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桜は次のステージへ。
佐倉城址公園の八重桜がほころび始めました。
千葉県内で唯一「日本100名城」に選定されている佐倉城址では、江戸時代から名桜と呼ばれる13品種をはじめ、
約50品種・約1,100本の桜が咲き誇ります。
さくらまつり~4/8期間中イベントとして 『猿回し』 を本丸跡にて行います。(午前10時~午後4時・雨天中止)
『 Travel.jp 』で、「佐倉城址のさくら」と「歴博夜桜観賞の夕べ」が紹介されました(2018年3月)
https://www.travel.co.jp/guide/article/31811/
佐倉城址公園の歴史 http://www.city.sakura.lg.jp/0000000987.html
佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532年から1552年)に千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしまもとたね)が
鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝に
よって翌慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。北に印旛沼、西と南に
鹿島川・高崎川が流れる低地に西向きに突き出した、標高30m前後の台地先端に位置します。佐倉城はこうした地勢を
巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋を配して、
城下町としました。以後、江戸の東を守る要として、有力譜代大名が城主となり、歴代城主の多くが老中など
幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦(ほった まさよし)は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。
明治維新後には城址に陸軍歩兵第二連隊(後に第五十七連隊=通称・佐倉連隊)が置かれたために櫓や門などはそのほとんどが取り壊され、
昭和20年の終戦まで軍隊が置かれていました。
公園の本格的な整備は昭和54年度から始まり、水堀の復元・本丸跡・出丸跡・三逕亭(茶室)などが整備されました。
また、昭和58年、明治百年記念事業として、公園隣接地に国立歴史民俗博物館が開館し、現在に至ります。