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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「国栖」

2013年11月10日 | 能・狂言
   9月の能楽協会主催の能楽祭で、 シテ 金井雄資 で、宝生流の能「國栖(くず)」を、今回、再び、シテ 辰巳満次郎で、同じく宝生流の「国栖」を鑑賞した。
   短期間に連続して、宝生流の「国栖」を鑑賞できる機会などは、殆どあり得ないと思うのだが、今回は、倉本一宏氏の「能「国栖」と壬申の乱の乱伝説」と言う演題で解説があり、より分かり易くなった。

   皇位継承争いで、大友皇子に追われた大海人皇子(後の天武天皇)が、吉野に逃れついて、川舟に乗った老夫婦に会って、何日も空腹であった皇子に、国栖魚と根芹を供され、残った国栖魚を川に放すと生き返ったので、勝利して都に帰れる吉兆と喜んだと言う話である。
   そこへ、追っ手が来るのだが、機転を利かした老夫婦が皇子を舟の下に隠して、追っ払う。
   老夫婦が姿を消すと、天女が現れて舞を舞い、蔵王権現が現われて虚空を飛び翔り、威力を示して、天皇の御代をことほぐ。

   興味深いのは、史実では、大友皇子は、天智天皇の子供であり、大海人皇子(浄見原天皇/和久凛太郎)は、天智天皇の弟であるのに、この能では、逆になっているので、大海人皇子は、子方が、演じていることである。
   麟太郎君は、実に、凛とした可愛い子方である。
   

   
   金井雄資師が、”「国栖」 に寄せて”で、この能の見どころを語っているので、参考になった。
   前シテの尉(老翁)は、タダの老人ではなく国を正しく導く人物を見抜く能力を持った傑物であり、船中に皇子を隠したときの追っ手に対して、耳が遠いフリをしたり、茫洋とした態度を見せた後、最後にはとてつもない気迫で追い返す。そんな、ただならぬ雰囲気を醸し出し、肚を据え気概を見せなければならないと言う。
   確かに、二人のアイが、武器を持って華々しく登場して、前シテに挑むのだが、老翁の激しい気迫に押されて退散して行く。
   尤も、能では、前シテで老人が登場すると、必ず、謂れのある需要人物であるので、ただならぬ雰囲気はいつも感じている。

   後半の見せ場については、天皇の未来を寿いで天女が舞い、蔵王権現が登場する場面で、天上界の人が地上に降りる決まりの囃子[下羽-笛]で天女が舞い、夢の中の世界の様な場景が抽出される。と言うのだが、後ツレ/天女(和久荘太郎)の舞は、実に優雅で素晴らしい。
   大飛出の凄い形相をした面を付けた後シテの蔵王権現の激しい舞は、足拍子を踏んだり両袖を巻き上げたり大変な迫力で、一寸短いのが残念だが、天女の舞の優雅さとの対比が実に良く、楽しませてくれる。

   この能は、仲哀天皇の后・神功皇后が、新羅の出兵の際、釣った鮎で戦勝を占って、見事勝利したと言う伝説によっていると言う。
   史実では、天智天皇が、皇位を長子の大友皇子に継がせようとしているのを察知して、妻子や部下とともに吉野富に引退したと言うことで、追われたわけではない。
   しかし、部下が動員した兵や大和で呼応した豪族たちと反撃して、大友皇子を自殺に追い込み、大海人皇子は、天武天皇となり、后も持統天皇になる。
   蔵王権現の加護があったかどうかはともかくとして、野に下った大海人皇子が、勝利して都に帰ったと言うのは、奇跡だと言う史家もいるなど、日本歴史上はじめての天下分け目の戦いの結末が興味深い。
   
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国立演芸場・・・川柳つくし真打昇進襲名披露公演

2013年11月09日 | 落語・講談等演芸
   その日の午後遅く、某名門私立大学で、グローバル経営の講義を行う前だったが、国立演芸場へ、川柳つくしの真打昇進襲名披露公演を聞きに行った。
   つくしを聞くのも初めてだったし、良く知らなかったのだが、これまでに聞いた林家きく姫など、女流落語家の醸し出す独特のユーモアなりエスプリに魅力を感じており、まして、美人の真打昇進襲名披露で、トリを取るのと言うのだから、文句なしに出かけたのである。
   落語の世界は、元々、男世界で、古典落語などは、男の噺家が話すように出来ていると言うことで、確かに、前座や二つ目の若い女性落語家が、古典落語を語ると、随分、違和感があるのだが、それでも、男の噺家とは違った面白味があって、それなりに楽しめるのである。

   ウイキペディアや話などによると、川柳つくしは、早大教育学部国語国文学科卒業で、旺文社で辞書編集などの仕事を経て、1997年3月に川柳川柳に入門したと言うから、歳は分からないが、アラフォー前半であろうか。
   しかし、前方の座席で聞いていたので、随分若くて非常にエネルギッシュで溌剌としていて、実に魅力的なレィディであった。

   師匠川柳の話では、つくしは、新作落語を2~300作っているようだが、この日は、予定していた「健康診断」を、「不幸な時代」に切り替えて、
   例の秋葉原の集団殺人事件に想を得たのであろうか、格差社会の拡大で、平穏な人生から外された若い女性が、人生に絶望して集団殺人を決意して、獲物を探している間に、ナイフに雷が落ちて気絶して、夢の中で揺り起こされて、第二次世界大戦当時にタイムスリップして、鬼畜米英と戦っている男性と、異次元の会話が交わされると言う話で、非常にエスプリの利いたユニークな話で面白かった。

   『ALWAYS 三丁目の夕日』の昭和30年代が、良き時代であって、現在が、「不幸な時代」だと言う発想が、非常に興味深いのだが、
   戦後から立ち上がって、欧米に追い付くべく必死になって日本人全体が頑張っていて、今日よりは明日、明日よりは明後日と、少しずつ生活が良くなっていた頃は、夢なり希望があったが、
   バブル崩壊で、日本経済がデフレ不況に突入して生活が少しも良く成らなくなって、益々格差拡大し始めた今日が、若い人々にとっては、実に不幸な時代だと言うことであろうか。

   癒し系の落語を目指して、落語界のエンヤになりたい、兵隊さんが、つくしの落語を聞いて、銃を花束に持ち替えると言った、そんな落語を語って行きたいと言う。
   女流落語家は、この日、三遊亭歌る多が、落語の後で、「かっぽれ」を踊ったが、南京玉すだれなどをやるのだが、自分は、ウクレレ漫談を語ると言って、「来世、頑張れ!」を演じた。
   チャンスをピンチにした人、来世、頑張れ と言った調子だが、カレント・トピックスなり、世相を反映していて、短いが、牧伸二のウクレレ漫談とは、違った味があって面白い。

   さて、この日、弟子の真打襲名披露に出て来た川柳川柳だが、82歳だと言うのに、素晴らしい(?)美声で、軍歌を鏤めた「ガーコン」を熱演した。
   つくしの話では、四六時中酔っ払っていて、24時間の内、正気なのは、高座に立つ15分間だけだと言い、また、つくしの真打昇進披露公演開始の10ほど前に転倒して倒れてしまい、どうにか高座には出たのだと言う。
   しかし、この日は、立ち上がって、東京のバカ息子に仕送りするために最新の農機が買えなくて脱穀機をガーコン、ガーコン踏むおやじと、勉強などそっちのけでベースを奏でるバカ息子を、手真似足真似で実に器用に熱演していた。

   弟子は一人も取らなかったのだが、何人も弟子入りを志願して来たが、断ると来なくなって、このつくしだけが、手土産を持って4回通って来たので、弟子にしたのだと言う。
   確かに、無茶苦茶、ユニークな噺家だが、何故、つくしが、この川柳を師に選んだのかは、知りたいと思っている。
   
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顔見世大歌舞伎・・・「仮名手本忠臣蔵」五段目から十一段目

2013年11月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の「仮名手本忠臣蔵」は、五段目、六段目の、舞台を山崎へ移しての勘平切腹の場、七段目の「祇園一力茶屋の場」、そして、最後は、討ち入りと本懐の十一段目である。
   文楽の通し狂言だと、第十段目の「発足の櫛笄」、天河屋の義平は男でござるぞ。 と言う名せりふが観客を唸らせる段が省略される程度だが、今回の歌舞伎でも、これも素晴らしい八段目・道行旅路の嫁入、九段目・山科の雪転し、山科閑居の場も、抜け落ちている。

   やはり、今回の注目の舞台は、菊五郎が勘平を演じる、山崎街道鉄砲渡しから切腹の場と、吉右衛門が大星由良之助を演じる祇園一力茶屋の場であろう。
   この二人が演じる同じ舞台を何度も観ているのだが、間を空けて観るので、どのような進境変化があるのか分からないのだが、丁度、ベートーヴェンの「運命」や「田園」などを聞いて、感動を新たにすると言った感じと似ているようなものであろう。

   さて、この赤穂に最初に急を知らせに走った萱野三平がモデルだ言われている早野勘平と、大石の廓通いをセーブするために家臣たちが側に置いた当時18歳のお軽がモデルのおかるとを、相思相愛の関係にして、逃避行の後夫婦に仕立てて興味深いサブストーリーにしたのが、この「仮名手本忠臣蔵」。
   萱野三平は、父・重利から吉良家との繋がりの深い大島家へ仕官を強要され、同志との義盟や旧主への忠義と父への孝行との板ばさみになり、山科の大石に遺書を書き、自刃しているので、このおかる勘平物語は、完全なフィクションである。
   もう一つ興味深いのは、これも、討ち入り後逐電した唯一の生き残りである寺坂吉右衛門をモデルにした寺岡平右衛門がおかるの兄とした設定で、茶屋場では、由良之助同様重要な役割を演じていることである。

   ところで、全くの架空の人物である勘平だが、意外にも、この歌舞伎のオリジナルである浄瑠璃では、最後まで、非常に重要な役割を果たしていると言うことについて、考えてみたいと思う。
   この「祇園一力茶屋の場」では、連判には加わりながらも、実際には敵を一人も討ち取らないのでは言い訳が立たないと、勘平の代わりにおかるに縁の下の九太夫を討たせて、面目を施させている。

   もう一つ感動的なのは、浄瑠璃の終幕に近い泉岳寺での焼香での、「早野勘平の財布第二の焼香」のシーンである。
   一番焼香は、柴部屋から師直を見つけ出した矢間十太郎重行だが、二番焼香に押された由良之助が、懐中より、碁盤目の財布を取り出して、「これが忠臣第二の焼香。早野勘平がなれのはて。」と言って、勘平の死の経緯を語って、六段目の勘平切腹の場で、自分の指示で、折角の拠金を、数右衛門と弥五郎に突っ返させたことについて、さぞ無念であろう口惜しかろう、ふびんな最期を遂げさせたのは、由良之助が一生の誤り、片時忘れず肌身離さず、今宵夜討ちも財布と同道。と語って、妹婿の平右衛門に焼香を命じるのである。
   財布を香炉の上に着せ、「二番の焼香 早野勘平重氏」と、高らかに呼ばわりし。声も涙にふるはせれば、列座の人も残念の、胸も、張り裂くばかりなり。
   感動的な一幕が描かれているのである。

   ところが、今回の歌舞伎では、この大切な財布を、おかや(東蔵)が、財布に包んで100両渡したのに対して、千崎弥五郎の又五郎が、婿と舅の四十九日の供養にと50両と一緒に、おかやに財布を返して、自分の方の50両は、裸のまま袂にしまっていた。
   「勘平が最期の様子、大星殿に詳しく語り、入用金手渡せば満足あらん。」と言っているので、この時は、入用金を血の付いた碁盤目模様の財布に包んで受け取らないと、意味がないのである。
   このあたりの演出は、舞台舞台が良ければ良いのかも知れないが、通し狂言と銘打つ以上、もう少し、元の浄瑠璃にも敬意を払っても良いような気がしている。
   浄瑠璃では、第六段目は、「与市兵衛住家」ではなく「財布の連判」となっていて、この財布こそが、勘平の人生を奈落に突き落とす悲劇の始まりであって、単なる小道具ではなくて、重要な登場人物だと考えても間違いない程重要な役割を果たしているのである。
   

   さて、この菊五郎とおかるの時蔵の舞台は、以前にも観ており、今回も、正に円熟の境地で、素晴らしい芝居を見せて貰って感激であった。特に、この2場の勘平は、菊五郎を超す歌舞伎役者は、当分、出ないであろうと思われる。
   藤蔵の母おかやは、初めてだったが、やはり、上手い。
   魁春の一文字屋お才は二回目、團蔵の判人源六ともに、二人とも呼吸が合っていて適役である。
   斧定九郎の松緑は、今まで観たのとは一寸違う感じで、随分、工夫を重ねたのであろう、一挙手一投足、丁寧に演じていて、多少ぎこちない感じもしたが面白い舞台であった。

   この五段目と六段目は、菊五郎の音羽屋型と上方版では、大分違っていて、折衷版とも言うべき舞台を仁左衛門で、上方版を亀治郎で観たのだが、あの「色に耽ったばっかりに」と言うところなどは、仁左衛門は、菊五郎のように、血糊で顔を染めていたが、亀治郎はそんなことはしなかった。
   確か、上方版では、100両も、おかやに50両残さずに、皆持って帰ったと思うのだが、そうなら、財布と一緒に、由良之助に渡したのであろう。

   「祇園一力茶屋の場」では、梅玉の寺岡平右衛門が初めてで、格調の高い役割の多い梅玉としては珍しい、庶民的でコミカルな役柄で、面白い舞台を見せてくれた。
   歌右衛門襲名が決まって益々意気軒昂な、立女形の貫録十分のおかるの福助との相性も非常によく、福助も、のびのびとおかるを楽しんでいるように見えた。
   尤も、おかるは、元は顏世御前の腰元で、それなりの気品なり嗜みがあった筈なのに、一寸おきゃんではしゃぎ過ぎ。

   吉右衛門の由良之助は、幸四郎と替りばんこに観ている感じで、お馴染みだが、今回は、何となく藤山寛美風のコミカルタッチの庶民的な雰囲気を垣間見たような感じがした。   しかし、玉男でさえ、経験を積み重ねて期が熟すまで、固くなに断わり続けたと言う七段目の大星の重厚さ、そして、気品と風格は、吉右衛門の真骨頂であろう。
   虚と実、本来の仇討一途の由良之助と放蕩三昧の由良之助の舞台での棲み分けは、流石で、例えば、おかるを身請けすると言って、座を立つ時に扇で顔を隠して、大事な手紙を盗み読まれたおかる殺害の決心秘めた時の表情の凄さは、格別である。
   大星力弥を鷹之資が演じていたが、吉右衛門の薫陶よろしきを得たのであろう、溌剌とした舞台を務めていて、富十郎の夢がかないつつあるようで嬉しかった。

   残念だったのは、最後の十一段目の極めて投槍とも思うような淡白な舞台で、終幕の炭部屋本懐の場も、師直を引き出したかと思ったら、すぐに皆が出て来て取り巻いて、師直の最期。
   師直を炭小屋に引き入れて首を取り、勝鬨をあげて幕。
   師直役者が誰だったのかさえ分からないのだが、とにかく、取ってつけたような舞台で、前の二幕が良過ぎるので、ない方が良かったほどである。
   唯一、魅せたシーンは、小林平八郎の錦之介の素晴らしい立ち回りのみ。
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優先権を絶対譲らない西欧文化

2013年11月06日 | 政治・経済・社会
   日本は和の精神が、社会の安寧なり公序良俗、秩序を維持するために、非常に重要な役割をはたしていて、実際の生活でも、この慮りなり、他に配慮する思いやりの心が働いている。
   これが、所謂、高いコンテクスト文化、すなわち、人間関係や社会習慣など、言語メッセージ 以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーション社会を形成し、詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、「察しの文化」を生み出す基となっている。
   良いか悪いかは別として、このあたりが、西欧や近縁の中華文明とも違うとして、ハンチントンが、日本文明を独立の7文明の一つとして考えたのかも知れない。

   これとは、逆に、西欧では、恐らく、『旧約聖書・エジプト記・21章』にある「目には目を、歯には歯を・・・Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.」の精神に色濃く影響されている所為であろうか、和で、物事を解決しようと言うよりも、理詰めで物事を処理しようと言う傾向が強い様に思う。
   日本のように、沈黙は金などと言う世界ではなく、むしろ、攻撃は最大の防御なりと言う世界である。

   私は、イギリスの5年を含めてトータル14年、欧米文化圏で生活してきているので、この文化の落差を痛い程経験しており、元々、その傾向もあったのであろうが、物事をストレートに表現し過ぎて、割を食って生きているような気がしている。

   それは、ともかく、欧米では、譲ると言うよりも、まず、どちらが優先権があるのかどうかと言うのが、秩序を維持する基本となっているような気がする。

   その良い例は、交通規則で、私のバカな経験なのだが、オランダのハーグで、渋滞状態に嵌まり込んで、どうしても急がなければならなかったので、後ろを良く見て、車線を変えて隣の車線に入ったのだが、後ろから高速力で走ってきた車に当たられてしまった。
   日本だったら、当然、私の車が車線変更しかかっているのが分かっており、徐行するのが当然だと思うのだが、オランダでは、いかなる理由があっても、高速車線がオールマイティの優先権を持っていて、前方不注意などなくて、低速車線から高速車線に車線を変えて事故を起こされた方が悪いのである。
   ハイウエイでも、高速車線から低速車線に入る車は、確か、優先権があるので、車線変更の方向指示さえ出さなくても良い筈であった。
   イギリスは、一寸違うが、しかし、いずれの時も、ここでは、後から追突する車が、悪いのである。

   この優先権の凄さは、メイン道路の車が優先ではなく、結構、オランダには、細い田舎道の側道が横から出ていて、この側道からの進入が優先のケースが多くて、飛び出しが多いので、おちおち、メイン道路だからと安心して運転できないのである。
   もう一つ、日本と違って、ヨーロッパでは、四つ角の交差点よりも、ラウンドアバウト、交差点が円形状の回る方式の道路が多くて、ここへの侵入の優先権もややこしいのである。
   私は、オランダとイギリスを行き来して仕事をしていたので、結構、車を使っていたのだが、勿論、イギリスと大陸では、運転席の位置が右左違っている。
   どっちがどっちだったか忘れてしまったが、一方の国は、ラウンドアバウトに進入する車が優先で、もう一方の国は、出る方が優先であり、これも、注意が必要であった。
   偶にしか運転しないパリで、当時は信号のなかった凱旋門のラウンドアバウトに進入したことが2回ほどあるが、10列ほど円弧状に車が回っていて、入るのも出るのも地獄の恐怖、良く事故を起こさなかったものだと思っている。
   あの頃の、日本の企業戦士は、怖いものなしで世界を駆けまわっていた。

   確か、EU統一の交通ルールがなかった筈だが、私も若かったのか、その違いを良くわきまえずに、下手な運転で、運転席の位置の違う車に乗って、無謀にも、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、デンマークと、家族やお客さんを乗せて走ったものだと、今になって、冷や汗をかいている。
   尤も、車だけはと思って、ベンツや、装甲車のような大型のボルボやアウディなど、当たられても被害の少なそうな車には乗っていた。
   

   ところで、私が言いたかったのは、この欧米、時には、中国など外国の国の文化文明が、日本と大きく違っているので、外交でも貿易でも、上手く処するためには、勿論、平和国家としての姿勢は最も重要だが、この優先権を出来るだけ多く獲得して、押し出し強く攻撃型の姿勢を取らないとダメだと言うことである。
   国連など、最高度の拠出金を出しながら、最早、戦後半世紀以上も経っているのに、安保理の常任理事国とは言え、国力さえ、あるいは、民度さえ劣る国の黄塵を拝して、安穏としているようでは、あまりにも悲し過ぎると言うことである。
   色々問題はあろうが、安倍政権になってから、大分、対外姿勢は前向きになって来たとは思うが、それでも、昨今の日本の外交や国防などを観ていると、イライラすることが多すぎる。
   今に始まったことではないが、あまりにも、日本の存在感が薄くて弱すぎると言うことである。

   あの親米で通してきたサウジ・アラビアが、オバマのシリア攻撃に対する優柔不断に業を煮やして、安保理非常任理事国の席を蹴った、あの心意気が大切だと言うことである。
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顔見世大歌舞伎・・・「仮名手本忠臣蔵」大序から三段目、四段目

2013年11月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   忠臣蔵の季節ではないが、来月も同様に上演される通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が、顔見世大歌舞伎で始まった。
   来月、国立劇場でも、赤穂浪士の討ち入り関連の舞台が上演されるので、当分、東京の歌舞伎は、忠臣蔵の話題で賑わうであろう。
   吉右衛門は、大星由良之助、菊五郎は、塩冶判官と勘平、仁左衛門に代って寺岡平右衛門を演じる梅玉も桃井若狭之助と道行のおかる、と大車輪の活躍で、面白い舞台が展開されている。

   今回、観たのは、「仮名手本忠臣蔵」の前半部分で、大序、三段目、四段目、道行旅路の花婿 であった。
   残念なのは、私にとっては、結構面白い二段目・諫言の寝刃が、何時ものように抜けていることである。
   この段は、家老の加古川本蔵が、師直から辱めを受けて憤懣やるかたない主君・桃井若狭之助の刀を取って庭先に降り、松の片枝を切り捨てて、このようにすっぱりと師直を切れと挑発すると言う面白い舞台で、次の三段目で、馬を駆けて師直に面会して、賄賂を渡して懐柔すると言う逆転劇を演じる導線となっている。
   それに、前半の力弥使者の段では、塩冶判官の家臣大星由良助の子息・大星力弥が、明日の登城時刻を伝える使者として館を訪れるのだが、本蔵や戸無瀬が気を効かせ、いいなづけの力弥に恋心を抱く小浪を口上の受取役とするのだが、嬉し恥かし、ぼうっとみとれて返事もできない乙女心の描写が、実に微笑ましくて良い。
   尤も、この段は、ストーリーの展開には殆ど関係ないかも知れないが、今回も抜けているのだが、九段目・山科の雪転し 山科閑居の段 の重要な導入舞台としては、格好の段であり、この二つの段は、仇討と言う世界とは違った、人間の人間としての生き様を、そして、人間賛歌を描いた貴重なサブストーリだと思っている。

   もう一つ、歌舞伎の舞台版では同じようだが、人形浄瑠璃と大きく印象が違うのが、塩冶判官が、松の廊下で、師直に刃傷に及んでいる時に、お付の侍であった勘平が、おかるの誘惑に乗って逢引きをしていて、その決定的な瞬間に、門外にいて、立ち会えずに、面目丸潰れの勘平が切腹しようとするのを、おかるが止めて、京の山崎へ落ち延びて行くところである。
   今回も、そうだが、この逃避行が、「浄瑠璃 道行旅路の花婿」と、美しい舞踊劇になっていて、悲劇性が、大分消えてしまって、次の五段目、六段目の勘平の悲劇へのインパクトが薄くなっている。

   私は、最初に「仮名手本忠臣蔵」を観た時には、映画やTVドラマのように、赤穂浪士の討ち入り主体で観ていたので、おかる勘平や加古川本造や寺岡平右衛門などのフィクションとしての挿話なりサブストーリーが、随分、つまらない様に思えたのだが、最近では、こちらのストーリーの方が、ドラマチックで味があるように思えて、不思議である。
   あの江戸時代に、力弥を一途に思い続ける小浪や、勘平が好きで好きで堪らないおかるを重要な人物として登場させ、色恋の沙汰を、これ程までにビビッドに戯曲で描くなどと言うのは、驚きでもある。
   それに、塩谷判官の刃傷と切腹の悲劇の原因が、色好みの高師直の他人の妻への横恋慕で振られた腹いせの意趣返しだと言うのだから、救いようがないのだが、これを、赤穂浪士の討ち入り吉良暗殺と同列の仇討話として展開しているのだから、江戸時代の日本文化の爛熟ぶりは、相当なものであったと言えようか。

   その意味でも、もう一つの私の不満は、四段目だが、冒頭の華やかながらも悲劇の導入部である「花籠の段」が省略されていて、直接、足利館から石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門が上使として来訪するところから始まっていることである。
   「花籠の段」では、蟄居している判官に、妻の顏世御前が、夫を慰めようと、八重桜を籠に生けて献上しようとしているほんのりとした舞台に、原郷右衛門と家老の斧九太夫が参上して、九太夫が、師直に賄賂を贈っておれば悲劇はなかった筈と言って言い争いになり、顏世御前が、この争い無用と窘めて、横恋慕した師直に拒絶の返歌をして恥をかかせたための意趣返しが原因で、師直が判官に悪口し、元々短気な判官の堪忍袋の緒が切れて刃傷に及んだのだと言っている。
   また、文楽では、薬師寺などが退出すると、顏世御前は、わっと声をあげて、亡き骸に抱き付いて正体もなく泣き伏すのだが、この舞台では、このような生身の人間としての顏世御前の魅力をすべて圧殺して、蝋人形のように魂の抜けた顏世御前の登場となっていて、実に味気ないのが残念である。

   これまでに、歌舞伎でも文楽でも、随分たくさんの仮名手本忠臣蔵の舞台を観て来たので、このブログでも、かなり多くの感想を綴っている。
   吉右衛門の大星由良之助の素晴らしさや菊五郎の塩冶判官の素晴らしさについては、言うまでもなく、蛇足になるので、止めるが、一挙手一投足、語る台詞の一語一語が、芸の奥深さを感じさせて感動的である。
   左團次の高師直だが、キャラクターから言っても一寸したコミカルな雰囲気があって面白かったが、やはり、あの独特な左團次ヴォイスが幸か不幸か災いして、やや、あくどさ悪漢振りに欠けていたように感じた。そして、次の幕で、善玉の検視役石堂右馬之丞に早変わりしていたのには、多少、違和感を感じた。
   私としては、悪役の薬師寺次郎左衛門を演じた歌六と、むしろ、入れ替わっていた方が良いと思って見ていた。

   芝雀の顏世は品格があり、それに、控えめながら存在感があって良かった。芸が上手いのであるから、前述した文楽版の顏世を演じさせれば、抜群だったかも知れない。
   七之助の足利直義の嫋やかな風格、上品さは、中々のもので、異彩を放っていた。
   梅枝の力弥も、実に初々しくて上品で、腹切り刀を菊五郎の塩冶判官の前に差し出して、目と目で別れを告げるあの対話の奥床しさと魂の触れあいのシーンなど感動的である。

   道行は、梅玉の勘平と時蔵のおかるだったが、私としては、始めての組み合わせで、一寸、老成したおかる勘平だったが、面白かったし、團蔵が、コミカルタッチの鷺坂伴内を器用に演じていて新境地を示していた。三段目の鷺坂伴内を演じた松之助も、中々、芸達者である。

   いずれにしても、今回の忠臣蔵は、吉右衛門と菊五郎あっての舞台。
   仁左衛門の休演が、一寸、残念だと思っている。大石内蔵助は、京都や大坂文化にどっぷり浸かった上方人間であり、その微妙な良さや味を醸し出す仁左衛門の由良之助は、また、格別なのである。
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ビジャイ・ゴビンダラジャン・・・リバース・イノベーションの実際

2013年11月03日 | イノベーションと経営
   先月末の日立イノベーション・フォーラム2013で、ビジャイ・ゴビンダラジャン教授は、"A Reverece-Innovation in Action"と言う演題で、リバース・イノベーションの実際について、熱弁を振るった。
   少し遅れて会場に入ったので、教授は、既に、イメルトCEOとHBRに掲載した”How GE Is Disrupting Itself”で紹介したインドで開発されたポータブル心電計MAC400について説明していた。

   次に紹介したリバース・イノベーションは、 インドのバンガロールのNH病院(Narayana Health Hospital in Bangalore)での開腹方式の心臓手術についてである。
   これについては、教授が、HBRブログに次のように記載している。
    Narayana Health in Bangalore, India, uses the focused-factory approach to perform open-heart surgeries for $3,000, versus $75,000 to $150,000 in the United States. The total number of open-heart surgeries performed in the United States is about 550,000 — six times India’s — but this volume is spread across too many hospitals. The same can be said of other procedures that might lend themselves to mass or lean production.
   アメリカでは、75,000から150,000ドルかかる手術を、この病院では、3,000ドルで実施している。
   それも、貧しい3分の1の患者は無料で手術をし、残りの3分の2から手術料を取るだけで、病院は十分に利益を上げている。
   同じ最高峰の機器や資財を使って手術するのに、何故、これ程安く手術が出来るのか、教授の説明では、フォードが1世紀前に実施した大量生産方式とトヨタのリーン生産方式を活用したのだと言う。
   アメリカでは、病院の機器などの稼働率が非常に悪くて、その上に、手術が多くの病院に分散していて非常に能率が悪いが、インドではフル回転なので、一挙にコストをダウン出来て、十分にビジネスになるのだと言う。

   このことは、故プラハラード教授が、「ネクスト・マーケット」で、最貧層市場BOPで起こったアビランド・アイ病院での流れ作業式の大量治療方式の白内障手術を紹介して有名になっているが、これと同じ方式の革新的なインドのリーバス・イノベーションで、今では、世界最高峰の眼科病院となって、多くのハーバード大学などの医学生が勉強に押しかけていると言う。
   ゴビンダラジャンの説く、最貧層の市場から生まれて、それが、グローバル市場をも席巻する最高峰の国際的商品なりサービスとなる、すなわち、本来イノベーションは、先進国から新興国なり発展途上国に下って行くものであったが、今や、遅れた新興国市場で生まれて、逆に、先進国市場を席巻すると言う下克上。GEのMAC400などは、最早、古典的なケースである。

   もう一つ教授が紹介したのは、義足の話である。
   これもプラハラードが紹介しているジャイプール・フットの開発した義足で、アメリカでは、高度な合金を使用した複雑な義足で8,000ドルもするのだが、インドでは、たったの30ドル。
   材料は、ヨーグルトのプラスチックのコンテナであるから、コスト・ゼロ。足の形に拘ったスマートな義足で、「全速力で走ることも、木に登ってココナツを取ることも、そこからジャンプすることもできる」様子を、ビデオで紹介しているのだが、恐らく、アスリートもびっくりであろう。

   プラハラードの「ネクスト・マーケット」や、ゴビンダラジャンの「リバース・イノベーション」を読めば、色々なリバース・イノベーションの成功例が紹介されていて、非常に参考になって面白い。
   日本企業が、何故、それ程、新興国市場において、成功を納めていないのかと言うことだが、多くは、品質の高い日本並の商品やサービスで、ほんの10%程度にしか過ぎない富裕層をターゲットにして市場の攻略を考えていること、
   あるいは、新興国市場並みの商品やサービスを提供するにしても、ローカル仕様に合わせるために,スペック・ダウンするなど日本で設計企画、あるいは、生産されたグローカル製品を、新興国市場に売り込もうとして、ローカルで開発するとか、リバース・イノベーションの発想が、殆どないからであろうと考えられる。
   BOP市場の最貧層非消費者は、10分の1以下と言ったはるかに安い、そして、はるかに性能の高い商品やサービスを求めていると言うこと、そして、それを開発すれば、怒涛のような需要が爆発するブルー・オーシャンが拓けると言うことを、更に、それが、世界的な国際商品となってグローバル市場を席巻できる可能性があることを、イメルトCEOと違って、一顧だに出来ないと言うことであろう。

   
   ところで、何故、インドで、このようなBOPマーケットで、リバース・イノベーションが起こるのか。
   ウォートンのジテンドラ・シン教授などの著作「インド・ウェイ 飛躍の経営」で説かれているインド経営の四つの原則の内の「ジュガードの精神 即興力と適応力」に秘密があるように思っている。
   与えられた極めて限られた劣悪な環境下であっても、「普通」から「最高」のレベルまで、試行錯誤を繰り返して、柔軟性と復元力をフルに活用して、顧客満足を第一に、最も望ましい結果を追求して適応しようとするインド気質である。
   とにかく、ナイナイづくしの貧しいインドで、価値あるものを生み出すブルーオーシャン市場を開拓する以外に生きて行く方法がないのであるから、その環境なり条件下で、考えに考え抜き工夫に工夫を重ねて、顧客の求める財やサービスを生み出そうとする。
   インド人特有の適応力、柔軟性、復元力が、インド人の創造性を喚起して、イノベーションを生み出す原動力になっていると言うのである。
   あのタタ・ナノと言う2,000ドルの自動車にしても、マインドをリセットして、ゼロから発想しないと生み出せないイノベーションであって、そのようなブレイクスルーを実現しながら新興国発のMNCが、生まれつつあり、果敢に先進国のMNCに挑もうとしている。これこそが、GEのイメルトCEOが、最も恐れたことである。

   ゴビンダラジャンが、この講演で強調していたのは、本来、ものを買えない貧しい最貧層を市場に引き込んで商売にする、すなわち、経済から排除されていた、あるいは、非消費者であったものを、消費者にすることが、リバース・イノベーションだと言うことである。
   言い換えれば、70億の人口の内、BOPに位置する4~50億人の市場に、ブルーオーシャン市場を生み出すことこそが、リバース・イノベーションの目指すべき道だと言うのである。
   インドで成功すれば、アジアやアフリカ、中南米等々のBOPの最貧層・ボリュームゾーンを抑えることも出来る。
   
   このリバース・イノベーション戦略については、日本のMNC、特に、新興国や発展途上国、エーマジング・マーケットを攻略しようとする製造業は、真剣に考えるべき経営課題であろうと思う。
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国立能楽堂・・・金剛流の能「道成寺」

2013年11月01日 | 能・狂言
   歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」とそのバリエーションは、結構、観ているのだが、そのオリジナルとも言うべき能「道成寺」は、今回が初めてである。
   金剛流の金剛永謹宗家が、シテを舞うと言うのであるから、大変な舞台で、期待して出かけた。

   肝心の鐘だが、歌舞伎のように、フィナーレで、蛇と化した花子が、鐘の上に上って、銀の鱗模様の衣装の袂を振り上げて見得を切るのとは違って、能では、怒りに狂った前シテ/白拍子が、落下してくるこの鐘の中に飛び込み、その鐘の中で、蛇体に早変わりして登場して、調伏祈祷の僧たちと激しく戦うも、法力に負けて日高川に落ちて行くと言う凄まじい展開となる。

   この鐘は、観世流や宝生流では能の開始前から舞台に吊り上げるようだが、金剛流のこの舞台では、能の進行にあわせて、ワキ/住僧(福王茂十郎)の指示で、アイ/能力(山本東次郎、則俊)たちが、演技をしながら橋掛かりから運び込み、舞台で、東次郎が長い棹の先に輪っか状に綱を括り付けて、舞台の屋根裏に付けられた滑車に通すと、反対側から則俊が、綱を引っ張り下ろして鐘を吊り上げる。
   この道成寺のためだけに、能舞台に鐘を釣る滑車がついているようだが、当然、先日の代々木能舞台にもついていたのだが、夫々、場所は、舞台後方で、囃子坐の少し前くらいの位置にあるので、中正面の座席を取る時には、目付柱の蔭にならないように、その位置には、多少注意した方が良いであろう。
   
   この鐘の作り物だが、青竹を骨組みに使って、それを緞子で包み込んでおり、落下効果を高めるために鐘の下辺縁に鉛を埋め込んであるために重量は50~80キロあると言う大掛かりなもので、シテは、落下して来る鐘の中にすっぽりと入り込めないと、怪我をするので、綱を操作する狂言方後見の役割は非常に重要である。
   興味深いのは、「鐘入り後」に、鐘の内部に、替える面や衣装一式が仕込んであるので、シテは、後見の助けなく、この狭い鐘の中で、蛇体に変身すると言うことである。

   シテ/白拍子は、今回、河内作孫次郎の面。
   視界は、非常に厳しいと思うのだが、シテは、「急ノ舞」で、激しく舞いながら少しずつ鐘に近づき、鐘の下に来ると、扇で烏帽子を叩き落として、扇子で鐘の縁を確かめて、落ちてくる鐘に、正面斜めから跳躍して飛び込む。
   非常にスリリングな演出だが、金剛流独特のスタイルだと言う。

   烏帽子をつける「物着アシライ」の後、シテは、橋掛かりに下がって、二の松に立って、きっと鐘を睨みつけて、大鼓の急調のアシライに舞台に走り込むのだが、この時の大鼓の激しい咆哮は、感動もので、今までに見たこともない程の迫力であった。
   「花のほかには松ばかり・・・」  
   小鼓が、裂帛の気合の籠った掛け声をかけ、目付柱で微妙に動きながら静止していたシテが、小鼓の熱気が頂点に達した激しい掛け声と打音とが、間をおいて繰り返される間、これに呼応して、息を最高度に詰めて緊張の限りの面持ちで、独特の足遣いで、小刻みに足拍子を踏みながら、舞台を回る「乱拍子」。
   それが終わると、非常に急調の「急ノ舞」となり、シテは、徐々に鐘に近づいて、鐘入りとなるのだが、「物着アシライ」から、「乱拍子」へ、そして、「急ノ舞」から鐘入りまでのドラマチックな展開は、正に、魅せる舞台である。

   本来、狂言方のアイが語る鐘の話については、この舞台では、ワキが語る。
   真砂の荘司の一人娘が、熊野に年詣する山伏に懸想して閨を訪れて迫るのだが、恐怖を抱いた山伏が、道成寺に逃げ込み、鐘の中に隠れたものの、蛇身と化した娘が日高川を渡って、鐘に巻き付いて焼き殺すと言う、安珍清姫物語を明かし、その女の執心が残って障礙をなすのだと語る。
   この後、蛇身となって鐘から出てきたシテに、住僧たちが数珠を激しく擦って経文を唱えて調伏しようと迫り、シテは、唐錦を腰に巻き付け打杖を持ったいでたちで、激しく面(夜叉作般若)を上げて、打杖を振り回しながら、激しい戦いが展開される「祈り」。
   結局、最後は、調伏されて追い詰められたシテは、「日高の川浪、深淵に飛んでぞ入りにける」と、揚幕の中に飛び込む。
   世阿弥の夢幻能では、幽霊や亡霊が、最後には、僧侶たちの祈りにより成仏すると言うハッピーエンドが普通なのだが、この「道成寺」では、怨霊は鎮魂されず、そのまま、日高川の深淵で、火焔地獄を彷徨っていると言うことであり、救いがない。
   そう思えば思う程、シテの執念の凄さ恐ろしさが浮かび上がってくるのだが、邪恋がそれ程悪いものなのであろうか。
   梅原先生によると、最初は、若い美僧に愛慾の心を起こして閨に忍び込むのは寡婦であったが、この能では、安珍清姫のように、庄司が、娘に、あの僧がお前の将来の夫だと戯れに言ったのがあざとなって、思いつめた若い女が主人公になっているのだが、私は、少女だと、何か、八百屋お七のような感じがして、ここは、寡婦の方が、リアリティがあって良いと思っている。

   ところで、この能では、狂言方のアイが、非常に重要な役割を果たしていて興味深い。
   鐘を運び込んで来て、鐘を吊りあげると言う演技も重要で、結構お年の人間国宝東次郎が器用に天上の滑車に綱を通したのも見事であり、鐘を操作した狂言方の後見も素晴らしかった。
   また、轟音を響かせた鐘入で、微睡んでいた能力が、吃驚して飛び起きて、シテが、鐘の中で、装束を換えている間、間狂言を行うのも面白い。
   やはり、そこは男で、美しい娘にコロリと行ってしまって、女人禁制だと厳重な注意を受けておりながら、舞いを見たさに、寺に入れて、鐘を落とされてしまったのだが、どう、ワキの住僧に言い訳するか、二人で責任の擦り合いをするのであるが、正に、劇中劇の狂言の舞台で、客席に笑いが起こり、激しい緊張の連続であった舞台に、一幅の清涼感を提供していた。

   さて、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」などの舞台は、この能「道成寺」をオリジナルにしておりながら、舞踊劇に重点が移っていて、美しい白拍子の花子に、引き抜きで衣装を何度も早変わりさせるなど、女の美しさ可愛さ素晴らしさを、これでもかこれでもかと見せて魅せる舞台にしている。
   聞いたか聞いたか・・・で列をなして登場する所化たちに踊らせるのも愛嬌であろうが、安珍清姫の悲劇性は、歌舞伎の舞台では殆ど消えてしまっていて、終幕の鐘入りのところで、花子が、鐘に駆け込み、清姫の怨霊となって、銀の鱗模様の衣装で鐘の上に上ってすっくと立って所化たちを睥睨して見得を切るところが、唯一道成寺のストーリーをフォローしている。
   
   先に書いたが、この能では、大鼓、小鼓の強烈な激しい効果音に加えて、笛、太鼓の伴奏が、実に劇的で効果抜群であり、「道成寺」の悲劇性を浮き立たせているのだが、一方、歌舞伎の方は、花子が、同じ乱拍子や急の舞を舞っても、派手で華麗な長唄の伴奏に呼応して、花子が、1時間にも及ぶ素晴らしい舞踊を踊り続けると、悲劇であることなどすっかり忘れてしまって、むしろ、うっとりと見とれてしまう感じである。

   歌舞伎や文楽の原点を見たい知りたいと思って、能や狂言の鑑賞を始めたのだが、段々、能や狂言の奥深さを感じ始めて、少しずつ、入り込んできたところで、能の大曲「道成寺」を鑑賞出来て幸いであった。
   来月、ユネスコ能でも、金春流の「道成寺」が上演されるので、大変楽しみにしている。

(追記)口絵写真は、金剛流能楽鑑賞入門「風姿」の中の写真を転写借用している。
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