熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

吉例顔見世大歌舞伎・・・親子共演・天王寺屋の「鞍馬山誉鷹」と高麗屋の「連獅子」

2005年11月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の一つの呼び物は、やはり、天王寺屋中村富十郎の長男中村大の鷹之助襲名披露公演の「鞍馬山誉鷹」であろうか。
   名門の子息の改名披露には、子役が活躍する古典狂言か、披露のための新作を作るかどちらかのようであるが、今回は、今井豊茂が書き下ろした新作で公演された。
   
   牛若丸時代に鞍馬山で武芸修行をした義経の故事に題材を得て作られた作品。幕が開くと、全山錦に萌える紅葉の鞍馬寺の仁王門の前の豪華絢爛たる舞台が観客を圧倒する。
   白鷹が飛来し、それを、鷹匠諏訪兵衛(富十郎)、平忠度(仁左衛門)、吉岡喜三太(梅玉)が、捕まえようと追う。
   そこへ、牛若(鷹之助)が現れ、忠度が捕らえようとするが、何なく退ける。
   続いて、連忍阿闍梨(吉右衛門)と常盤御前(雀右衛門)が現れ、連忍が、白鷹の出現は源氏の大将が鞍馬に現れた証拠、牛若丸を見逃して成長の暁に戦場でまみえるべしと忠度を諭す。
   喜三太は、鷹の羽を牛若の戦場での矢羽にすることを進言し、兵衛は、常盤から預かった白鷹を大切に育てることを約する。
   
   雀右衛門に促がされて、鷹之助を真ん中に、全員舞台の正面に進み出て、上手に雀右衛門、梅玉、吉右衛門、下手に、富十郎、仁左衛門が並び舞台に正座して口上が始まる。
   先月、小春役で体調を崩して休演していた雀右衛門が、元気で先導役を勤めたが、何時も、途中で口上を忘れて立ち往生するのだが、今回は至ってすらすら、本復である。
   大仰な口上口調の雀右衛門に代わって、梅玉は、至って砕けた普通の語り口、これにつられて全員口調が柔らくなった、当たり前であろう、6歳の鷹之助の披露口上なのである。
   梅玉は、若鷹のように健やかにと、吉右衛門は、知らないうちに大きくなって4歳にと年を間違え、仁左衛門は、同じ様な年から天王寺屋のお兄さんにお世話になって、と夫々口上を述べ、富十郎は至って慎重な披露口上、鷹之助は、中村鷹之助で御座います、宜しくお願いしますとしっかり口上を述べた。

   鷹之助の立ち回りを見せる舞台であったが、結構サマになっており、大器の片鱗をうかがわせている。
   
   この時、丁度、聖路加病院の日野原先生と富十郎の対談を読んでいたので、富十郎が90歳になった時に丁度鷹之助が20歳になり、初代富十郎の生誕300年祭なので、その時まで長生きして、大に富十郎を継がせたいと言っているのを思い出した。
   大丈夫、とにかく、70歳で長男をもうけた精力絶倫とも言うべき富十郎なのだから。いや、まだ、その後、聖路加で長女愛子ちゃんが生まれたのだ。
   拘る訳ではないが、マーロン・ブランドが、71歳で、アンソニー・クイーンが81歳で、とこと細かく言う富十郎も富十郎だが、「男性が70台で子供をもうけることは、もちろん生理的に可能ですよ、その機会が少ないだけで。」と言う日野原先生の仰り様も微笑ましい。
   とにかく、お二人とも桁外れにお元気であることには間違いない。幸多かれである。

   幸四郎と染五郎の連獅子は、実に華麗な素晴しい舞台であった。
   最初に染五郎を観たのは、随分以前で、ロンドンで歌舞伎ハムレットで、ハムレットとオフェリアを演じた時だが、あれからの進境は著しい。
   近松モノを上手く演じていたし、それに、今回観た映画の蝉しぐれ等素晴しいと思った。
   幸四郎については、ミュージカルやシェイクスピアモノ等演劇も含めて、一番良く観ている歌舞伎役者だと思うが、とにかく、何時も楽しませてもらっている。
   連獅子の最後、勇ましく毛をふり、獅子の狂いをみせる親子の獅子の舞であるが、体力の差か、幸四郎は少し手前で止め、染五郎は激しく勇壮に舞い続けていた。勘三郎は、父子のタイミングがピッタリ合う事を親子のDNAだと誇っていたが、どっちが良いのか、何れにしろ、実に清清しい美しい舞台であった。
   幸四郎・染五郎父子で、モーツアルトや仲蔵を共演して、息の合った演技で芸域を拡大しており、ジャンルを越えたパーフォーマンス・アートを追求している等、素晴しい活躍ぶりだと思う。
コメント
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