大宮のソニックシティで、久しぶりに愉快なロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」を楽しんだ。
最高1万3千円を支払えば、これほど良質で密度の高いロッシーニを聴けるなんて、コストパーフォーマンスの非常に高いオペラ公演であった。
主役の歌手達は若手でキャリアは浅いとしても、非常に芸達者で実に上手いし、とに角、のりの良い軽快で早いテンポの浮き立つようなロッシーニ・サウンドに乗って元気な芸を披露しながら、縦横無尽に演じきる、実に小気味の良いオペラで、とにも角にも、楽しいのである。
この劇団の町スポレートは、中田が居たペルージャから少し南にあるウンブリア地方のしっとりとした中世の古都のようである。
私は、三年前にこの近くのアッシジに二泊したので多少雰囲気は分かる気がするのだが、ミシュランの緑ガイドを見ると、夏には、イタリア系アメリカ人の興行主で作曲家のジャンカルロ・メノッティによって開設されたスポレート・フェステイバルで人々を集めるようである。
これとは別に、弁護士兼音楽研究家のアーノ・ベッリが、1947年に「A・ベッリ実験オペラ劇場」を開設してから、デビュー経験のない若手歌手や芸術家のために登竜門となり、多くの世界的なイタリア人歌手を排出してきたと言う。
F・コッレリ、R・ブルソン、R・ライモンディ、L・ヌッチ、R・パネライ、J・サバティーニ等々私の聴いたイタリア人男性歌手の多くがここから巣立ったとのことだし、アンナ・モッフォの名前まで出てくる。
余談だが、アンナ・モッフォと言えば、たった一回きりだが、ニューヨークのMETで、道化師のネッダを観たが、とに角、歌は上手いし実に美しかった。この時、天はニ物を与えずと言う諺がウソであることを確信した。
ところで、今回はこの劇場の引越し公演と言うことで地方も回っているようで、歌手には大分ばらつきがあって、大宮の場合には、主役が若手のようであったが、イタリアオペラの層の厚さは流石で、殆ど、そんなことを意識せずに鑑賞することが出来た。
尤も、先ごろ観たMETのライブビューイングの「セビリアの理髪師」と比べてしまうのだが、このスポレート劇場の舞台の方はもっとイタリア的でローカル色が強くて、親しみ易くてストレートに迫ってくる楽しさがある。
舞台は、中央にこじんまりした住宅の壁面があり、上手の2階のバルコニー兼出入り口の踊り場から下手に向かって階段が下りていて、その先に玄関口が付いているシンプルなもので、これで移動なしに全幕を通す。
舞台展開によって、これが外壁になったり、内壁になったりして、実に上手く設定されている。
第一幕の、バルコニーに向かってアルマヴィーヴァ伯爵などが愛の歌を奉げる場では、前庭は街路になり、その後のバルトロの邸宅の場では、室内に早変わりするのだが、階段やバルコニーの使い方など中々洒落ていて面白い。
バックには、セビリアの風景を描いた薄幕が下りていて、非常に素晴らしいスペインの雰囲気を醸し出している。
指揮台の総譜を後から覗くと、最初から最後まで、びっしり、各パートの始めなどの要所にブルーで縦にしるしが付けられていて、それに黒い線で補い、更に赤字で書き込みがなされている。
この指揮者のヴィート・クレメンテだが、少し小編成のオーケストラを軽快に走らせながら実に巧みにロッシーニ節を歌わせていて、ぐいぐい観客をオペラに引きこんで行く。どうも、全演目指揮するようであるが、中々、素晴らしい演奏で楽しかった。
フィガロのオリヴィエーロ・ジョルジュッティだが、多少地味ながら、軽快なテンポで畳み掛ける綺麗なバリトンが冴えていて中々好ましい。
アルマヴィーヴァ伯爵のエンリーコ・イヴィッリアは、一寸指揮者のベルナルド・ハイティンクを若くスマートにしたような風貌で、澄んだ朗々としたテノールが爽やかで、とに角、舞台を縦横に動き回り、酔っ払った兵隊や若い音楽家などの変装も板についていて芸も上手い。しかし、伯爵としての威厳と品格には多少欠けるところが気になるが、先が楽しみな歌手である。
ドン・バジリオのカロージェロ・アンドリーナは、声質や舞台姿等は問題なく中々達者で良いのだが、他の歌手との対照がこのオペラの醍醐味の一つでもあるので、欲を言えば、もう少し灰汁の強いコミカルな演技を強調したら良いのにと思って見ていた。
さて、ロジーナのマリア・アグレスタであるが、「セビリアの理髪師」を何度か聴いていてメゾソプラノなのだが初めてソプラノに近い感じの声質のロジーナを聴いたので非常に新鮮な感じがして面白かった。
中々、チャーミングで芸も上手く、伯爵のイヴィッリアと相性が良く、コミカルで若々しい舞台を楽しませてくれた。
舞台が変わってバルトロ家の居間になって、ロジーナが登場する最初の場面だが、何故か、彼女の着替えの場で、下着姿で動き回るのだが、セビリア一の美人で後のアルマヴィーヴァ伯爵夫人と言う設定なのだから、もう少し、品が良くてもと、多少違和感を感じた。
もっとも、「早く、貴方のものになりたい。」などと歌いながら舞台上で愛の交歓を演じるのであるから、この舞台はこれで良いのかも知れない。
音楽家のドン・バジリオのカロージェロ・ボスケッティなど他の脇役も役者が揃っていて、このロッシーニのドタバタ喜歌劇を盛り上げていたが、とに角、歌が上手いだけの大根役者では場が持たない所がこのオペラの楽しさでもあり、交響楽団の演奏会の二倍程度の入場料で楽しめるのなら、もっともっとイタリアから来て欲しいと思うのは私だけではあるまい。
(追記)写真は、劇場の宣伝写真から。歌手は多少違っている。
最高1万3千円を支払えば、これほど良質で密度の高いロッシーニを聴けるなんて、コストパーフォーマンスの非常に高いオペラ公演であった。
主役の歌手達は若手でキャリアは浅いとしても、非常に芸達者で実に上手いし、とに角、のりの良い軽快で早いテンポの浮き立つようなロッシーニ・サウンドに乗って元気な芸を披露しながら、縦横無尽に演じきる、実に小気味の良いオペラで、とにも角にも、楽しいのである。
この劇団の町スポレートは、中田が居たペルージャから少し南にあるウンブリア地方のしっとりとした中世の古都のようである。
私は、三年前にこの近くのアッシジに二泊したので多少雰囲気は分かる気がするのだが、ミシュランの緑ガイドを見ると、夏には、イタリア系アメリカ人の興行主で作曲家のジャンカルロ・メノッティによって開設されたスポレート・フェステイバルで人々を集めるようである。
これとは別に、弁護士兼音楽研究家のアーノ・ベッリが、1947年に「A・ベッリ実験オペラ劇場」を開設してから、デビュー経験のない若手歌手や芸術家のために登竜門となり、多くの世界的なイタリア人歌手を排出してきたと言う。
F・コッレリ、R・ブルソン、R・ライモンディ、L・ヌッチ、R・パネライ、J・サバティーニ等々私の聴いたイタリア人男性歌手の多くがここから巣立ったとのことだし、アンナ・モッフォの名前まで出てくる。
余談だが、アンナ・モッフォと言えば、たった一回きりだが、ニューヨークのMETで、道化師のネッダを観たが、とに角、歌は上手いし実に美しかった。この時、天はニ物を与えずと言う諺がウソであることを確信した。
ところで、今回はこの劇場の引越し公演と言うことで地方も回っているようで、歌手には大分ばらつきがあって、大宮の場合には、主役が若手のようであったが、イタリアオペラの層の厚さは流石で、殆ど、そんなことを意識せずに鑑賞することが出来た。
尤も、先ごろ観たMETのライブビューイングの「セビリアの理髪師」と比べてしまうのだが、このスポレート劇場の舞台の方はもっとイタリア的でローカル色が強くて、親しみ易くてストレートに迫ってくる楽しさがある。
舞台は、中央にこじんまりした住宅の壁面があり、上手の2階のバルコニー兼出入り口の踊り場から下手に向かって階段が下りていて、その先に玄関口が付いているシンプルなもので、これで移動なしに全幕を通す。
舞台展開によって、これが外壁になったり、内壁になったりして、実に上手く設定されている。
第一幕の、バルコニーに向かってアルマヴィーヴァ伯爵などが愛の歌を奉げる場では、前庭は街路になり、その後のバルトロの邸宅の場では、室内に早変わりするのだが、階段やバルコニーの使い方など中々洒落ていて面白い。
バックには、セビリアの風景を描いた薄幕が下りていて、非常に素晴らしいスペインの雰囲気を醸し出している。
指揮台の総譜を後から覗くと、最初から最後まで、びっしり、各パートの始めなどの要所にブルーで縦にしるしが付けられていて、それに黒い線で補い、更に赤字で書き込みがなされている。
この指揮者のヴィート・クレメンテだが、少し小編成のオーケストラを軽快に走らせながら実に巧みにロッシーニ節を歌わせていて、ぐいぐい観客をオペラに引きこんで行く。どうも、全演目指揮するようであるが、中々、素晴らしい演奏で楽しかった。
フィガロのオリヴィエーロ・ジョルジュッティだが、多少地味ながら、軽快なテンポで畳み掛ける綺麗なバリトンが冴えていて中々好ましい。
アルマヴィーヴァ伯爵のエンリーコ・イヴィッリアは、一寸指揮者のベルナルド・ハイティンクを若くスマートにしたような風貌で、澄んだ朗々としたテノールが爽やかで、とに角、舞台を縦横に動き回り、酔っ払った兵隊や若い音楽家などの変装も板についていて芸も上手い。しかし、伯爵としての威厳と品格には多少欠けるところが気になるが、先が楽しみな歌手である。
ドン・バジリオのカロージェロ・アンドリーナは、声質や舞台姿等は問題なく中々達者で良いのだが、他の歌手との対照がこのオペラの醍醐味の一つでもあるので、欲を言えば、もう少し灰汁の強いコミカルな演技を強調したら良いのにと思って見ていた。
さて、ロジーナのマリア・アグレスタであるが、「セビリアの理髪師」を何度か聴いていてメゾソプラノなのだが初めてソプラノに近い感じの声質のロジーナを聴いたので非常に新鮮な感じがして面白かった。
中々、チャーミングで芸も上手く、伯爵のイヴィッリアと相性が良く、コミカルで若々しい舞台を楽しませてくれた。
舞台が変わってバルトロ家の居間になって、ロジーナが登場する最初の場面だが、何故か、彼女の着替えの場で、下着姿で動き回るのだが、セビリア一の美人で後のアルマヴィーヴァ伯爵夫人と言う設定なのだから、もう少し、品が良くてもと、多少違和感を感じた。
もっとも、「早く、貴方のものになりたい。」などと歌いながら舞台上で愛の交歓を演じるのであるから、この舞台はこれで良いのかも知れない。
音楽家のドン・バジリオのカロージェロ・ボスケッティなど他の脇役も役者が揃っていて、このロッシーニのドタバタ喜歌劇を盛り上げていたが、とに角、歌が上手いだけの大根役者では場が持たない所がこのオペラの楽しさでもあり、交響楽団の演奏会の二倍程度の入場料で楽しめるのなら、もっともっとイタリアから来て欲しいと思うのは私だけではあるまい。
(追記)写真は、劇場の宣伝写真から。歌手は多少違っている。