(世界遺産:マテーラの洞窟住居)
(マテーラの洞窟住居とマザコンのイタリア男性とトイレチップ)
イタリアとは話が違うが、お宮参りをした時の話だ。
苦労して授かった子供の、健やかな成長を願って明治神宮にお宮参りをした。
抱えている子供の重みもあり、一休みしたベンチには、
目の前にまもなく花開く菖蒲の池があり、木陰で涼しい風が吹いていた。
隣のベンチでは外国人女性が日陰でせっせと編み物をしている。
そのお子さんであろう男の子が二人、道の砂利をすくっては池に投げていた。
参詣を終わった一団が、子供たちの近くを通りかかったとき、
母親の女性が静かに何か一言、子供たちに向かって言うと、
楽しそうに砂利を池に投げていた子供たちはさっと遊びをやめた。
回りの人に迷惑になる砂利投げの遊びをやめさせたのである。
この様子をカミさんと眺めていたボクは、
「子供をあんなふうに躾けようね!」と
カミサンに話したことを覚えている。
がなりたてて「やめなさい!」ではなく
「迷惑がかかりますよ」と静かにいえば、
やめる子供にしたいと思ったのである。
前置きがやや長くなった。イタリア語に
「マンマ ミーア!(Mamma Mia!)」と言う言葉がある。
これは英語の「オーマイ ガッド(Oh my God!)」と
同じ意味を持つ。
キリスト教が多数の英語圏では、神は絶対の存在で、
神様でもどうしようもないこと起こると発せられる言葉です。
イタリア語圏ではおかあさんが絶対らしく、神様の代わりに
「Mamma Mia!」とお母さんが出てくる。
どうしようもないトンデモもないことが起きて、
「神様!どうしましよう!」→{神様もどうしようもない}→「なんてこった!」となる。
「Oh My God!」=「Mamma Mia」で、
「かあちゃん!なんとかして」→「かあちゃんもどうしようもない」→
「なんてこった!」になる。
イタリアでは神様とかあちゃんが同格なのだ。
考えてみれば日本も同じかも。あるいは全世界同じかもしれない。
第二次世界大戦の特攻隊で戦死する時、
「天皇陛下ばんざーい」といったというが、
あれは作り話で本当のところは「かあちゃん!」「おかあさん!」
「おっかさーん」と言ったというのが正しいというのである。
「神様!仏様! おっかさん! てえへんだ!」となるのである。
母がもつ子供への愛情は、子供が一番良く知っているし、
子供のためなら、火の中水の中を厭わないからであろう。
子供への愛情は、まさに山よりも高く、海よりも深い。
話がそれてしまったが、
イタリア男性はマザコンが多く、
そのため「Oh My God!」でなく「Mamma Mia!」に
なっているというのだ。(本当のところは、どうも解からないが)
結婚してからでも、何かことがあると、カミサンに相談するのではなく、
まず、お母さんに相談するという。
イタリア男性のマザコン振りがうかがえる。
そのイタリアの情景を細かく、そして楽しいエッセイにした人がいる。
上智大学のイタリア語教授をされていた、須賀敦子さんである。
須賀敦子さんのエッセイ「ミラノ霧の風景」に事細かに、
イタリア事情が書かれている。
素晴らしいエッセイで、読み始めたらあっという間にイタリア通になれる。
そしてイタリアのミラノへ行ってみたいと、ボクは思った。
(マテーラの洞窟住居)
(住居の中の道路)
(煙突1)
(煙突2)
(教会も見える)
話が反れてしまった。
さて、トンガリ帽子のアルベロベッロを後にして、観光バスは
70キロ北上して、世界遺産 マテーラの洞窟住居へ向かう。
大理石でできた大きな山をくりぬいて、横穴式洞窟を掘り住居にした。
何階建てになっているのかわからないし、住居は山すそから順に出来たのか
山頂が最初だったのかわからないが、
非常に複雑にビルディングのようになっている。
壁一つ隔てて隣があり、屋上に家があるかと思えば、屋上は道路になっている箇所もある。
道路の脇には階下の煙突が何本も出ていたりする。
そしてその集合体が山になっており、屋上の通路は迷路のように
複雑であるのに車も通ることが出来る。
当然、その山の住居の中にはお店もあり、教会もある。
住居は洞窟であるから狭いし、日の光も無いように思われるが、
採光も考えられており、下水も設置されている。
狭い中に家畜も飼っており、子供たちはタンスの引き出しを
ベッド代わりにするなど狭い部屋を工夫して使用したようだ。
まさしく世界遺産にふさわしい不思議な光景だ。
言葉で説明するより写真をご覧いただくほうが手っ取り早い。
(明り取り窓)
(ベッド下の子供用ベッド)
(タンスの最下段の引き出しが子供用のもう一つのベッド)
(家畜はロバ鶏などが同じ家の中にいた)
(下水溝)
洞窟住居を後にナポリに向かう。その前に「バール(Bar)」に寄って
トイレ休憩だ。もちろんトイレチップが取られる。
バールは日本で言えば喫茶店のようなもので、軽い食事も出来れば、
お茶でも良いし、夕方には一杯やる人たちで溢れる。
そこのトイレを借りるのであるが、コーヒー一杯飲めばトイレ代はタダ。
つまり、コーヒーやケーキを食べたお客さんがトイレを使うのは無料と言うことだ。
トイレだけのお客様にはトイレチップをいただく。
(バールの様子1)
(バールの様子2)
日本人観光客はこのトイレチップに違和感を持っている人が多い。
日本にはトイレチップの習慣がないことにも一因はある。
しかし、理屈を言わしてもらえば、
品物を提供されてその代金を払うというのは理解できる。
トイレの場合は、物を出しているのはわれわれであり、
出したものに対する代価はお店側が払うのが当たり前なのだ。
少なくとも肥料にはなるからだ。
が、お店側にも理屈はある。
トイレにも経費が掛かっているからだ。電気代、水道代、
汚せば清掃代、使用する紙代、ドアー開閉による磨耗を考えれば、
いつか部品交換が必要、人件費、などなど。
日本では、喫茶店の商品にその費用は転化されているだけのことである。
一杯350円(180円もあるが)のコーヒーも原価はせいぜい10円くらいのものだ。
それから比べれば、イタリアのコーヒー一杯1ユーロ(150円)のほうが
よほど良心的といえる。その代わりトイレだけの場合は料金をいただく。
それでも貧乏人のボクたち夫婦は一杯のコーヒーで、
二人分の用を足してきたから、
しめしめと言うところか・・・