熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・組踊「二童敵討」:能「放下僧」

2019年12月10日 | 能・狂言
   組踊上演300周年記念実行委員会共催事業◎組踊上演300周年記念 能と組踊 の2日目は、
   組踊 二童敵討 (にどうてきうち) 眞境名 正憲
   能  放下僧(ほうかぞう)  観世 清和(観世流)

   この「二童敵討」は、今年3月に、国立劇場で、天皇陛下御在位30年記念の「琉球芸能公演「組踊と琉球舞踊」」公演で、鑑賞済みである。
   平成天皇皇后両陛下がご来臨になった天覧公演であった。

   組踊「二童敵討」は、
   天下取りの野望に燃える勝連城主の按司[城主]阿麻和利(あまおへ)は、首里王府に偽りを言って、邪魔な中城城主・護佐丸を攻め滅ぼし、同時に、その子ども達も皆殺しして根絶やししたと豪語して、天下取りのため近く首里王府へも攻め入ろうと考えて、野に出て酒宴を広げ遊び惚けて、勝ち戦のための願等家来に準備を命ずる。
ところが、殺したはずの護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟は、落城の際に敵の目を逃れて生きていて、母のもとで成長し、敵を討つ機会を狙っていた。仇討を決心した2人は、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけて、酒盛りをしているところに、踊り子に変装して近づく。美少年の踊りを見て感激した阿麻和利が、踊りを所望し、杯を注がせ、2人の踊りに良い気持ちになって酒をあおって酔いつぶれて、気が大きくなって、褒美に、自らの大団扇と太刀を与え、さらに、自ら着ている羽織なども、次々に与える。2人の兄弟は、丸腰になって醜態を晒した阿麻和利のすきを見逃さずに追い込んで、首尾よく父の敵を討つ。

   能「放下僧」は、
   下野国の牧野小次郎(ツレ/坂井音雅)は父の仇利根信俊(ワキ/森常好)を討とうと、兄(シテ/清和宗家)の加勢を頼んだところ、出家の身故に断られるのだが、中国の故事を引用し説得して、2人は仇討ちを決心する。敵に近づくために、放下になって故郷を後にする。利根信俊は夢見が悪いので、従者(アイ/東次郎)を伴って、瀬戸の三島神社に参詣する途中で 浮雲・流水と名乗る2人の放下に出逢い、2人は団扇の謂れや弓矢のことを面白く語り、禅問答を交わしたりして取り入る。2人は曲舞や鞨鼓、小歌などさまざまな芸を見せて相手を油断させ、その隙をついて敵討ちを果たす。

   両作品とも、父の仇討のために、兄弟が、踊り子や放下になって、芸で仇に近づいて、喜ばせて、その油断の隙に仇を打つと言う筋書きは同じである。
   組踊「二童敵討」の方は、踊り子なので、琉球舞踊を楽しめるのと違って、能「放下僧」の方は、放下なので、禅問答を交わすなど、多少知的な味がする。
   興味深いのは、ラストの仇討のシーンで、組踊の場合には、阿麻和利のトドメを刺すシーンは、舞台上では表現せずに、橋掛かりを揚幕に追い込んで、その後、再び、兄弟が登場して成功を述べ「踊って戻ろう」と舞台を後にして終わる。
   一方、能「放下僧」の方は、利根信俊が、ワキ座に、傘を置いて退場して、その後、小次郎兄弟は、傘を仇に見立てて成敗し、本懐を遂げる。
   いずれにしろ、仇討の決定的シーンは、リアルに表現せずに、象徴的に演じるのだが、その差が面白い。

   組踊の楽器は、三線、琴、胡弓、笛、太鼓で、リズムを刻むのは太鼓だけで、他の楽器はメロディを奏するので、音楽性が非常に高くなって、三線の演者が歌を歌う「歌・三線」であるので、日本の古典芸能と比べて、はるかに、オペラに近いような感じがしている。
   それに、随所に踊りが組み込まれている感じなので、たとえ仇討ものであっても、非常に華やかなのである。
   それに、面白いのは、衣装が非常にカラフルで、動きが派手な分、歌舞伎のように、見得を切って、見せ場を現出する。
   この「二童敵討」でも、阿麻和利が登場し、名乗りを唱えた後の「七目付」の豪快に見得を切ることにより、威厳を示していて、絵になっている。

   一方、能「放下僧」は、見せると言うよりも、精神性が高い舞台で、清和宗家は、この舞台では、声音を非常に低音に保って重々しく重厚に謡い、禅問答や曲舞や鞨鼓なども、剛直で骨太の舞で魅了した。

   能狂言が、文楽や歌舞伎になり、浄瑠璃が、文楽や歌舞伎になり、圓朝の落語が、歌舞伎や芝居になる、
   能に、沖縄の歴史や文化、沖縄気質のエッセンスを組み込んで、組踊となって、素晴らしい芸能として飛翔すると言うのは、楽しいことである。
   組踊は、優雅で美しくて、感動的なパーフォーマンス・アーツなのだが、どこか、もの悲しく哀調を帯びたサウンドと独特な抑揚の口調に、琉球と言うか沖縄のイメージが濃厚に体現されていて、無性に懐かしささえ感じて、鑑賞している。
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