(教授回診)
大学病院に一週間入院していると、ある曜日に教授回診がある。
当日は、朝から受け入れの準備に忙しい。部屋の掃除から、ベッドの清掃、患者はいつでも診察が受けられる体制でベッドに横たわる。
教授回診が行はれる30分前に、病棟を一回りすると、患者は一様に浴衣かパジャマ姿で、ベッドで静かに横になっている。一人として、立ち上がっていたり、お茶を飲んでいたりするものは居ない。
ちょうど、朝の魚河岸で、せりが始まる寸前のマグロのようにゴロンゴロンと転がっているようだ。マグロは、張りがあって艶があって見栄えがするが、年老いた人間がゴロゴロしている様なんぞ、シシャモの、しかも、子持ちでない、干からびたとても売り物にはなりそうも無い干物みたいなものである。
なんだか、どこかの大統領か、皇族が見舞いに来る、そんな受け入れ態勢である。
さて、教授がやってくると、担当医師が患者の前で待っており、その病状を教授に告げる。教授は「うむうむ」と聞いてから、やおら聴診器を患者の胸にあて様子を伺う。
「どうですか?」
「今日は、すこぶる快調です」と患者。
「お大事にしてください」で終わる。
担当医師に聞くところによれば、前日全担当医が、回診する全患者について、病名と現在の治療状況を教授に報告して今後どのような治療方針でのぞむかを述べ、それに対して更に良い治療方法が無いか検討するという。したがって、回診教授は、患者の前では、この患者は、どんな状態にあり、どんな治療をしているか、予め承知の上診察しているという。
そこで、意地悪ではあるが、担当の先生方に質問した。
「教授回診には、どんな意味があるのですか?」
医師 1 「セレモニーでしかありませんよ!」
医師 2 「専門の医療について現在の治療方法は最適か、もっとベターな方法はないか、薬の量の限度はどれだけか?自分の専門外のところで意見を聞く」
医師 3 「若い医師に診察のあり方を教授する」
医師 4 「患者への接し方と内診のやり方を教授する」等など....
ある教授回診の日、隣のベッドのMさんの番が来たとき、患者病状の説明が悪かったのか、あるいは、何ヶ月も同じ病状で何も進展していないのに腹が立ったのか、教授が、声を荒げて
「レントゲン写真を見せてください。」
「これで何が分かりますか」矢継ぎ早に若い医師に質問を浴びせた。質問された医師は、返事に詰まって、
「....」
「このレントゲン写真では、何も分からない。以前の写真となんら変わりが無い。今大学には、高価な何億円もする最新のレントゲン機械が購入されているのに、それを利用して新たな治療に役立てようという気にはならないのですか?」と患者の前で叱咤した。
若い医師は、黙ったままであったが、これは、何の進展も無い患者へのデモンストレーションであったのか、あるいは、持っている機械はフルに活用して治療方法を見つけ出しなさいという意味か、はたまた、教授の権威を見せびらかしたのか、定かではない。
ボクの目には、「遅まきながら今から、良い治療法を見つけますからしばらくお待ちください」と言外で、患者にお詫びしているようにとれた。
教授回診は、
1)この患者に、現在施されている治療方法は最適であろうか?
2)さらにもっと良い治療方法は無いかを原点に返って模索する
3)若い医師に診察のあり方、患者への接し方を覚えてもらう。
にあるようだ。医療の原点をいつまでも忘れず、週に一回ではあるが、若い医師たちに何時までもこの気持ちは忘れるではないぞと厳しく諭し、自らをも律しているように見えてならない。
医者は、絶えず患者に最良の医療を施すのが使命である、と思うのはボクだけであろうか?
今ボクは月一回、通院して教授の診察を受けています。そこで教授回診の意義を尋ねたら
「患者に対して最終責任を持っているため、現場の主治医の報告だけではなく、実際に指示した治療が着実に行われているかの確認」もあるとのことです。
入院中の患者の皆さん!教授回診を面倒くさがらず、受診しましょう!
そして、日ごろ治療に関して疑問を持っていることをどしどし質問してみましょう!
それが若い先生を育て、自分に施されている医療がうまく行っているかの確認にもなります。
大学病院に一週間入院していると、ある曜日に教授回診がある。
当日は、朝から受け入れの準備に忙しい。部屋の掃除から、ベッドの清掃、患者はいつでも診察が受けられる体制でベッドに横たわる。
教授回診が行はれる30分前に、病棟を一回りすると、患者は一様に浴衣かパジャマ姿で、ベッドで静かに横になっている。一人として、立ち上がっていたり、お茶を飲んでいたりするものは居ない。
ちょうど、朝の魚河岸で、せりが始まる寸前のマグロのようにゴロンゴロンと転がっているようだ。マグロは、張りがあって艶があって見栄えがするが、年老いた人間がゴロゴロしている様なんぞ、シシャモの、しかも、子持ちでない、干からびたとても売り物にはなりそうも無い干物みたいなものである。
なんだか、どこかの大統領か、皇族が見舞いに来る、そんな受け入れ態勢である。
さて、教授がやってくると、担当医師が患者の前で待っており、その病状を教授に告げる。教授は「うむうむ」と聞いてから、やおら聴診器を患者の胸にあて様子を伺う。
「どうですか?」
「今日は、すこぶる快調です」と患者。
「お大事にしてください」で終わる。
担当医師に聞くところによれば、前日全担当医が、回診する全患者について、病名と現在の治療状況を教授に報告して今後どのような治療方針でのぞむかを述べ、それに対して更に良い治療方法が無いか検討するという。したがって、回診教授は、患者の前では、この患者は、どんな状態にあり、どんな治療をしているか、予め承知の上診察しているという。
そこで、意地悪ではあるが、担当の先生方に質問した。
「教授回診には、どんな意味があるのですか?」
医師 1 「セレモニーでしかありませんよ!」
医師 2 「専門の医療について現在の治療方法は最適か、もっとベターな方法はないか、薬の量の限度はどれだけか?自分の専門外のところで意見を聞く」
医師 3 「若い医師に診察のあり方を教授する」
医師 4 「患者への接し方と内診のやり方を教授する」等など....
ある教授回診の日、隣のベッドのMさんの番が来たとき、患者病状の説明が悪かったのか、あるいは、何ヶ月も同じ病状で何も進展していないのに腹が立ったのか、教授が、声を荒げて
「レントゲン写真を見せてください。」
「これで何が分かりますか」矢継ぎ早に若い医師に質問を浴びせた。質問された医師は、返事に詰まって、
「....」
「このレントゲン写真では、何も分からない。以前の写真となんら変わりが無い。今大学には、高価な何億円もする最新のレントゲン機械が購入されているのに、それを利用して新たな治療に役立てようという気にはならないのですか?」と患者の前で叱咤した。
若い医師は、黙ったままであったが、これは、何の進展も無い患者へのデモンストレーションであったのか、あるいは、持っている機械はフルに活用して治療方法を見つけ出しなさいという意味か、はたまた、教授の権威を見せびらかしたのか、定かではない。
ボクの目には、「遅まきながら今から、良い治療法を見つけますからしばらくお待ちください」と言外で、患者にお詫びしているようにとれた。
教授回診は、
1)この患者に、現在施されている治療方法は最適であろうか?
2)さらにもっと良い治療方法は無いかを原点に返って模索する
3)若い医師に診察のあり方、患者への接し方を覚えてもらう。
にあるようだ。医療の原点をいつまでも忘れず、週に一回ではあるが、若い医師たちに何時までもこの気持ちは忘れるではないぞと厳しく諭し、自らをも律しているように見えてならない。
医者は、絶えず患者に最良の医療を施すのが使命である、と思うのはボクだけであろうか?
今ボクは月一回、通院して教授の診察を受けています。そこで教授回診の意義を尋ねたら
「患者に対して最終責任を持っているため、現場の主治医の報告だけではなく、実際に指示した治療が着実に行われているかの確認」もあるとのことです。
入院中の患者の皆さん!教授回診を面倒くさがらず、受診しましょう!
そして、日ごろ治療に関して疑問を持っていることをどしどし質問してみましょう!
それが若い先生を育て、自分に施されている医療がうまく行っているかの確認にもなります。
なにより、担当医には刺激になるように思えます。
医学は「人の病の治療と予防の探究にあります」