて資格がないことを知った。
正確には、第二色覚者で赤色が見難いのだ。
色弱の話は、いずれまた記すことにする。
そこで、まだ募集していた私立の大学が、
優れていると言うので受験して幸い合格した。
そして一年が終わった時に大学からお手紙が来て、
三年生の編入試験を受けてください、
合格したら三年に進級して下さいと言う内容だった。
大学の1,2年生は教養課程で、
各高校から来た種々雑多な生徒の知能レベルを、
同レベルに引き上げる課程なのだ。
編入試験の結果、三年の専門課程に進学した。
そして卒業の時、冒頭に書いた就活があった。
就職難の時で、
特に学卒は給料を多く出す必要が有ったので、
採用を見送る会社が多かった。
競争率44倍の試験に見事落ちたが、
この会社から紹介を受けて就職に有りついた。
初任給は安かったが、ボーナスが非常によく、
月給の年収ほどのボーナスが夏冬にでた。
その内、年ごろになり、縁談が沢山あった。
上司から、取締人事部長から、他部課の課長さんから、
下宿先のおばあちゃんから、知り合いのタクシー会社の社長さんから、
東京都心の大地主から、などなど、全部お金付きの話であった。
ボクの父親が養子縁組で結婚しているから、
お金につられて結婚なんて、まっぴらであった。
「男子志を立て郷関を出ず」で、
自分の人生は自分で切り開くと決めていたので、これらの話はすべて断った。
それでも、母親から言われていた、
「縁談が降るように来た時が覚悟の決め時だよ」と、
言われていたので、それから結婚相手を探した。
そして今がある。
書き始めから読んで行くと、
ボクの人生は、選択の人生だったように思う。
理系か文系かで文系になり、
国立から私立へ、
メーカーから―商社へ、
商社で、嫁さんを八つの縁談を蹴って、
別の選択をする。
その選択の都度、一所懸命に対応し、今を生きて来た。
どのようにしても、それ以上のことはできないことが解っていて、
現在を十分満足している。
定年後やりたいことは、二十近くあった。
そのうち、どれも全う出来ていない。
海外旅行は目標の105か国(国連加盟の半分)は、
60か国でカミさんが乗り物酔いになって挫折。
70歳代には日本国内の各県を訪ねるは、
四国と南九州がまだ残っており、
80代には東京の各区の名所旧跡を訪ねるは、
どこまで出来るやら、最近では足腰に自信が無くなって来ている。
如何ともし難い、
で終わってしまうのだろうか。
今日見た就活のお嬢さんを見ていて、
貴女にも、いつの間にか終活が忍び寄って来るのですよ、
そのように言ってあげるのは、
余りにも夢がなさすぎ、酷であろうか・・・・。
もう八月は終わった。
やがてクリスマスがやって来て、正月がやってくると、
いや応なく、歳を取る。
そうこうしてまた一年が過ぎる・・・・。
そして一生も・・・・
今日の予報では最高気温31℃、陽が照り付ける午後14時頃、
ボクは病気予防のための散歩は欠かせないので歩くが、
その散歩途中、ボクは汗でシャツが絞れるくらいなのに、
ある会社の前で、就活の女性に出会った。
濃紺のスーツにタイトスカートで、
足元を見るとソックスをきちんと履いている。
レディの身だしなみだ。
この暑いのにご苦労様なことだと、そう思った。
ボクはこの姿を見て、自分が若かった頃のことを思い出した。
高校を頑張って、良い成績で卒業したからと、
国立大の法学部、競争率6.5倍の受験に見事失敗した。
なぜ法学部? 実は父が警察官だったからだ。
当初、理系の受験を目指していたが、
色弱と言うことが解って、理系はすべて資格がないことを知った。
正確には、第二色覚者で赤色が見難いのだ。
色弱の話は、いずれまた記すことにする。
そこで、まだ募集していた私立の大学が、
優れていると言うので受験して幸い合格した。
そして一年が終わった時に大学からお手紙が来て、
三年生の編入試験を受けてください、
合格したら三年に進級して下さいと言う内容だった。
大学の1,2年生は教養課程で、
各高校から来た種々雑多な生徒の知能レベルを、
同レベルに引き上げる課程なのだ。
編入試験の結果、三年の専門課程に進学した。
そして卒業の時、冒頭に書いた就活があった。
就職難の時で、
特に学卒は給料を多く出す必要が有ったので、
採用を見送る会社が多かった。
競争率44倍の試験に見事落ちたが、
この会社から紹介を受けて就職に有りついた。
初任給は安かったが、ボーナスが非常によく、
月給の年収ほどのボーナスが夏冬にでた。
その内、年ごろになり、縁談が沢山あった。
上司から、取締人事部長から、他部課の課長さんから、
下宿先のおばあちゃんから、知り合いのタクシー会社の社長さんから、
東京都心の大地主から、などなど、全部お金付きの話であった。
ボクの父親が養子縁組で結婚しているから、
お金につられて結婚なんて、まっぴらであった。
「男子志を立て郷関を出ず」で、
自分の人生は自分で切り開くと決めていたので、これらの話はすべて断った。
それでも、母親から言われていた、
「縁談が降るように来た時が覚悟の決め時だよ」と、
言われていたので、それから結婚相手を探した。
そして今がある。
書き始めから読んで行くと、
ボクの人生は、選択の人生だったように思う。
理系か文系かで文系になり、
国立から私立へ、
メーカーから―商社へ、
商社で、嫁さんを八つの縁談を蹴って、
別の選択をする。
その選択の都度、一所懸命に対応し、今を生きて来た。
どのようにしても、それ以上のことはできないことが解っていて、
現在を十分満足している。
定年後やりたいことは、二十近くあった。
そのうち、どれも全う出来ていない。
海外旅行は目標の105か国(国連加盟の半分)は、
60か国でカミさんが乗り物酔いになって挫折。
70歳代には日本国内の各県を訪ねるは、
四国と南九州がまだ残っており、
80代には東京の各区の名所旧跡を訪ねるは、
どこまで出来るやら、最近では足腰に自信が無くなって来ている。
如何ともし難い、
で終わってしまうのだろうか。
今日見た就活のお嬢さんを見ていて、
貴女にも、いつの間にか終活が忍び寄って来るのですよ、
そのように言ってあげるのは、
余りにも夢がなさすぎ、酷であろうか・・・・。
もう八月は終わった。
やがてクリスマスがやって来て、正月がやってくると、
いや応なく、歳を取る。
そうこうしてまた一年が過ぎる・・・・。
そして一生も・・・・
素晴らしい人生を送ってこられていますよね。
羨ましいです。(笑)
8つもの縁談を断られた理由はよくわかります。
奥様のような美人で賢い人は、ざらにいません。
素晴らしい選択でした。(笑)
少しトラブルを残したくらいがいいのでは?
すべての人が選択をしながら生活をしています。
その選択に間違わないよう、
masamikeitasさんのように勉強しないといけない、
そう思います。
トラブルですね。少し考えて置きます。
大阪の8月の猛暑日が23日間でこれは
観測史上での新記録だとか。
昨日の最高気温は33.9度でしたからやはり暑っかったです。
私も初任給の3倍ぐらいのボーナスを貰った
記憶が有りますよ、当時はどこの企業でも
給料は安いけど、ボーナスが楽しみだったかも?
その後、所得倍増だとかの時代がきて給料が
本当に2倍に成って驚いたのが実感でしたかな。
月給の年収ほどのボーナス、というのも凄いです! これも私の周辺にはいません・・・
全部お金付きの8もの結婚話、これまた私の周辺にはいません・・・
60か国の海外旅行、またまた私の周辺にはいません・・・
私は、余り選択の余地のない人生を歩いて来たので、hide-sanの様な選択肢の多い素晴らしい人生は、正直、羨ましいです。
私は子供のころ、あるところにたくさんの蝋燭があって、灯がともっている。それが消えるとき、誰か人間がひとり天命を終えるという内容の本でした。
誰の作品かは覚えていませんが、天命というものはあるのかと漠然と感じました。
だから、今を生きているのは、「まだ生かされているのだ」と感じます。
明日はどうなるかわからない。
だから不安でもあり、希望もある。
今を懸命に生きる。それしかないように思えます。
私の半生は地味です。でも、それなりに生きてきました。
就活も、終活も、思い通りにはならない。
だから、人生は一度きり懸命に生きる姿勢が大事なのかなと思いました。これはひでさんから教えていただいことですよ。ありがとうございます
お元気そうで何よりです。
明日は社友会ですがゴルフに行くので欠席です。
相変わらずゴルフが中心ですが元気です