さくら会の行政視察で美瑛町へ。
美瑛の語源はアイヌ語の「ピイエ」(油ぎった川、濁った川の意
味)だそうですが、これを開拓者が「ビエイ」と訛って読み、"美し
く、明朗で王者の如し"と意味をこめて"美瑛"の文字があてはめられ
ましたと伺いました。
きれいな町名ですね。視察の目的は、美しい農村景観を生かした
まちづくりについて、調査研究。
佐倉市は、地域の特性をいかしながら、水と緑と伝統が息づく景観を、守り、育てることにより、
さらに生き生きとした魅力あふれるまちとなるよう、平成12年3月「佐倉市景観条例」を制定しました。
美瑛では、平成15年から「美瑛の美しい景観を守り育てる条例」が施行されました。
この条例は、開拓の頃からの営みによって築き上げられてきた美瑛特有の景観をまちのかげがえのない財産として、
町民みんなで守り育て、次の世代に引継ぎ、住み良い魅力あふれる
美瑛町を築いていくため制定しました。
景観はみんなの財産、素晴らしい景観や自然に囲まれた郷土にとあり、中でも「みんなが協力して全国に誇れる町に」と
制定されています。
「全国に誇れる町に」とは、
景観をつくるのも守るのも私たち町民が協力して行わなければなりません。
そのためには、一定の約束事をみんなが継続して確認し合うことが必要となります。
条例には、町民の皆さんにお願いすること、新たな手続きが必要となるものなどがあります。
しかし、それは美瑛が住み良く誇りが持てる町に向けての第一歩となるものです。
町民一人ひとりが景観づくりの担い手となり、協力とお互いの信頼、協働へと輪が広がったとき、
全国に誇れる町になるのです。
例えば、<!美瑛を訪れる皆様にお願い!>では、
「美瑛の丘は一面公園の花畑のように見えますが、そのほとんどは農家さんの私有財産です。
この農業景観を後世にわたって維持できるよう、畑には絶対に入ら
ず、舗装された場所からの見学や撮影をお楽しみ下さい。 」と、ありました。
今年の佐倉ふるさと広場チューリップフェスタでは、ゴミ箱を設置
せずに一人一人がゴミを持ち帰るようにし多くの来場者がご協力くださいました。
ワールドカップサッカーで試合後に日本人サポーターがゴミ拾いをしているニュースが世界中に流れ、賞賛されたとおり
本来日本人は、立つ鳥跡を濁さずとか、お互い様とか、おかげさまでとかいう文化を持っているのです。
ですので、日本人の良き文化である、立つ鳥跡を濁さずとか、お互い様とか、おかげさまでとかの魂を
条例に入れ込むことが出来たら、水と緑と伝統が息づく景観を、守り、育て、創ることにより、
さらに生き生きとした魅力あふれるまちになるのではないでしょうか?
ケンとメリーの木(ポプラ)は1972年日産自動車のテレビコマー
シャルに使われ、つとに有名になりましたが、
そもそも、1971年、前田真三氏が日本縦断の撮影旅行の帰り、
ふと立ち寄った美瑛・上富良野の丘の風景に感動、
以来16年間美瑛に通い撮られた写真の多くは、写真集や絵はがきの他、多くのポスターや映画、
テレビコマーシャル等に使われ、美瑛の景色は全国に知られるよう
になったのです。また、火山砂防工事のためにせき止めて出来た
所に水がたまり偶然青い池が出来たのです。
まさに一人が町を変え一つの偶然が奇跡を起こしたのです。
日本で最も美しい村を浜田美瑛町長がリーダーシップをとり、
結成し、世界で最も美しい村連合に加盟するまでになっています。
昨年度、美瑛町の観光客、日帰りが1326500人、宿泊が167600人。
農業の発展を支え、農業を守るために観光振興に力を入れている
美瑛町ですが、経済活性に繋ぐのは厳しいと沼田副議長が、仰っていました。
ここにも佐倉市が、観光ビジョンで学ぶべき事柄があります。
観光における来場者を増やすだけでは、産業振興につながらないの
であれば、何を目指していくのかを常に見直し計画を立
てる必要性があると思います。学び実行出来る先進例はどんどん
取り入れたいと思います。
市民の懐が、豊かになって初めて市の産業振興が、達成出来ます。