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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「国栖」

2013年11月10日 | 能・狂言
   9月の能楽協会主催の能楽祭で、 シテ 金井雄資 で、宝生流の能「國栖(くず)」を、今回、再び、シテ 辰巳満次郎で、同じく宝生流の「国栖」を鑑賞した。
   短期間に連続して、宝生流の「国栖」を鑑賞できる機会などは、殆どあり得ないと思うのだが、今回は、倉本一宏氏の「能「国栖」と壬申の乱の乱伝説」と言う演題で解説があり、より分かり易くなった。

   皇位継承争いで、大友皇子に追われた大海人皇子(後の天武天皇)が、吉野に逃れついて、川舟に乗った老夫婦に会って、何日も空腹であった皇子に、国栖魚と根芹を供され、残った国栖魚を川に放すと生き返ったので、勝利して都に帰れる吉兆と喜んだと言う話である。
   そこへ、追っ手が来るのだが、機転を利かした老夫婦が皇子を舟の下に隠して、追っ払う。
   老夫婦が姿を消すと、天女が現れて舞を舞い、蔵王権現が現われて虚空を飛び翔り、威力を示して、天皇の御代をことほぐ。

   興味深いのは、史実では、大友皇子は、天智天皇の子供であり、大海人皇子(浄見原天皇/和久凛太郎)は、天智天皇の弟であるのに、この能では、逆になっているので、大海人皇子は、子方が、演じていることである。
   麟太郎君は、実に、凛とした可愛い子方である。
   

   
   金井雄資師が、”「国栖」 に寄せて”で、この能の見どころを語っているので、参考になった。
   前シテの尉(老翁)は、タダの老人ではなく国を正しく導く人物を見抜く能力を持った傑物であり、船中に皇子を隠したときの追っ手に対して、耳が遠いフリをしたり、茫洋とした態度を見せた後、最後にはとてつもない気迫で追い返す。そんな、ただならぬ雰囲気を醸し出し、肚を据え気概を見せなければならないと言う。
   確かに、二人のアイが、武器を持って華々しく登場して、前シテに挑むのだが、老翁の激しい気迫に押されて退散して行く。
   尤も、能では、前シテで老人が登場すると、必ず、謂れのある需要人物であるので、ただならぬ雰囲気はいつも感じている。

   後半の見せ場については、天皇の未来を寿いで天女が舞い、蔵王権現が登場する場面で、天上界の人が地上に降りる決まりの囃子[下羽-笛]で天女が舞い、夢の中の世界の様な場景が抽出される。と言うのだが、後ツレ/天女(和久荘太郎)の舞は、実に優雅で素晴らしい。
   大飛出の凄い形相をした面を付けた後シテの蔵王権現の激しい舞は、足拍子を踏んだり両袖を巻き上げたり大変な迫力で、一寸短いのが残念だが、天女の舞の優雅さとの対比が実に良く、楽しませてくれる。

   この能は、仲哀天皇の后・神功皇后が、新羅の出兵の際、釣った鮎で戦勝を占って、見事勝利したと言う伝説によっていると言う。
   史実では、天智天皇が、皇位を長子の大友皇子に継がせようとしているのを察知して、妻子や部下とともに吉野富に引退したと言うことで、追われたわけではない。
   しかし、部下が動員した兵や大和で呼応した豪族たちと反撃して、大友皇子を自殺に追い込み、大海人皇子は、天武天皇となり、后も持統天皇になる。
   蔵王権現の加護があったかどうかはともかくとして、野に下った大海人皇子が、勝利して都に帰ったと言うのは、奇跡だと言う史家もいるなど、日本歴史上はじめての天下分け目の戦いの結末が興味深い。
   
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