秋晴れの素晴しい日には、時間があれば、田舎道を散策することにしている。
まだ、千葉の田舎には、比較的小さな河川は、土手をコンクリートやブロックで護岸されていない川が結構あって、自然がそのまま残っている。
少し深いところには、大きな鯉がいて時々川面を跳ねる。
その小川に、白鷺や鴨、ばん等の水鳥が帰ってきて賑やかになった。
湿地には枯れ草の芦が茂っていて、放置された農地にはススキが群生していて雀の大群が群れている。
農家の庭には、今、様々な菊の花が咲き乱れている。
色取り取りの菊の花の合間に、まだ残っているコスモスやアサガオが最後の研を競っている。
街路樹のイチョウの木は少し色付き始めたが、気の遠くなるような真黄色に染まるのはまだ少し先である。
もみじも装い始めたが、まだ錦の正装には早い。
久しぶりに園芸店に出かけた。
東京から千葉の郊外に引越ししてきた頃には、地元の園芸農家が経営していた小さな園芸店があっちこっちにあって、休みに訪れて、一つ一つ花木の苗を求めながら歩くのが楽しみであった。
しかし、そのような地元の園芸店は、総て消えてしまって、大きな全国展開の園芸店に取って代わられてしまった。
小さな店の時は、何となく親しみが持てて身近な感じがしていたが、大型店になってからは、みんな同じ様に画一化されてしまって面白くなくなったのが不思議である。
私の庭には、色々な園芸店や通信販売で求めた花木が混在して植わっているが、それが、何処で買ったのか結構覚えているものである。
丁度、今頃は、椿の苗が出回りだす時期なので、今回は、洋風椿の他にヴェトナム産のハイドウンキングを買った。
珍種椿の栽培で、黒椿のナイトライダーやブラックオパールは、どうにか成功しているが、金花茶は何度も試みて鉢植の段階で枯らせて失敗しているので、二の足を踏んでいたが、室内で育てれば良いのでこのヴェトナムの椿を育てることにした。
草花は、サントリーの「初恋ビオラ」を買った。
淡いパステルカラーが混在したスミレの花であるが、ハッキリした主張のないぼんやりとした花色で、花一つ一つの色が違っていて面白いと思ったので、試みに育ててみようと思ったのである。
オランダに移り住んだ時、色々珍しいヨーロッパの花にビックリしたが、もう最近では、そのような洋花は日本の何処にでもあって、花の国際化の早いのにはビックリしている。
先日、日本園芸協会から送ってきたメール通信で、ジャカランダを紹介していた。
この花は、ノウゼンカズラ科の花木で、ブラジルでは普通の木だが、街路樹や大きな邸宅の庭木等に植えられている大木しか見たことがなかったので、新顔の観葉植物・熱帯花木として紹介されているので異様な感じがした。
紫色の綺麗な花を咲かせるので素晴しいが、丁度、キングサリ・ツリーと同じで、桜の花のように、大木になってからその真価を発揮する花木なのであるから、そのように育てるのが本当ではなかろうかと思ったのである。
一寸違う話だが、通信販売の広告に釣られて果実が大きく糖度の高いバローネとか言うイチジクの苗を買って庭植えしたら、大きくなりすぎて葉が茂って困ってしまったので切り倒したが、説明不十分な新種外来植物の移入が最近は多い。
江戸時代の通人は、金に糸目をつけずに、世界中から珍種、新種の植物を買い求めて日本の風土に十分に訓化して育て上げて、素晴しい栽培植物を作り出した。
そんなきめ細かい植物の移入に対する心配りも必要であろうと思う。
ところで話は変わるが、今私達を取り巻いている植物の殆どは、本来自然の世界には存在しなかった、人間が創り出した栽培植物だと言う。
路傍に咲く雑草の花も、自然の営みの中で適者生存により出来上がった雑種であって、その中で役に立つ雑草を探し出して人間にとって好都合なモノを創りあげたと言うのである。
自然は、人間の創り出した栽培植物に合う様にエコシステムを同化させてくれているが、いつか、どこかで、そのエコシステムを維持できなくなる時が来るのではなかろうか。
鳥インフルエンザやエイズなどもその一環、それにもっと恐ろしいのは遺伝子組み換えによるドラキュラの出現、と言うのは思い過ごしであろうか。
まだ、千葉の田舎には、比較的小さな河川は、土手をコンクリートやブロックで護岸されていない川が結構あって、自然がそのまま残っている。
少し深いところには、大きな鯉がいて時々川面を跳ねる。
その小川に、白鷺や鴨、ばん等の水鳥が帰ってきて賑やかになった。
湿地には枯れ草の芦が茂っていて、放置された農地にはススキが群生していて雀の大群が群れている。
農家の庭には、今、様々な菊の花が咲き乱れている。
色取り取りの菊の花の合間に、まだ残っているコスモスやアサガオが最後の研を競っている。
街路樹のイチョウの木は少し色付き始めたが、気の遠くなるような真黄色に染まるのはまだ少し先である。
もみじも装い始めたが、まだ錦の正装には早い。
久しぶりに園芸店に出かけた。
東京から千葉の郊外に引越ししてきた頃には、地元の園芸農家が経営していた小さな園芸店があっちこっちにあって、休みに訪れて、一つ一つ花木の苗を求めながら歩くのが楽しみであった。
しかし、そのような地元の園芸店は、総て消えてしまって、大きな全国展開の園芸店に取って代わられてしまった。
小さな店の時は、何となく親しみが持てて身近な感じがしていたが、大型店になってからは、みんな同じ様に画一化されてしまって面白くなくなったのが不思議である。
私の庭には、色々な園芸店や通信販売で求めた花木が混在して植わっているが、それが、何処で買ったのか結構覚えているものである。
丁度、今頃は、椿の苗が出回りだす時期なので、今回は、洋風椿の他にヴェトナム産のハイドウンキングを買った。
珍種椿の栽培で、黒椿のナイトライダーやブラックオパールは、どうにか成功しているが、金花茶は何度も試みて鉢植の段階で枯らせて失敗しているので、二の足を踏んでいたが、室内で育てれば良いのでこのヴェトナムの椿を育てることにした。
草花は、サントリーの「初恋ビオラ」を買った。
淡いパステルカラーが混在したスミレの花であるが、ハッキリした主張のないぼんやりとした花色で、花一つ一つの色が違っていて面白いと思ったので、試みに育ててみようと思ったのである。
オランダに移り住んだ時、色々珍しいヨーロッパの花にビックリしたが、もう最近では、そのような洋花は日本の何処にでもあって、花の国際化の早いのにはビックリしている。
先日、日本園芸協会から送ってきたメール通信で、ジャカランダを紹介していた。
この花は、ノウゼンカズラ科の花木で、ブラジルでは普通の木だが、街路樹や大きな邸宅の庭木等に植えられている大木しか見たことがなかったので、新顔の観葉植物・熱帯花木として紹介されているので異様な感じがした。
紫色の綺麗な花を咲かせるので素晴しいが、丁度、キングサリ・ツリーと同じで、桜の花のように、大木になってからその真価を発揮する花木なのであるから、そのように育てるのが本当ではなかろうかと思ったのである。
一寸違う話だが、通信販売の広告に釣られて果実が大きく糖度の高いバローネとか言うイチジクの苗を買って庭植えしたら、大きくなりすぎて葉が茂って困ってしまったので切り倒したが、説明不十分な新種外来植物の移入が最近は多い。
江戸時代の通人は、金に糸目をつけずに、世界中から珍種、新種の植物を買い求めて日本の風土に十分に訓化して育て上げて、素晴しい栽培植物を作り出した。
そんなきめ細かい植物の移入に対する心配りも必要であろうと思う。
ところで話は変わるが、今私達を取り巻いている植物の殆どは、本来自然の世界には存在しなかった、人間が創り出した栽培植物だと言う。
路傍に咲く雑草の花も、自然の営みの中で適者生存により出来上がった雑種であって、その中で役に立つ雑草を探し出して人間にとって好都合なモノを創りあげたと言うのである。
自然は、人間の創り出した栽培植物に合う様にエコシステムを同化させてくれているが、いつか、どこかで、そのエコシステムを維持できなくなる時が来るのではなかろうか。
鳥インフルエンザやエイズなどもその一環、それにもっと恐ろしいのは遺伝子組み換えによるドラキュラの出現、と言うのは思い過ごしであろうか。