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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ゲルバーのラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番・・・新日本フィル定期公演

2005年11月13日 | クラシック音楽・オペラ
   私にとっては、久しぶりのクリスティアン・アルミンク指揮の新日本フィルの定期公演であるが、今回は、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのピアノでラフマニノフの第3番、それに、アレクサンダー・ロクシンの交響曲第一番「レクイエム」の日本初演である。

   何でも初演と言うのは、期待以上であったり、期待を裏切られたりで、色々なのであるが、現代作品で、作曲者が演奏会当日会場に来ている場合には、現代的すぎて馴染めない場合が多いのだが、このロクシンの場合は、ソ連時代に政治的等で相容れなかった不遇の作曲家であったので、多少、違っていてそれ程違和感はなかった。

   ゲルバーは、天才ピアニストと言うべきか、芸歴が長く、一度演奏会で聴いているが、フィラデルフィアであったか、東京であったか、随分前の話で忘れてしまった。
   若くて美人だったマルタ・アルゲリッチと、まだピアニストだったバレンボイムとがアルゼンチンの3羽烏として有名で、3人のコンサートに出かけた。
   あの頃は、ゲルバーは、若い坊ちゃんと言う雰囲気であったが、今回は、足がずっと悪くなった感じで、それに、年を取ったのか、大分体重もついてゆっくり舞台に登場した時には、別人のような感じがした。

   このピアノ協奏曲は、ラフマニノフが渡米後の1909年に、本人自身の独奏で、ウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク・フィルで初演され、その後、グスタフ・マーラー指揮で、同じコンビで再演されたという。
   映画「シャイン」で有名になったと言うことだが、後でDVDをかけて見ようと思ってそのままになっている。
   
   私の好んで聴くのは、第2番のやや哀調を帯びたスラブの土の香りがする方のピアノ協奏曲で、第3番の方は、CDも持っていないので、聴く機会が少なかったが、今度のゲルバーの繊細かつ豪快な演奏を聴いて、改めてラフマニノフの音楽の豊かさを感じた。
   前回の来日時には、ベートヴェン演奏が主体だったようだが、ディスコグラフィをチェックしてもベートヴェンが多いが、技術的にも音楽的にも高度なものを要求される最難曲だと言われるこのピアノ協奏曲とがっぷり四つに組んで対峙する、ゲルバーの凄い気迫と迫力に圧倒されて聴いていたが、正統を追求し続けるピアニストの真摯な熱情が全開した感じの演奏であった。

   ロクシンの「レクイエム」であるが、冒頭から器楽のみの導入で、室内楽風の演奏が続くなど一寸違和感を感じながら聞いていたが、最後も、独奏ヴァイオリンが静かに消えていって終わるのだが、誰も知らない(?)ので、拍手が中々出なくて演奏者も聴衆も戸惑った感じであった。
   新日本フィルの演奏、そして、独唱者も含めて栗友会合唱団の歌声は素晴しかった。
   良いか悪いか、新日本フィルの場合は、比較的熱心なクラシックファンが多い筈なのだが、今回、演奏途中に退場する夫婦が居た。

   昨年、ニューヨークでロリン・マゼール指揮でニュヨーク・フィルを聴いたが、その時、全く信じ難いことだが、ランラン独奏のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番の第1楽章終わりで拍手が出たり、次の現代曲アウグスタ・リード・トーマス作曲の「GATHERING PARADISE」では、休憩中に多くの客が帰ってしまい、演奏途中にも多くの客が退場するのを見たが、クラシック演奏会も歌舞伎並みに自由になったのであろうか。

   もっとも、その時期、来年来日予定のメトロポリタン・オペラが、プラシド・ドミンゴ出演の「ワルキューレ」を、最高のチケットが2万円で公演していたが、それでも売れ残っていた状態だから、ニューヨークのクラシック音楽市場に、何か変化が起こっているのかも知れない。

   
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ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー展・・・早稲田演劇博物館

2005年11月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今、早稲田大学演劇博物館で、「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー 1961ー2005」と言う現在演劇シリーズ企画展が開かれている。
   元々、この博物館には、一階に、「シェイクスピアの世界」と言う展示室があって、全館日本の芸術博物館でありながら、坪内逍遥の為か、外国芸術では、シェイクスピアだけが展示されている。
   坪内逍遥の逍遥記念室には、シェイクスピア全集やロメオとジュリエットの翻訳自筆原稿や愛蔵のシェイクスピア人形などシェイクスピア縁の逍遥記念品が展示されていて、中々素晴しい。

   RSC展は、3階の回廊全体が会場になっていて、壁にビッシリとRSCの舞台写真やポスターなど記念の品々が展示されていて、懐かしい舞台場面など、中々貴重な資料となっている。
   中央にテレビがセットされていて、RSCのシェイクスピア戯曲の舞台ビデオが映されていて、シェイクスピア役者の台詞回しが雰囲気を盛り上げている。
   
   私が、シェイクスピアに興味を持ち始めたのは、正に、RSCのヘンリー4世第一部をロンドンのバービカン劇場で始めて観た時からで、その後、1993年にイギリスを離れるまで、ロンドンの拠点2劇場と本拠のストラットフォード・アポン・エイボンの大劇場やスワン劇場に通いつめた。
   大体、何時でも予約なしにチケットは手に入ったが、1992年のケネス・ブラナーのハムレットの時だけは、予約も中々難しかった。
   早稲田の資料によると、芸術監督エイドリアン・ノーブルがブラナーをRSCに再び呼び戻して打った公演で、カンパニー始まって以来の前売り記録だと言う、さすがに、国民的シェイクスピア役者である。

   帰国してからは、定期的にイギリスへ出かけたり、日本での公演には必ず出かけて行ったので、RSCの舞台は、シェイクスピア劇以外でも結構観ている。
   それに、イギリスでは、ロイヤル・ナショナル・シアターやグローブ座のシェイクスピア公演にも積極的に出かけているので、シェイクスピア劇は30以上は観ている勘定になる。

   しかし、好きで観ているだけと言うのが正直な所で、それ程、本格的に勉強している訳でもないので、オペラに対するほど、詳しくはないし、それに、難しい。
   学生時代に、イギリスではどんな家庭でも聖書と一緒にシェイクスピア本が置かれていると聞いていたが、全くウソで、イギリス人でもシェイクスピアを楽しむ為には、可なりの教養と修練が要求される。
   従って、日本の歌舞伎や文楽ほどではないが、必ずしも、そうポピュラーでもなく、ミュージカル等の方が人気が高い。

   もっとも、私の場合は、シェイクスピア鑑賞の時には、必ず、小田島雄志先生等の翻訳本を読んで出かけるし、シェイクスピア関連の本は学術書も含めて書店の書棚よりは充実しているくらいあるし、それに、ビデオやDVDも可なりある。
   ピーター・ブルックやケネス・ブラナー、ローレンス・オリヴィエや蜷川幸雄の本も読む。
   突っ込めば突っ込むほど、シェイクスピアは遠ざかって行く、私には、何時もそんな感じである。
   しかし、シェイクスピアには、ヴェルディのシオペラや、それに、映画やバレー、それに文楽や歌舞伎まで、いくらでも楽しみ方があり、目が離せない、それが、正直な所であろうか。

   今回の展示で、RSCがロンドンの拠点だったバービカンを2002年に離れていることを知った。
   一昨年、ウオータールーの故地オールド・ビック劇場で、RSCの「ウインザーの陽気な女房達」を観たが、やはり、新しいグローブ座に客を奪われたのか、ロンドンでの常設館がなくなったのか、この夏にはロンドンでは公演を探せなかった。
   ずぼらをせずに、次は、ストラトフォードに行こうと思う。
   あの木の香りのするこじんまりとしたスワン劇場の雰囲気が素晴しく、臨場感一杯であるが、被り付きなどに座ると劇中に入ったような錯覚に襲われる。
   そして、シェイクスピア生家や妻の田舎家など懐かしい縁の土地を散策しようと思う。

   来月、RSCが来日して、「夏の夜の夢」を公演する。
   今から楽しみである。

   法学のシンポジュームを少し早めに切り上げて、この坪内記念館の博物館に来たのだが、一階の入り口にある中村歌右衛門の展示室を見過ごして帰ってきてしまった。
   近くまた出かけようと思っている。
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菊香る秋・・・新宿御苑の菊花壇展と高島屋での草月展

2005年11月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   11月に入ってから新宿御苑で菊花壇展が開かれていて,広い苑内に花壇が設えられて素晴しい菊が展示されている。
   初冬に出てくる芽から育てて1年がかりで501輪の花を咲かせた大作り菊など、正に圧倒されるような迫力で、色取り取りの懸崖作り、江戸菊、肥後菊、伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊、一文字菊、管物菊、それに、大菊と、豪華に咲き誇った菊の花壇が秋の素晴しさを演出している。
   菊も良いが、少しづつ色づき始めた木々や水面を泳ぐ水鳥の風情が秋の深まりを感じさせてくれて、その静寂がまた素晴しい。  

   日本橋高島屋では、草月展が開催されて、こちらは、花のみならず、正に花を主役にした造型美術の世界で、自然と人口の素晴しいマッチングがまた格別で、夢の世界を繰り広げている。
   草月流は、形式にとらわれない、いける人の個性を尊重すると言う所為なのか、花とは関係なく、木と金属だけ、或いは、陶器だけであったり、花があってもほんの添え物と言った感じの作品があり、西洋の造型美術と殆ど差がなくなっているものもあって面白いが、しかし、どれもそれなりに美しいのである。
   芸術の秋たけなわである。
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グローバルスタンダード取得に弱い日本・・・坂村健教授の見解

2005年11月10日 | 政治・経済・社会
   「グローバルスタンダードと国家戦略」の著書の中で、坂村教授は、グローバルスタンダードの取得に淡白な日本の取り組みについて面白い話を沢山語っているが、やはり、日本の教育システムに問題があるとしている。

   まず第一に、国際舞台で欧米人と対等に渡り合えない日本人の国際性の欠如が最大の問題で、特に、国際機関などで決定されるディジュール・スタンダードには、殆ど勝ち目がないと言う。
   「アイデアとビジョンを持ち、説得力のある主張が出来、議論に強くプレゼンテーションがうまく、しかもそれを英語で出来る人間」が必須であるが、そんな日本人がどれだけいるか、と問いかけている。
   欧米の進んだ文化や文明、即ち、学問や科学を導入する為に設定された明治時代の日本人の英語教育がそのまま踏襲されていて、その欠陥が如実に現れている訳であるが、駅前留学のNOVA程度の勉強では追いつかないのである。

   欧米で生活していて感じたのは、何処の国の移民や留学生でも、一番最初に覚えるのは、新しくやって来た国の言葉をまず話し始めて、それから、読み書きがついてくる。
   ところが日本人は、逆で、難しい文法を知っていたり、時には、シェイクスピアさえ読めるが、話せない場合が多い。

   もう一つは、話し方教室と言うか、弁論術なり、説得術を、或いは、論文の書き方等プレゼンテーションの仕方を教えて、相手にいかに自分の主張なり意見や気持ちを伝えるかと言う教育が、日本には全く欠如していることである。
   沈黙は金などと言う時代錯誤の教育では致し方ないが、イギリス人と議論していると、たとえ内容は貧弱でも、実に上手な発言をしてビックリすることがあるが、弁論術を学校で習っているのである。
   ロンドンのハイド・パークの片隅に、スピーカーズコーナーがあって、好きな時に立って演説をぶつことが出来るようになっているが、数奇屋橋の交差点で大音量のスピーカーでがなりたてている傍若無人な演説とは違う民主主義の国での話である。

   以前にこのブログでも書いたが、やはり、悲しくても、現在の文化文明のグローバルスタンダードも学問や芸術でも、まだ欧米に握られている以上、欧米の高等教育機関に留学生を送り込んで、欧米のリーダー達と同じ次元に立って対等に渡り合える人材を1人でも多く育てることが涵養だと思われる。
   しかし、留学して勉強したいと言う若者が減り、コスト削減で国家や企業の留学が切り詰められて、最近では留学生が激減して中国や韓国の5~10分の1くらいだと言う。
   このツケは、10年20年後に必ず帰ってくると野口悠紀夫教授は言う。

   もう一つ坂村教授の国際標準の確保についての興味深い指摘は、国際機関の決定によるデジュール・スタンダードでもなく、実質的な市場支配によるディファクト・スタンダードではない、第3の道の話である。
   関係企業が集まって標準化推進団体を結成して、規格をまとめ、その規格の存在をアピールする業界標準を作る手法で、アソーシエイション方式とかフォーラム方式と呼ばれている。
   公式の標準化団体に提案し、既にデファクトであると言う実績を背景にそのままの形でお墨付きを貰う、デファクトのすばやさと「ゆるさ」、デジュールのオープン性と公共性を併せ持ったハイブリッド方式だと言う。

   今、次のDVDでソニーや松下のブルーレイ方式と東芝などのHDDVD方式が争っているが、これもこの変形であろうか。
   とにかく、煩わしい問題は避けて、ロイヤリティを払ってでも国際標準に従っておれば、製造技術には自信があるのだから、立派なものを作って巻き返そう、と言う従来の考えを改めてグローバル・スタンダードを確保することが大切であろう。
   その道を邁進しているのが、坂村健教授が推進するT-エンジンフォーラムであり、ユビキタスIDセンター。
   とにかく、ありとあらゆるモノや場所にコンピューターが組み込まれて人間にとって重要な情報を発信する、そんな世界が近づいているのである。
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新都心お台場雑感・・・閑古鳥鳴くヴィーナスフォート

2005年11月09日 | 政治・経済・社会
   二日続きの良い天気で、今日は、ビックサイトで開催中の「計測展2005TOKYO」に出かけた。
   基調講演の東大工学部須賀唯知教授の「インターコネクト・エコデザイン―未来のための製造技術」を聞いた。

   NHKのTV番組「ためしてガッテン」で、大分以前に、金属の塊ををくっ付けて人間がぶら下がっても離れないと言う実験をしていたが、表面の酸化幕を綺麗にすれば、電子のマイナスイオンの働きで常温接合が可能なのだと言うことらしいが、とにかく、門外漢には全く分らない話。このように「くっ付くとは何か」を20年以上研究されているとか、それなりに面白かったが、このような地味で地道な基礎研究が日本の製造技術を支えているのだと感激して聞いていた。

   日本の製造業における最先端の技術を垣間見たくて、計測展に行ったのだが、素人のアプローチできる分野はなく、一回りして会場を出た。

   天気が良かったので、一度、ヴィーナスフォートを見たくて、青海方面に向かって歩くことにした。
   以前には、大前研一著の本まで出て、鳴り物入りでオープンして、お台場の案内所には大々的に出ていたが、今回、ビックサイトに置いてある地図やパンフレットを見て、いくら探してもヴィーナスフォートの名前など全く出てこない。
   それもその筈、いつからそうなったのか知らないが、「パレットタウン」と言う一つのアミューズメント・ショッピングセンターの中に取り込まれて居るのである。

   ヴィーナスフォートの建物は、一階が、「サンウオーク」と言う子供服からスポーツ用品、バラエティ雑貨、フードショップ等々雑多なショッピングセンターで、18世紀のヨーロッパの美しい街並みをモチーフにしたと言う「ヴィーナスフォート」は、二階と三階である。
   私は、大前さんの本に新しいショッピングアーケードの幕開けを感じて期待していたのだが、結論から言えば、実に中途半端なショッピングモールだと思った。
   規模から言っても小さいし、建物や内装も中途半端でクオリティが感じられない擬古的ヨーロッパ風だし、それに、入っている店そのものの質が問題で、何故、ここまで来て若い女性がショッピングしなければならないのか、チャームポイントがあるのかないのか、全く、そのコンセプトが分からないのである。
   それに、レストランのヴァリエーションは良いとしても、オープンエアーなら良いのだが、閉鎖された建物の中なので、店舗との棲み分けが不十分で臭気が気になるし、それに、時間によって色が変わるという天井のドームが、何故か侘しいほど寂しいのである。

   最近、品川、汐留、六本木、銀座、秋葉原、東京駅前等々、魅力的なショッピングの街が整備されてきているし、それらさえ結構苦戦しているのだから、ヴィナースフォートは大変だろうと思う。
   その所為かどうかは知らないが、また、休日は来客で混むのかも知れないが、平日の午後だったので、客は非常に少なかった。
   台湾か中国の団体が入っていて、3美神のヴィーナス像の前やあっちこっちで記念写真を撮っていたが、買い物をしている風ではなかった。

   ところで、ヴィーナスフォートの出口から、隣のトヨタの「メガウエブ・ヒストリーガレージ」に繋がっている。
   この博物館風のガレージには、所狭しと昔懐かしい世界のクラシック・カーが並んでいて、鏡の間に並べられた車など壮大な車展示場の様に広がっていて壮観である。
   ガレージに、1958年型の大きなキャデラックがあったが、ガルブレイスが「豊かな社会」の中で、たった一人の人間を乗せるのに尾びれのついた6トンもの鉄の塊が必要なのかと、私的部門の無駄を糾弾した車を見て感に耐えなかった。
   場内が暗い所為もあって、内装も中々のもので古いアメリカを感じさせてくれる街並みやレストランも雰囲気があって良い。


   グリースと言うショップがあって、ここには3000種以上と言う世界中から集めたミニカーや車関係の書物や関連グッズが展示販売されていて、マニアには堪らないと思う。
   2階には、アレッサンドロ・ナニーニと言うイタリアンカフェがあり、その後の壁面と棚に貴重なモーター・スポーツ・コレクションが納められている。
   私は、ここで、カフェ・マキアートを頂きながら小休止していたが、誰も居ない静かな午後を楽しませて貰った。

   隣接するトヨタのシティショウケースにも入ったが、ここには、結構客が居た。
   ホリエモン事件でテレビに良く出たフジテレビの並びに高層のアパートらしき建物が2棟工事中だったが、お台場には、他にタワークレーンはあがって居なかった。
   
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秋深し・・・自然の素晴しい世界を愛でる季節

2005年11月08日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   秋晴れの素晴しい日には、時間があれば、田舎道を散策することにしている。
   まだ、千葉の田舎には、比較的小さな河川は、土手をコンクリートやブロックで護岸されていない川が結構あって、自然がそのまま残っている。
   少し深いところには、大きな鯉がいて時々川面を跳ねる。
   その小川に、白鷺や鴨、ばん等の水鳥が帰ってきて賑やかになった。
   湿地には枯れ草の芦が茂っていて、放置された農地にはススキが群生していて雀の大群が群れている。
   
   農家の庭には、今、様々な菊の花が咲き乱れている。
   色取り取りの菊の花の合間に、まだ残っているコスモスやアサガオが最後の研を競っている。
   街路樹のイチョウの木は少し色付き始めたが、気の遠くなるような真黄色に染まるのはまだ少し先である。
   もみじも装い始めたが、まだ錦の正装には早い。

   久しぶりに園芸店に出かけた。
   東京から千葉の郊外に引越ししてきた頃には、地元の園芸農家が経営していた小さな園芸店があっちこっちにあって、休みに訪れて、一つ一つ花木の苗を求めながら歩くのが楽しみであった。
   しかし、そのような地元の園芸店は、総て消えてしまって、大きな全国展開の園芸店に取って代わられてしまった。
   小さな店の時は、何となく親しみが持てて身近な感じがしていたが、大型店になってからは、みんな同じ様に画一化されてしまって面白くなくなったのが不思議である。
   私の庭には、色々な園芸店や通信販売で求めた花木が混在して植わっているが、それが、何処で買ったのか結構覚えているものである。

   丁度、今頃は、椿の苗が出回りだす時期なので、今回は、洋風椿の他にヴェトナム産のハイドウンキングを買った。
   珍種椿の栽培で、黒椿のナイトライダーやブラックオパールは、どうにか成功しているが、金花茶は何度も試みて鉢植の段階で枯らせて失敗しているので、二の足を踏んでいたが、室内で育てれば良いのでこのヴェトナムの椿を育てることにした。
   草花は、サントリーの「初恋ビオラ」を買った。
   淡いパステルカラーが混在したスミレの花であるが、ハッキリした主張のないぼんやりとした花色で、花一つ一つの色が違っていて面白いと思ったので、試みに育ててみようと思ったのである。
   オランダに移り住んだ時、色々珍しいヨーロッパの花にビックリしたが、もう最近では、そのような洋花は日本の何処にでもあって、花の国際化の早いのにはビックリしている。

   先日、日本園芸協会から送ってきたメール通信で、ジャカランダを紹介していた。
   この花は、ノウゼンカズラ科の花木で、ブラジルでは普通の木だが、街路樹や大きな邸宅の庭木等に植えられている大木しか見たことがなかったので、新顔の観葉植物・熱帯花木として紹介されているので異様な感じがした。
   紫色の綺麗な花を咲かせるので素晴しいが、丁度、キングサリ・ツリーと同じで、桜の花のように、大木になってからその真価を発揮する花木なのであるから、そのように育てるのが本当ではなかろうかと思ったのである。

   一寸違う話だが、通信販売の広告に釣られて果実が大きく糖度の高いバローネとか言うイチジクの苗を買って庭植えしたら、大きくなりすぎて葉が茂って困ってしまったので切り倒したが、説明不十分な新種外来植物の移入が最近は多い。
   江戸時代の通人は、金に糸目をつけずに、世界中から珍種、新種の植物を買い求めて日本の風土に十分に訓化して育て上げて、素晴しい栽培植物を作り出した。
   そんなきめ細かい植物の移入に対する心配りも必要であろうと思う。

   ところで話は変わるが、今私達を取り巻いている植物の殆どは、本来自然の世界には存在しなかった、人間が創り出した栽培植物だと言う。
   路傍に咲く雑草の花も、自然の営みの中で適者生存により出来上がった雑種であって、その中で役に立つ雑草を探し出して人間にとって好都合なモノを創りあげたと言うのである。
   自然は、人間の創り出した栽培植物に合う様にエコシステムを同化させてくれているが、いつか、どこかで、そのエコシステムを維持できなくなる時が来るのではなかろうか。
   鳥インフルエンザやエイズなどもその一環、それにもっと恐ろしいのは遺伝子組み換えによるドラキュラの出現、と言うのは思い過ごしであろうか。
   
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中島千夏の世界展・・・華麗な花の輝き

2005年11月07日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で、中島千波展をやっていたので、夕方遅く出かけた。
   「花の千波」と呼ばれている有名な日本画家であることは知っていたが、それ以上の知識はなく、殆ど先入観なくぶっつけ本番で絵画を鑑賞した。

   チケットのデザインには、「老樹三面藪椿」が使われていた。
   4面の屏風の右端に、大地にしっかり立った老樹の巨大な根が描かれて、4面に力強く張った枝に真っ赤なヤブツバキが描かれている。
   この絵のあるコーナーには、他に、白牡丹、富貴華宴、竹林図等があったが、面白かったのは、竹林図で、左右には勢い良く衝き立った竹が林立しており、真ん中に皮を被ったたけのこを数本描き、上部に日輪の景をおわん型に明るく描いている。
   中島画伯の絵は、色彩が明るくピュアーで、スケールの大きい絵であるが、爽やかであると思った。
   彩色されていない人間の絵でも、目だけは色がついており、これ等の花の絵も、花の顔となるポイントには、鮮やかな色彩が施されている。
   例えば、白ボタンの場合は、蘂の底は緑で、紫色の蘂の柱の上に、真っ赤なめしべと黄色いおしべが鮮やかに描かれていて、見る者の目を引き付ける。

   これ等の絵の横に、風神と雷神のユーモラスな、しかし、迫力のある襖絵が展示されているが、何となく、西村公朝師の彫刻するモダンな仏像に相通ずるような雰囲気を感じて興味深かった。

   花の絵で感激したのは、やはり、巨大な4面の襖に描いた桜の巨木の絵で、4点並んでいて、その中でも、醍醐の三宝院の枝垂桜の華麗な絵の前では、長い間たたずんでいた。
   金地のバックに大きく枝を張った枝垂桜の花びらを一枚一枚丁寧に描いており、花びらが光り輝いている。
   この醍醐には、学生時代から何度も訪れていて、桜の華麗さを良く知っているが、改めて、その美しさを実感させられた感じである。
   このように、巨大なたった一本の花木を、豪快華麗に、そして、極めて繊細に描くのは、日本画の特色であろうか。
   随分、世界のあっちこっちの美術館を歩いているが、ついど同じ感じの西洋画を見たことはない。

   他に面白い花の絵は、小品だが、花とおもちゃをコンビに描いた絵で、色彩が実に美しい。
   おもちゃと言っても、木製の素朴な鳥などの木彫りに彩色した郷土玩具なのだが、いやに郷愁を誘い懐かしい感じがして見ていた。

   もっとも、この中島千波の世界展は、花だけではなく、冒頭は、人間の絵からシュールレアリズムの絵などから始まっていて、ジャンルは非常に広い。
   私の愛読書の宮尾本平家物語の表紙絵も中島千波の絵である。

   興味を感じたのは、中島画伯が、セザンヌの絵の模写を沢山描いていることで、サントバクトワール山の大きな絵が、富士山と黄山を描いた迫力のある絵の隣に展示されていたことである。

   余談だが、中島千波美術館が、信州の小布施にあるらしい。
   この小布施には、あのユニークでアイデア・レイディのセーラ・マリ・カミングスが居る。
   彼女のバイタリティと凄いイノベイティブな事業意欲に感心しながら、2回も講演会に足を運び、清野由美著「セーラが町にやってきた」にサインまで貰って話をした。
   一度行きたいと思っているので、その時、中島千波美術館を訪ねてみようと考えている。

   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・親子共演・天王寺屋の「鞍馬山誉鷹」と高麗屋の「連獅子」

2005年11月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の一つの呼び物は、やはり、天王寺屋中村富十郎の長男中村大の鷹之助襲名披露公演の「鞍馬山誉鷹」であろうか。
   名門の子息の改名披露には、子役が活躍する古典狂言か、披露のための新作を作るかどちらかのようであるが、今回は、今井豊茂が書き下ろした新作で公演された。
   
   牛若丸時代に鞍馬山で武芸修行をした義経の故事に題材を得て作られた作品。幕が開くと、全山錦に萌える紅葉の鞍馬寺の仁王門の前の豪華絢爛たる舞台が観客を圧倒する。
   白鷹が飛来し、それを、鷹匠諏訪兵衛(富十郎)、平忠度(仁左衛門)、吉岡喜三太(梅玉)が、捕まえようと追う。
   そこへ、牛若(鷹之助)が現れ、忠度が捕らえようとするが、何なく退ける。
   続いて、連忍阿闍梨(吉右衛門)と常盤御前(雀右衛門)が現れ、連忍が、白鷹の出現は源氏の大将が鞍馬に現れた証拠、牛若丸を見逃して成長の暁に戦場でまみえるべしと忠度を諭す。
   喜三太は、鷹の羽を牛若の戦場での矢羽にすることを進言し、兵衛は、常盤から預かった白鷹を大切に育てることを約する。
   
   雀右衛門に促がされて、鷹之助を真ん中に、全員舞台の正面に進み出て、上手に雀右衛門、梅玉、吉右衛門、下手に、富十郎、仁左衛門が並び舞台に正座して口上が始まる。
   先月、小春役で体調を崩して休演していた雀右衛門が、元気で先導役を勤めたが、何時も、途中で口上を忘れて立ち往生するのだが、今回は至ってすらすら、本復である。
   大仰な口上口調の雀右衛門に代わって、梅玉は、至って砕けた普通の語り口、これにつられて全員口調が柔らくなった、当たり前であろう、6歳の鷹之助の披露口上なのである。
   梅玉は、若鷹のように健やかにと、吉右衛門は、知らないうちに大きくなって4歳にと年を間違え、仁左衛門は、同じ様な年から天王寺屋のお兄さんにお世話になって、と夫々口上を述べ、富十郎は至って慎重な披露口上、鷹之助は、中村鷹之助で御座います、宜しくお願いしますとしっかり口上を述べた。

   鷹之助の立ち回りを見せる舞台であったが、結構サマになっており、大器の片鱗をうかがわせている。
   
   この時、丁度、聖路加病院の日野原先生と富十郎の対談を読んでいたので、富十郎が90歳になった時に丁度鷹之助が20歳になり、初代富十郎の生誕300年祭なので、その時まで長生きして、大に富十郎を継がせたいと言っているのを思い出した。
   大丈夫、とにかく、70歳で長男をもうけた精力絶倫とも言うべき富十郎なのだから。いや、まだ、その後、聖路加で長女愛子ちゃんが生まれたのだ。
   拘る訳ではないが、マーロン・ブランドが、71歳で、アンソニー・クイーンが81歳で、とこと細かく言う富十郎も富十郎だが、「男性が70台で子供をもうけることは、もちろん生理的に可能ですよ、その機会が少ないだけで。」と言う日野原先生の仰り様も微笑ましい。
   とにかく、お二人とも桁外れにお元気であることには間違いない。幸多かれである。

   幸四郎と染五郎の連獅子は、実に華麗な素晴しい舞台であった。
   最初に染五郎を観たのは、随分以前で、ロンドンで歌舞伎ハムレットで、ハムレットとオフェリアを演じた時だが、あれからの進境は著しい。
   近松モノを上手く演じていたし、それに、今回観た映画の蝉しぐれ等素晴しいと思った。
   幸四郎については、ミュージカルやシェイクスピアモノ等演劇も含めて、一番良く観ている歌舞伎役者だと思うが、とにかく、何時も楽しませてもらっている。
   連獅子の最後、勇ましく毛をふり、獅子の狂いをみせる親子の獅子の舞であるが、体力の差か、幸四郎は少し手前で止め、染五郎は激しく勇壮に舞い続けていた。勘三郎は、父子のタイミングがピッタリ合う事を親子のDNAだと誇っていたが、どっちが良いのか、何れにしろ、実に清清しい美しい舞台であった。
   幸四郎・染五郎父子で、モーツアルトや仲蔵を共演して、息の合った演技で芸域を拡大しており、ジャンルを越えたパーフォーマンス・アートを追求している等、素晴しい活躍ぶりだと思う。
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市民社会との関わりを大切にする上村達男教授の法学・・・日欧シンポジューム

2005年11月05日 | 経営・ビジネス
   早大COEの「ヨーロッパと日本シンポジューム」の二日目は、「資本市場―法制と自主規制」と「ガバナンスと透明性の確保」がテーマで、日欧のその道の権威達が活発に議論を戦わせた。
   
   初日に開講挨拶をする予定だった奥島孝康早大前総長が、飛び入りで挨拶して「上村ワールドへようこそ」と言って、上村教授にエールを贈った。
   上村教授の会社法は、企業や資本市場に対して市民社会との関わりやその調和を重視する立場で、特異だが、貴重なアプローチである。
   先日、ソニーがCSR調達を発表したが、今後、益々、会社法と市民社会とのクロスが重要になってくる。
   アメリカの資本市場は、市民社会を一切気にしておらず、このため、企業活動を厳格な証券取引法や関連諸制度でぎりぎりに締め上げる武装平和主義だが、日本政府は、これを取りいれようとしている。
   ベストプラクティスを大切にするヨーロッパの法制度とのハザマで、日本は如何に生きて行くのか、上村法学が一つの光明となることを期待している。
   そんな内容だったように思う。

   「アメリカは、ヨーロッパの伝統的保守的な警戒的な法制度を、各州の規制緩和競争で放棄してしまって規律なき自由な経済社会に移行したが、この結果、証券市場の暴落に引き金を引き大恐慌に到った。
   この経験に懲りて、米国は、その後、厳格な証券制度とそれを厳格に実施する為の付随的な諸制度を充実させた。
   SEC,包括規定による抜け穴の否定、報奨金、司法取引、クラスアクション、ディスカバリー、民事制裁、行政処分による利益の吐き出し、おとり捜査、盗聴、覆面操作等、正に、(保安官とジョン・ウェインとライフルが不可欠な西部劇の世界)を構築したのである。
   アメリカは企業による自主対応防衛政策を統一的な会社法制に出来ない、統一商法典たる連邦会社法のない特異な国で、それを証券取引法や取引所規則等で縛っている。」

   しかし、この保安官もジョン・ウェインも居ないライフルもない日本に、十分な法制度の整備をしないで、アメリカの自由な法制度をそのまま導入し野放しにすればどうなるか。
   「アメリカをモデルにするならば、真っ先に、アメリカ的自由を可能にする、日本に一切備わっていない厳格な前述の怖い制度をも導入すべきである。
   最近のIT企業の企業買収の動きが如実に問題点を浮彫りにしており、健全な市民社会を危機に陥れている。
   殆ど従業員も居ない得体の知れないファンドが、出所のよく分からない金を使って健全な企業の株を買収して問題を引き起こす資本市場を持つような社会が健全だと言えるのであろうか。」
   証券市場が悪いのか、企業の対応が悪いのか、或いは、経済社会がいびつなのか、東証1部上場の健全な企業で、時価総額1000億円を切る会社は何百社とあり、株価が上昇軌道に乗り始めたら、ひとたまりもなく、グローバルなハゲタカの餌食になっても不思議ではない。
   法の抜け穴探しに長けた勝ち組が、悪人であるかもしれない。
   上村教授は、そんな問題提起をしている。

   株式交換による企業買収については、外国企業の脅威に怯えて、法の施行を1年ずらせたりしたが、楽天の持ち株会社提案等はその変形で、日本には起こらないと思っていたことが、日本に起こっただけである。
   アメリカで、超天文学的数字のPERを示した新興IT企業が、株式交換方式で既存企業を買収合併した時点で、小魚が鯨を飲む西部劇的アメリカ資本市場の熾烈さは分っていた筈である。
   新興のIT企業AOLが、老舗のタイム・ワーナーを吸収合併したが、その後はどうなったかを考えてみれば、結果と問題点は十分に分る。
   営々と築いてきた日本社会の公序良俗や健全な市民社会を維持することがいかに大事か、考えてみる必要があるかも知れない。

   誤解のないように付記しておくが、例えば、一連のカネボウ事件や西武の堤事件など言語道断な日本の会社経営等を含めて日本の経済社会を全肯定しているのではない。
   カネボウ事件など、当初、監査法人や公認会計士協会等知らぬ存ぜぬで逃げていたが、知らないはずがない。もし知らないとすれば、あの程度の会計の不正を見抜けないような監査法人なら、即刻会社を畳んでカンバンを降ろすべきである。
   そんなことを十分承知で対応している政府やメディアや日本の社会が問題なのである。
   エンロン事件では、アーサー・アンダーセンは地球上から永遠に消えた。カネボウ・ケースの会計監査法人も同罪、あるいは、先例がありながら教訓にさえしなかったのだからもっと罪は深いかも知れない。
   しかし、日本では、多少緊張した程度で会計監査体制には殆ど変化はない。この大きな落差を上村教授は問題にしているのである。
   それでも、私は、やはり、世界に冠たるこの日本の経済社会を健全に維持するために努力すべきは当然であると思っている。

(追記)COEのシンポジュームは、井深大記念館で行われていたが、早大のキャンパス内は、早稲田祭で、大変な賑わいであった。
   高度なシンポジュームが開かれているかと思えば、学生がキャンパスで学園祭をエンジョイしており、図書館で学究に耽っているヒトが居れば、憲法改正を掲げる小泉内閣打倒の叫び学生運動をする学生も居る、とにかく、早稲田は懐が深い。
   若い学生達でごった返していたが、交通整理からゴミ処理の手配等万全で、とにかく、実に整然とした好感の持てる清清しい早稲田祭であった。
   ジャズ演奏や寸劇を楽しみながら、屋台で慣れない手つきで甲斐甲斐しく作ってくれた明石焼きと焼き鳥とどら焼きを頂いたが、美味であった。
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日欧シンポジューム(早稲田大学)・・・企業・資本市場・市民社会の現在と未来

2005年11月04日 | 経営・ビジネス
   今日は、久しぶりに良い天気で、朝早くから都の西北早稲田の杜に出かけて勉強してきた。
   キャンパスは、明日から始まる学園祭・早稲田祭りの準備で、学生達が、盛り上がっていたが、昔の自分を思い出しながら懐かしく眺めていた。
   私の学生時代は、丁度安保で、円山公園の集会に参加して河原町をデモっていた頃であるが、それでも、学園祭は楽しかった。
   この1年間に、偶々、ハーバード、ペンシルヴァニア、ミラノ、ケントの各大学のキャンパスを歩いたが、いつ行っても大学のキャンパスの雰囲気は格別である。

   早稲田大学COE(企業法制と企業創造総合研究所)主催の日欧シンポジューム「ヨーロッパと日本―企業・資本市場・市民社会の現在と未来」が、国際会議場井深大ホールで開かれたので出かけたのだが、英仏独から、そして、日本の会社法関係の権威者が参加してのシンポジュームであるから、夕方の6時頃まで格調の高い白熱した会議は大変なものであった。
   今日は、コーポレート・ガバナンスを中心とした会社法の動向とM&Aで、明日は、資本市場―法制と自主規制、そして、ガバナンスと透明性の確保、をテーマにシンポジュームが進む。
   今夜、ホテルで先生方を交えてレセプションがあったが、経済や経営なら専攻なので多少自信はあるが、法律は少し無理だし、知り合いがいるわけでもないので諦めた。
   ところで、これほど素晴しい高度なシンポジュームなのに、参加者は、100人と少しで、全く勿体無い限りである。
   ホリエモンや楽天のM&A、企業不祥事や監査法人の無機能等で騒いでいるわりには、日本のコーポレート・ガバナンスやM&A,透明性等への真剣さは、その程度なのである。

   COEのリーダー上村達男早大教授の基調報告「企業・資本市場・市民社会―日本の現状をどうみるか」で、シンポジュウムは始まった。
   ヨーロッパ的な成熟した政治経済社会の経験と市民の合意もなく、あるいは、厳格な証券規制とそれを厳格に実施する為の付随的な諸制度もないままに、たった今一斉に自由原則に転換したばかりなのが今の日本である。
   この自由の全面展開は、不良債権や銀行破綻の処理、ベンチャー法制の為の規制緩和、株価対策等当面の対策を実施する過程で、いわば不順な動機の帰結であって、日本の企業社会のあり方を真剣に時間をかけて模索した結果ではなかった。
   証券市場と一体の株式会社制度を運営していくことの怖さに思いを致すべきで、証券市場と正面から向き合う理論構成のための努力を怠った結果、市場規制が不十分な為に多発する安易な企業買収、買収後の企業結合法制が確立していない為に安易に企図される企業買収に、平凡で善意の企業が怯えている。
   このような状況に全く対応できずに、法の抜け穴探しに長けたものが勝利するジャングル資本主義が横行している。
   成熟した社会にあって、企業法制とは、資本市場法制とは、そしてそれらの法制のあり方が市民社会の合意や理念によってコントロールされる姿とはどのようなものなのか、アメリカ一辺倒ではなくて、ヨーロッパの成熟社会の企業法制・資本市場法制のあり方を学ぶ努力をこそ行うべきである。
   そんな上村教授の問題提起から、小田博ロンドン大学教授が中心になって本シンポジュームが準備された。

   江頭憲治郎東大教授が「日本における新会社法の制定と今後の課題」について講演。特に、中小企業法制について興味深い話を行った。
   続いて、LSCのP.デービス教授が英国の、J.シモンフランス企業連盟法務部長がEU及びフランスの、G.ヴェーゲンハンブルグ大学教授がドイツの、と夫々の会社法制の現状について講演した。

   後半は、日英仏独の専門の先生方に、午前中の講師が加わって、激しく、M&Aの法制度や付随的な制度や機関等について議論した。
   英国のテイクオーバー・パネルに関心が集中して、敵対的買収について白熱した議論が展開された。
   一番遠いはずのアメリカの法制度を強引に導入した日本だが、明治時代の開国時代のように、案外、バックグラウンドと歴史や社会背景の近いヨーロッパ法制とその制度を学ぶことの方が、はるかに有意義かもしれない、そんな気を起こさせてくれるシンポジュームであった。
   

   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・近松の「大経師旧暦」不倫物語

2005年11月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の「大経師旧暦」は、実際にあった大経師の女房おさんと手代茂兵衛が密通して処刑された事件を基に書かれた近松門左衛門の世話浄瑠璃である。
   茂兵衛がおさんに恋焦がれて、女中のお玉が仲立ちした不倫で、3人とも粟田口の刑場で処刑された。
   当時は、夫のある女が姦通すれば死罪、仲立ちした者も同罪で、逆に男には何のお構いもない世の中であったが、実際には、戦後の22年まで男女不平等の姦通罪が残っていた。

   今回の舞台は、全3巻の内の上巻で、おさんと茂兵衛が誤って契ってしまって仰天して逃げ出す件までであるが、その後、中巻では、おたまが預けられた伯父宅に、流浪の二人が現れ、偶然訪れたおさんの両親とが不幸を嘆きあう場面で、下巻では、奥丹波に隠れ住んでいた二人が捕われて刑場に引かれて行くが、黒谷の東岸和尚の嘆願で助けられて出家する、ことになっている。

   さて、舞台が開くと、暦の出版の独占権を持つ大経師の算用場の茶座敷で、新暦発行で使用人が右往左往、番頭助右衛門(歌六)が、横恋慕している女中お玉(梅枝)を、口説いており、入れ替わりに、同じくご執心の主人以春(段四郎)が、おたまに抱きつき追い掛け回す。
   そこへ、おさん(時蔵)の実母お久(歌江)が、家の窮状で、おさんに金の融通を頼みに来る。
   困ったおさんは、手代茂兵衛(梅玉)に、金の工面を相談。茂兵衛は、主人以春の印判を借用して金を用意しようとして、これを番頭に見つかり、みんなの前で詰問され窮地に立つ。
   お玉が、機転を利かせて自分の為にやったと中に入って弁解しその場は治まり、茂兵衛は、空き家の二階に幽閉される。
   その夜、おさんが、お礼を言いにお玉の部屋に来るが、毎夜夜這いに来ておたまを口説く以春の行状を知って怒り、夫に恥を掻かせようとお玉と寝間と寝間着を交換する。
   おさんの寝ている寝室に、お玉にお礼をしたい茂兵衛が忍び込み、誤っておさんと契りを結ぶ。
   それと知った二人は仰天して、コトの重大さに観念して落ちてゆく。

   記録によると茂兵衛は、最初先代の幸四郎が演じていたが、その後は、ずっと梅玉が演じており、おさんは幸四郎の時は歌右衛門だったが、梅玉の相手は、最初は芝翫だったが、その後雀右衛門、今回は時蔵と代わっている。
   関西歌舞伎ではないが、梅玉の世話物での優男ぶりは板についていて、仁左衛門とは大分違うが、中々、雰囲気のある演技でナルホドと思わせる。
   時蔵は、ムンムンとした熟女の香りのするおさんを演じていて、格調の高い品のある老舗の女房である一方、妖艶な雰囲気を漂わせた感じで、近松の考えていたおさんはこうだったかも知れないと思わせてくれた。
   印象深かったのは梅枝で、実に初々しく芯の通った聡明で機転の利いたお玉を上手く演じていて、特に、父親の時蔵とのお玉の部屋での対話の場など秀逸であった。
   舞台を豊かにしてくれていたのが、助平爺を好演していた段四郎と歌六、とにかくベテランの味で、面白かった。

   ところで、近松モノにしては、これまで、珍しく関西歌舞伎の役者が出演せず、おたまに先々代仁左衛門、助右衛門に先代鴈治郎だけである。
   やはり、近松は色濃く関西を背負った浄瑠璃なので、一度、松嶋屋一門が出演する「大経師旧暦」を観て見たいと思っている。

   ところで、同じ話を、事件後すぐに井原西鶴が、浮世草子「好色五大女」に書いている。
   亭主が江戸への出張中に、寂しかろうとおさんの親元が送り込んだ若い茂右衛門に、女中のりんが恋し、おさんが恋文の代筆。
   今夜行くとの返事が来たので、おさんが、堅物の茂右衛門をからかってやろうとりんの寝間で待つが誤って寝てしまい、契ってしまう。

   両方とも、出来心と言うか悪戯心から、たまたま、姦通してしまったとしているが、私の興味があるのは、おさんと茂兵衛の心である。
   私は、実話のように、茂兵衛がおさんに恋焦がれたか、おさんが茂兵衛を憎からず思ったかのどちらかであるべきだと思っている。

   先に文楽で、奥丹波での二人が幸せそうに生活している舞台を見ていて、主従関係の厳しさ、女に対する姦通意識の熾烈さ等々古い価値観を越えて、近松は二人の恋を本物として描いていたのではないかと思っている。
   何故こんなことを言うかと言うと、近松は、若き大石良雄が山科の近松寺に開いた「塩の道熟」で、教養豊かなスペイン人教師から、学問や芸術を学び、スペイン語を良くし、最初の浄瑠璃「世継曽我」は、スペインの劇「騎士イメネオ物語」の影響を受けて書かれている。
   近松には、シェイクスピアは別としても、ヨーロッパ流の男女の愛については知識があった筈で、影響を受けていても不思議ではないと思ったからである。

   

   
   
   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・吉右衛門の「日向嶋景清」

2005年11月02日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   11月の初日に歌舞伎座に出かけて夜の部を楽しんだ。
   中村富十郎の長男中村大改め中村鷹之助襲名披露公演「鞍馬山誉鷹」で、何となく華やいだ雰囲気であったが、吉右衛門の「日向嶋景清」、松本幸四郎・染五郎父子の「連獅子」、それに、中村梅玉や時蔵の「おさん茂兵衛大経師昔暦」、夫々意欲的な出し物で、やはり、顔見世だけはある。
   今回は、まず、吉右衛門が、松貫四名で書いた「日向嶋」について書いて見たい。

   あらすじは、次のとおり。
   清盛の侍大将で勇名を馳せた悪七兵衛景清が、源平の合戦後捕らえられて、翻意して仕える様に頼朝に説得されるが拒否して、自ら両眼を刳りぬいて盲になって日向に流されて行く。
   若かりし時、熱田神宮の大宮司の娘と契って生まれた娘・糸滝(中村芝雀)が、はるばる父を訪ねてくる。親子の名乗りを揚げて再会を喜ぶが、先のない世捨て人の自分に関わらせないように無碍に追い返す。
   娘の残した書置を読んでもらって、娘が身売りして得た金を届けてくれたことを知って慟哭する。
   監視していた頼朝の家来に、「忠臣が主を選んで奉公するのは世の道理、頼朝に従えば糸滝も身売りせずに済む」と諭されて、娘可愛さに、頼朝に帰順して鎌倉へ向かう。

   文楽の「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段を歌舞伎用に吉右衛門が脚色したのがこの舞台で、今年、金丸座の金毘羅歌舞伎で初演された。
   この演目は、実父先代松本幸四郎が、それまで禁じられていた文楽との共演を実現し、昭和34年に竹本綱大夫と竹澤弥七と組んで合同試演会で実現したもので、本人も土屋群内(今回は染五郎)で出演した。
   吉右衛門が、歌舞伎の時代物をもっと高度なもののしたいと思った原点の芝居だと言うのだから、その取り組みかたは尋常ではない。

   舞台上手から杖をついてとぼとぼと出てくる景清は、俊寛の姿そっくりだが、波間の岩の上に懐から取り出した重盛の位牌を置き、梅の枝を供えて菩提を弔う。頼朝の首を刎ね損ねた無念さに死に切れない自分の不甲斐なさを嘆く。
   忠臣で無骨一途の景清が、3歳の時訳あって乳母に与えた我が娘に巡り会い、その優しさ健気さに吾を忘れて慟哭し、一変して、頼朝に帰順する。鎌倉への船の中、大事に持っていた重盛の位牌を海中に投じるのである。

   あの当時、日向の国、いまの宮崎だが、もう地の果ても同然の遠国で、供1人伴っているとは言え、うら若き娘の旅としては至難の業、苦難を乗り越えて自分を訪ねて来てくれたと知った時の景清の心境はイカばかりであったか。
   一度は知らぬ存ぜぬで追い返した娘が、村人に案内されて帰ってきて親子の対面をし、娘を掻き抱いて顔を撫ぜ擦りながら慟哭する。しかし、娘が心配なく暮らせると聞いて心を鬼にして追い返すが、姿が見えなくなると、今のは本心ではなかったと叫ぶ。
   ところが、自分の身を売って得た金を届けてくれたと知って、七転八倒、地面に財布を叩きつけながら慟哭、髪を掻き毟って阿鼻叫喚の苦しみ、吉右衛門は、正に、生き地獄を彷徨うが如く嘆き悲しむ。村人の言葉も耳に入らない。

   もうその時には、平家への忠義も武士としての面子もプライドも意識の中にはなくなって、ただの父親に戻って、娘糸滝が、愛しくて恋しくて堪らない。
   景清の思いは、娘糸滝の幸せのみ、そのただ一点のみに集中し、放心したように頼朝の家来の説得に従う。
 
   景清のこの大きな心境の変化・頼朝への恭順まで、舞台では畳み掛けるような展開で、ほんの僅かしか時間の余裕がない。
   しかし、吉右衛門は、実に周到に感情を溜めに溜めて一気にクライマックスまで持って行き、頂点で爆発させて観客を感動の渦に捲込む。実に上手い。

   父幸四郎が影清を演じた時には、糸滝を中村雀右衛門が演じたと言う。
   今回は、この糸滝を、その息子の芝雀が、実に、初々しく感動的に演じており、歌舞伎の伝統の凄さを感じる。

   ところで、近松門左衛門が、この嬢八嶋影清日記の前編とも言うべき「出世景清」で、人気戯作者としてのスタートを切ったが、通しで見てみたいと思った。
   文楽では、この演目には、特別なかしら景清を遣うと言う。赤く目を塗りつぶしたかつらだが、吉右衛門もやや赤みがかった縁取りをしていた。
   最後の幕、舞台正面にでんと据えられた船上に治まった吉右衛門の威風堂々とした晴れ姿が印象的であった。   
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質の経営、そしてモノ創り・・・花王・常盤文克前会長の話

2005年11月01日 | 経営・ビジネス
   本日、恵比寿のウエスチン東京でNTTソフトウエア主催の「NTT Solution Fair 2005」に出席して、常盤氏の「質的存在感の企業」と言う演題の講演を聞いてきた。
   常盤氏の「質の経営」については、本でも読んでいたが、久しぶりにカレント・トピックスを交えた話を聞いたので、感想などを記してみたい。

   モノ創り、そして、企業経営の本質は、新しい良き生活文化を作り出すことで、如何に客を満足させる良き物を作り出すか、その質の追求にあると言う。

   グローバル、グローバルと、何でもグローバルと付ける傾向があるが、それも、アメリカ一辺倒の風潮で間違っている。
   EUと言う枠内に入っているが、夫々の固有の文化と伝統を残しながら競い合っている多元的なアイデンティティを持って成長を続けているヨーロッパを見習うべきである、と仰る。
   多元協働主義が、質と活力を生むのである。

   日本経済は、少し良くなったが、勝ち組と負け組みの二元化が進んでいる。
   負け組みは、量を追求しているが、勝ち組は、かって存在しなかった質を追及することによって勝っており、正に、その製品、サービスの質が企業の優賞劣敗を決している。
   
   質をどうして作り出すか、それは、まず第一に、異と交わること。好奇心旺盛に情報網を張って、オープンにして欠けている所を学び、新風を吹き込むことである。 
   次は、選択と集中。優先順位をつけて、捨てることで、トランスフォーメイション、即ち、企業を変身、変態することである。
   質とは、異質、他にはない全く違った価値ある質を言うのであって、その質の追求なしには、モノ創りの成功はありえない。

   顧客満足(CS)が大切だと言うが、あまり顧客に近づきすぎると、モノが見えなくなってダメだ。
   企業の使命は、マーケットに価値ある商品やサービスを提案して、サプライズや喜びを与えることで、驚きを演出するからヒット商品になるのである。
   最近、プレミアム商品に人気があるが、いくら売れ行きが落ちている商品でも品質が良くて価値があれば客は付いて来る。

   モノ創りは、10年20年、長い年月がかかる。
   客を見ずに競争者ばかり見て、開発競争に明け暮れるから、急ぐあまり欠陥商品を作ってブランドや企業のレピュテーションヲ落とすのである。
   スピード競争は、商品の短命化を導く。
   顧客のニーズに応えて、新しい豊かな生活文化を創造する、それが製造業の使命である。

   経営には、コト創り、即ち、夢を掲げて実現する仕組みを作ること、が大切である。コト創りの典型は、アポロ計画で、人間の月への夢を実現した。その副次的効果は限りない。
   身近には、例えば、トヨタのハイブリッド・カー・プリウス等、その例だが、企業経営には、コト創りの発想が極めて重要である。

   結局、コモディティのような製品ばかり作って、コスト競争に明け暮れている企業には将来はないと言うことであろうか。
   コモディティでも、ダントツの一位、価値ある製品を作り出してディファクト・スタンダードにならなければならない。
   コンシューマーエレクトロニクスの世界で、勝ち組として、松下、キヤノン、シャープをあげていたが、サモアリナンと言うことであろうか。

   ところで、このセミナー、後半に野村監督の「敵は我にあり」と言う特別講演があったのだが、残念ながら、歌舞伎の初日夜の部の切符を持っていたので、木挽町に行って聴講できなかった。
   
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