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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

歴博・・・「中世の古文書」展

2013年11月19日 | 展覧会・展示会
   久しぶりの歴博への入館である。
   この歴博の駐車場へ車を入れても、佐倉城址公園やくらしの植物苑へは行くが、何度も入っているので、歴博へは、特別な展示がないと中々入る気にはなれない。
   今回も、書に対する知識も趣味もないので、あまり触手が動かなかったのだが、義経、頼朝、後醍醐天皇、尊氏、信長、と言った歴史上の有名人物の自筆や関連古文書が展示されていると言うので、午後の閉館間際の時間を目指して出かけた。
   場所が、東京から離れた千葉の田舎の佐倉城址の中にあって、それに、JRや京成の佐倉駅からも距離があって不便だと言う所為もあってか、客もまばらで、非常に意欲的な素晴らしい展示を続けているのだが、惜しいと思っている。

   ところで、今回の企画展示は、「空前の総合的中世文書展」と言うふれ込みで、中世文書の全体像が分かり、中世の歴史が分かると同時に、企画展示の副題「-機能と形-」- 機能に応じて形がつくられていき、形を読み解くことでその背景を知るーことを企図しているのだと言う。
   展示も、文書の様式と背景から始まって、文書の作成・保存と伝達、素材と手段、と続いており、確かに、面白い企画ではあろうが、残念ながら、私のような比較的この方面に疎い人間にとっては、むしろ、何が書いてあるのか、あの歴史上の有名人物が書いたのか、と言ったところにしか関心が行かず、猫に小判と言ったところである。

   私が、まず、興味を感じたのは、「高山寺文書」の屏風で、世界に2つしかないと言われる源義経の自筆書状、すなわち、八条院(鳥羽上皇の娘)が伊予国の荘園に使者を送ろうとして義経に伺いをたてたことに対する義経からの返事である。
   集積された文書は一定期間保存された後、処分されたのだが、当時紙は非常に貴重であったために、簡単には捨てずに裏面を再利用していた。八条院の文書も京都の高山寺へ寄進され、仏典などを書き写す紙として再利用されたので、裏側の仏典が滲み出ている。
   歴博のHPより複写借用。
   

   次に、関心を持ったのは、やはり、自筆の文書で、後醍醐天皇と平宗盛の全文自筆文書である。
   足利尊氏自筆の法華経の奥書きが展示されていたが、頼朝にしろ、秀吉にしろ、自筆と言えば花押だけであり、やはり、自筆の書簡などを見ていると、その人物像さえも分かるような気がして、興味が湧くのである。

   署名に匹敵していた花押が、ハンコと言うか朱印に変わって行く推移も興味深いが、署名の裏に花押を書いた文書があるなど、自己の意思による文書であることを示す手法の変遷が面白い。
   欧米式の署名によるのか、日本や中国のように印章によるのかは、紙一重で、ローマでもメソポタミアでも印章であったし、東西の区別はないのであろう。

   丁度、これに似た文化の異相は、住所の表示で、欧米は、あくまで道路が基本になっていて、必ず道路名に、CITY HALLに近いところから打たれた番地がついているのだが、日本やアラビアなどは、面での住所表示で、道路には関係なく、面に町名や番地がついている。
   しかし、奈良や平安の時代には、中国表示の条里制が敷かれて、今でも、京都などは、四条烏丸上がると言った調子で、道路標示方式が残っているかと思うと、昔、なかった筈の道路や路地さえも名前が付けられるようになった。
   私など、欧米で生活をしていて、地図さえあれば、どこへでも行けたが、最近整備されたと言っても、1丁目の隣に13丁目があったりして、日本では、目的の家を探すのが大変である。

   話が飛んでしまったが、面白いと思ったのは、キリスト教大名の大友宗麟の朱印で、フランシスコであろうか、FRCOとローマ字が書かれていることである。
   それに、明阿弥陀仏(みょうあみだぶつ)屋地寄進状だが、女性であるから、花押の位置に拇印が押されていて、更に、爪の形も残されているなど、非常に興味深い。

   閉館ぎりぎりまで、色々考えながら、今回は、かなり丁寧に見ていたが、昔、大英博物館で、ベートーヴェンやショパンなどの自筆楽譜や、偉人たちの書簡や原稿、マグナ・カルタなどの歴史的な古文書などを、良く見に出かけて、歴史に思いを馳せていた頃を思い出していた。
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