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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・金剛流の能「道成寺」

2013年11月01日 | 能・狂言
   歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」とそのバリエーションは、結構、観ているのだが、そのオリジナルとも言うべき能「道成寺」は、今回が初めてである。
   金剛流の金剛永謹宗家が、シテを舞うと言うのであるから、大変な舞台で、期待して出かけた。

   肝心の鐘だが、歌舞伎のように、フィナーレで、蛇と化した花子が、鐘の上に上って、銀の鱗模様の衣装の袂を振り上げて見得を切るのとは違って、能では、怒りに狂った前シテ/白拍子が、落下してくるこの鐘の中に飛び込み、その鐘の中で、蛇体に早変わりして登場して、調伏祈祷の僧たちと激しく戦うも、法力に負けて日高川に落ちて行くと言う凄まじい展開となる。

   この鐘は、観世流や宝生流では能の開始前から舞台に吊り上げるようだが、金剛流のこの舞台では、能の進行にあわせて、ワキ/住僧(福王茂十郎)の指示で、アイ/能力(山本東次郎、則俊)たちが、演技をしながら橋掛かりから運び込み、舞台で、東次郎が長い棹の先に輪っか状に綱を括り付けて、舞台の屋根裏に付けられた滑車に通すと、反対側から則俊が、綱を引っ張り下ろして鐘を吊り上げる。
   この道成寺のためだけに、能舞台に鐘を釣る滑車がついているようだが、当然、先日の代々木能舞台にもついていたのだが、夫々、場所は、舞台後方で、囃子坐の少し前くらいの位置にあるので、中正面の座席を取る時には、目付柱の蔭にならないように、その位置には、多少注意した方が良いであろう。
   
   この鐘の作り物だが、青竹を骨組みに使って、それを緞子で包み込んでおり、落下効果を高めるために鐘の下辺縁に鉛を埋め込んであるために重量は50~80キロあると言う大掛かりなもので、シテは、落下して来る鐘の中にすっぽりと入り込めないと、怪我をするので、綱を操作する狂言方後見の役割は非常に重要である。
   興味深いのは、「鐘入り後」に、鐘の内部に、替える面や衣装一式が仕込んであるので、シテは、後見の助けなく、この狭い鐘の中で、蛇体に変身すると言うことである。

   シテ/白拍子は、今回、河内作孫次郎の面。
   視界は、非常に厳しいと思うのだが、シテは、「急ノ舞」で、激しく舞いながら少しずつ鐘に近づき、鐘の下に来ると、扇で烏帽子を叩き落として、扇子で鐘の縁を確かめて、落ちてくる鐘に、正面斜めから跳躍して飛び込む。
   非常にスリリングな演出だが、金剛流独特のスタイルだと言う。

   烏帽子をつける「物着アシライ」の後、シテは、橋掛かりに下がって、二の松に立って、きっと鐘を睨みつけて、大鼓の急調のアシライに舞台に走り込むのだが、この時の大鼓の激しい咆哮は、感動もので、今までに見たこともない程の迫力であった。
   「花のほかには松ばかり・・・」  
   小鼓が、裂帛の気合の籠った掛け声をかけ、目付柱で微妙に動きながら静止していたシテが、小鼓の熱気が頂点に達した激しい掛け声と打音とが、間をおいて繰り返される間、これに呼応して、息を最高度に詰めて緊張の限りの面持ちで、独特の足遣いで、小刻みに足拍子を踏みながら、舞台を回る「乱拍子」。
   それが終わると、非常に急調の「急ノ舞」となり、シテは、徐々に鐘に近づいて、鐘入りとなるのだが、「物着アシライ」から、「乱拍子」へ、そして、「急ノ舞」から鐘入りまでのドラマチックな展開は、正に、魅せる舞台である。

   本来、狂言方のアイが語る鐘の話については、この舞台では、ワキが語る。
   真砂の荘司の一人娘が、熊野に年詣する山伏に懸想して閨を訪れて迫るのだが、恐怖を抱いた山伏が、道成寺に逃げ込み、鐘の中に隠れたものの、蛇身と化した娘が日高川を渡って、鐘に巻き付いて焼き殺すと言う、安珍清姫物語を明かし、その女の執心が残って障礙をなすのだと語る。
   この後、蛇身となって鐘から出てきたシテに、住僧たちが数珠を激しく擦って経文を唱えて調伏しようと迫り、シテは、唐錦を腰に巻き付け打杖を持ったいでたちで、激しく面(夜叉作般若)を上げて、打杖を振り回しながら、激しい戦いが展開される「祈り」。
   結局、最後は、調伏されて追い詰められたシテは、「日高の川浪、深淵に飛んでぞ入りにける」と、揚幕の中に飛び込む。
   世阿弥の夢幻能では、幽霊や亡霊が、最後には、僧侶たちの祈りにより成仏すると言うハッピーエンドが普通なのだが、この「道成寺」では、怨霊は鎮魂されず、そのまま、日高川の深淵で、火焔地獄を彷徨っていると言うことであり、救いがない。
   そう思えば思う程、シテの執念の凄さ恐ろしさが浮かび上がってくるのだが、邪恋がそれ程悪いものなのであろうか。
   梅原先生によると、最初は、若い美僧に愛慾の心を起こして閨に忍び込むのは寡婦であったが、この能では、安珍清姫のように、庄司が、娘に、あの僧がお前の将来の夫だと戯れに言ったのがあざとなって、思いつめた若い女が主人公になっているのだが、私は、少女だと、何か、八百屋お七のような感じがして、ここは、寡婦の方が、リアリティがあって良いと思っている。

   ところで、この能では、狂言方のアイが、非常に重要な役割を果たしていて興味深い。
   鐘を運び込んで来て、鐘を吊りあげると言う演技も重要で、結構お年の人間国宝東次郎が器用に天上の滑車に綱を通したのも見事であり、鐘を操作した狂言方の後見も素晴らしかった。
   また、轟音を響かせた鐘入で、微睡んでいた能力が、吃驚して飛び起きて、シテが、鐘の中で、装束を換えている間、間狂言を行うのも面白い。
   やはり、そこは男で、美しい娘にコロリと行ってしまって、女人禁制だと厳重な注意を受けておりながら、舞いを見たさに、寺に入れて、鐘を落とされてしまったのだが、どう、ワキの住僧に言い訳するか、二人で責任の擦り合いをするのであるが、正に、劇中劇の狂言の舞台で、客席に笑いが起こり、激しい緊張の連続であった舞台に、一幅の清涼感を提供していた。

   さて、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」などの舞台は、この能「道成寺」をオリジナルにしておりながら、舞踊劇に重点が移っていて、美しい白拍子の花子に、引き抜きで衣装を何度も早変わりさせるなど、女の美しさ可愛さ素晴らしさを、これでもかこれでもかと見せて魅せる舞台にしている。
   聞いたか聞いたか・・・で列をなして登場する所化たちに踊らせるのも愛嬌であろうが、安珍清姫の悲劇性は、歌舞伎の舞台では殆ど消えてしまっていて、終幕の鐘入りのところで、花子が、鐘に駆け込み、清姫の怨霊となって、銀の鱗模様の衣装で鐘の上に上ってすっくと立って所化たちを睥睨して見得を切るところが、唯一道成寺のストーリーをフォローしている。
   
   先に書いたが、この能では、大鼓、小鼓の強烈な激しい効果音に加えて、笛、太鼓の伴奏が、実に劇的で効果抜群であり、「道成寺」の悲劇性を浮き立たせているのだが、一方、歌舞伎の方は、花子が、同じ乱拍子や急の舞を舞っても、派手で華麗な長唄の伴奏に呼応して、花子が、1時間にも及ぶ素晴らしい舞踊を踊り続けると、悲劇であることなどすっかり忘れてしまって、むしろ、うっとりと見とれてしまう感じである。

   歌舞伎や文楽の原点を見たい知りたいと思って、能や狂言の鑑賞を始めたのだが、段々、能や狂言の奥深さを感じ始めて、少しずつ、入り込んできたところで、能の大曲「道成寺」を鑑賞出来て幸いであった。
   来月、ユネスコ能でも、金春流の「道成寺」が上演されるので、大変楽しみにしている。

(追記)口絵写真は、金剛流能楽鑑賞入門「風姿」の中の写真を転写借用している。
コメント (1)
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