楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

板橋宿の文殊院と板の橋

2020年02月01日 04時19分23秒 | つれづれなるままに考えること
板橋宿は、三つの宿場に分かれている。

江戸側から、平尾宿、仲宿、上宿である。

平尾宿から仲宿に入り、

本陣家跡の標柱がある先にスーパーライフがあり、

その先を右折したうぐ左側に文殊院はある。

(文殊院)


先に板橋宿の本陣の飯田家の話を書いたが、

文殊院は写真の左手にある延命寺像尊の境内を広げて、

本陣の飯田家の菩提寺として建立された。

(延命寺像尊)


門をくぐると左手に板橋の二大閻魔として知られる閻魔堂がある。

(閻魔堂)


(閻魔様)


門をくぐり右手には、足腰の守り神として知られる「子の権現」がある。

「子の権現」


正面には本堂があり、その右手を入ると飯田本陣家の代々のお墓がある。

(本堂)


文殊院を出て中山道を進むと、

仲宿と上宿の境に石神井川が流れて居り、

中山道がまたぐ橋が地名「板橋」の由来となった板の橋がかかって居る。

(板橋)


この板の橋は源頼朝が鎌倉を追われ安房に逃げた後、

再度旗揚げをするために同志と共に集まった場所として、

集まったことが義経記にあったり、

井伊直弼を襲った「桜田門外の変」の残党が、

この場を待ち合わせ場所として選んだとも言われる。

(コンクリートに変わる前の木の板の橋/板橋観光センターより)


(江戸時代の屏風図にある板橋)




コメント (4)
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