熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METライブビューイング・・・「サムソンとデリラ」

2018年11月27日 | クラシック音楽・オペラ
   カミーユ・サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」を観るのは、久しぶりである。
   と言っても、1992年6月20日だから、もう、随分前の話で、それも、ロンドンに居た頃で、ロイヤル・オペラの舞台で、サムソンはプラシド・ドミンゴ、デリラはオルガ・ボロディーナ、指揮はボリショイのマルク・エルムレルと言う凄い舞台であった。
   その直後、ロンドン郊外のケンウッド公園の野外シアターで、ROHのコンサート方式のこの同じ公演を聴いたが、サムソンがウラジミール・ポポフに代わっていて、印象が随分違ったのを覚えている。

   さて、今回のMETライブビューイングの「サムソンとデリラ」は、サムソンが、現在絶好調で最高のテノールの一人フランス人のロベルト・アラーニャで、デリラは、実に魅力的な美貌のメゾソプラノのプリマでラトヴィア人のエリーナ・ガランチャ、
   METライブビューイングのビゼー「カルメン」の二人の舞台を観て、圧倒されたのだが、今回のこの舞台も、正に、火花の炸裂する壮大なドラマを展開していて、感動的であった。
   ガランチャは、凄い歌手であると同時にシェイクスピア役者のようなプロ級の役者でもあり、良く物語る目の表情の豊かさは抜群で、それに、コケティッシュな魅力を醸し出す蠱惑的なムードを漂わせた凄い歌手であり、ドン・ホセやサムソンのアラーニャを手玉に取って篭絡させるのは当然だと思わせるところが面白い。
   随分前に、ロイヤル・オペラで、アグネス・バルツァのカルメンが、雌ヒョウのような精悍な出で立ちで突如として舞台に踊り出して、ホセ・カレーラスのドン・ホセを誘惑して篭絡させる凄いオペラを観たが、その時のバルツァ登場の衝撃に似たショックを覚えた。

   さて、そのアラーニャだが、下世話ながら、アンナ・モッフォのような才色兼備の美女ソプラノと言われていたアンジェラ・ゲオルギューと結婚した果報者で、オペラの舞台とは言え、そう簡単に誘惑されても靡く筈がないと冗談ながらに思っていたのだが、このMETライブビューイングで、ポーランド出身のソプラノ歌手アレクサンドラ・クルザクが奥方だと紹介されて、ゲオルギューと離婚していることを知って一寸びっくりした。
   尤も、余談ながら、ロンドンのパーティで、お出迎えして握手までして頂き、2~3回身近にお見受けしたあの絶世の美女ダイアナ妃を、袖にする尊いお方もおられるのだから・・・と変なことを考えてしまった。

   このオペラは、次のようなストーリーである。
   旧約聖書の時代のイスラエルのガザで、先住民のペリシテ人に支配され囚われの身となっていたヘブライ人の英雄で怪力の持ち主サムソンは、人々を鼓舞して立ち上がらせ、襲ってきたガザの太守を殺す。怒りに燃えたダゴンの神殿の大司祭が、ペリシテ人の美女デリラに復讐を唆し、復讐のみに燃え立ったデリラは、サムソンを篭絡し破滅させようと手練手管の限りを尽くしてサムソンを誘惑。誘惑に負けたサムソンは、怪力の秘密が彼の長い髪にあると白状したので、その髪を切り取られて神通力を失う。デリラに裏切られ、怪力を失ったサムソンは、ペリシテ人に捕らえられ、目を潰されてさらし者にされる。ダゴンの神殿で、ペリシテ人たちが、勝利の宴に酔いしれているところへ、引き出されたサムソンだが、神に許しを求めて祈ると、奇跡が起きて怪力が蘇り、神殿の巨大な柱を揺すると、柱は真っ二つに裂け、神殿は崩壊して、ペリシテ人は、サムソンもろとも神殿の下敷きとなって息絶える。
   サムソンが髪を切られる瞬間を、ルーベンスが描いた劇的なシーンが、下記の絵である。
   

   デリラの、第一幕第六場の隠れ家に誘い込んで必死に耐えるサムソンを媚態の限りを尽くして迫って歌うアリア「春きたりなば」、
   第二幕冒頭のサムソンを待ちながら、決死の覚悟で篭絡させようと本心を独白するモノローグ「恋よ、弱気われに力を与えよ」、
   神に背いて恋に落ちたサムソンに、さらに追い打ちをかけて怪力の秘密を聞き出そうと歌うアリア「君が御心にわが心ひらく」、
   その前の大司祭と二重唱の凄さなど、ズボン歌手のメゾソプラノとしては、異例とも言うべき素晴らしいアリアの連続で、ガランチャの魅力満開のオペラである。
   ところが、終幕で、哀れな姿でダゴンの神殿に引き出されたサムソンを揶揄して勝利に歓喜するペリシテ人の大合唱の中で、ガランチャのデリラ一人が、悲しそうな引きつった表情をしていたのを見て、ガランチャ独自の芸の表現か、デリラもサムソンに恋をしてしまった、ミイラ取りがミイラになったのではないかと思ったのは、私だけでもなさそうな気がしている。

   サン=サーンスは、この題材に興味を持って、最初は、オラトリオにする心算であったのだが、遠縁のフェルディナンド・ラメールの示唆で、オペラとして、まず、最初に、第一楽章の冒頭と第二楽章全体のスケッチを描いたと言う。
   初演が1870年で、フランスではなく、ドイツのワイマールなので不思議に思ったのだが、リストが公演を約束していたのを実現したまでで、フランでの初演は、7年後のルーアンだと言うのが興味深い。

   魅惑的で美しいプッチーニやヴェルディのイタリアオペラ、重厚で果てることなく上り詰めて行くようなワーグナーの楽劇などと違って、オリエンタリズムの雰囲気を醸し出してエキゾチックな、一寸、粋で洗練されたフランスの素晴らしいオペラ、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」の魅力は格別であった。
   
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