熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・中席・歌丸の圓朝「真景累ヶ淵」

2013年08月15日 | 落語・講談等演芸
   お盆の最中、東京で私用があったので、出かけたのだが、午後が空いていたので、久しぶりに、国立演芸場に出かけて、落語を聞いた。
   トリの歌丸は、三遊亭圓朝の「真景累ヶ淵/湯灌場から聖天山まで」第六話を語った。
   明日から、「お熊の懺悔」最終話だが、11日から20日までの中席のチケットは、連日、満員御礼でソールドアウトなので、聞けない。
   先日、国立劇場に電話を架けて、チケットが残っていたのは、このお盆の15日だけだったので、幸いに、今日だけ聞けたと言う訳である。

   今日の「湯灌場から聖天山まで」の話は、概略次の通り。
   名主の惣右衛門の愛人のお賤が、邪魔なので、相変わらず関係が続いている新吉を誘って、惣右衛門を扼殺してしまう。
   湯灌を依頼された新吉だが、やり方を知らないので、困っていると、兄貴分の甚蔵が助けてくれたのだが、惣右衛門の死体の首に2本紫色の筋が残っているのに気付いて、追求された新吉が、お賤と二人で扼殺したことを白状する。
   これを知った甚蔵は、博打に負けてすっからかんになったので、これをネタにお賤に金の無心をする。
   困ったお賤に唆されて、新吉は、惣右衛門からお賤が貰った200両を聖天山に埋めたと偽り、甚蔵と2人で金を掘りに行くのだが、隙を見て甚蔵を崖から突き落とす。
   谷底に落ちて死んだ筈の手負いの甚蔵が、お賤の家に乗り込んで来て、新吉に襲いかかるのだが、すんでのところで、銃声が響いて甚蔵が倒れる。
   さあ、誰が殺したのか、と言って、歌丸の話は終わるのだが、  
   お賤が鉄砲で射殺してしまうと言うことのようである。

   落語の録音や録画が、結構、YouTubeに出ていて、同じ部分だが、林家正蔵(八代目)の語りで『真景塁ヶ淵』 聖天山突き落とし」が聞けるのだが、語り口や話術に大分違いがあって面白い。
   正藏の方は、やはり、噺家の語りと言った風で、多少砕けてリラックスした感じだが、歌丸の方は、非常に正統派的な丁寧な語り口で、楷書の話と言った感じで分かり易い。
   歌丸の落語は、何度か聞いているのだが、圓朝噺ばかりなので、オチのある面白い噺は聞いたことがない。
 
   面白かったのは、甚蔵が悪い奴だと言って、どんなに悪い奴かと言って円楽の名前を上げていた。
   落語では、枕に、結構、同僚や師匠の逸話や私生活などを茶化したり暴露したりして、客を笑わせるケースが多いのだが、聞いていて非常に面白い。

   この日、中入り後の最初に語った三遊亭遊雀が、枕に、歌丸と山口へ行って、お坊さんたち1500人を前にして落語を語った時の話をした。
   終演後に、空港へのタクシーに乗った歌丸の車に向かって、見送りのお坊さんたちが整列して合掌したので、それを見て悪乗りした運転手がブオーと警笛を鳴らした、歌丸の生前葬を見たのは自分だけだと語って、客を笑わせていた。

   この遊雀の話は、「堪忍袋」。
   ところが、インターネットに出て来る落語「堪忍袋」の話やYouTubeで噺家が語っている話のバージョンが違っていて、全く内容が違う。
   一般的な「堪忍袋」は、
   長屋に住む大工の熊五郎夫婦は「出てけッ、蹴殺すぞ」とけんかが絶えず修羅場の連続。出入りの旦那が、昔、唐土のある人が、腹が立つと家の大瓶にみんなぶちまけて蓋をすると、人前ではいつも笑い顔しか見せなくなったと話したので、瓶の代わりに、
おかみさんが袋を一つ縫って、それを堪忍袋とし、お互いに不満を袋にどなり込んで、ひもをしっかりしめておき、夫婦円満を図れたと言う話。

    しかし、遊雀の話は、同じく派手な夫婦喧嘩なのだが、「梅干しに飽きたから、沢庵にしてくれ」と言う喧嘩なのだが、当然至極ながらも、その喧嘩に至った両人の言い分が、非常にユニークで面白い。
   他愛無いことで火がつく庶民の喧嘩ながら、大の男が、小道具の手拭いを口に当てて身をもがきながら、馴れ初めにまで遡って罵倒し合う激しさバカバカしさが、ほろりと来る。
   この遊雀の「堪忍袋」は、googleで検索すれば、YouTubeで、有馬温泉での録画が出て来るので、殆ど同じなので、聞いて頂けばよく分かるのだが、非常に、メリハリの利いた愉快な語り口が秀逸で、関西人の客の筈だが、江戸落語を聞いて、テンポの良さと心地よいリズム感に笑い声を連発している。

   開演時間に遅れて行ったので、始めの方は聞けなかったが、桂小南治、雷門助六の落語も面白かった。
   私も、まだ、江戸落語は、初歩だと思っていたが、最近では、同じ、噺を聞くことが多くなってきた。
   関西の漫才の印象が強すぎるのか、漫談、漫才、音曲などもあったが、残念ながら、いまだに、すんなりと楽しめない。


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