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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

蜷川幸雄:平幹二朗「リア王」

2008年02月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   1999年に、彩の国さいたま芸術劇場を皮切りに、蜷川幸雄が、RSCの依頼によって、道化役の真田広之以外総て英国人出演者と言う「リア王」を演出して上演して、英国でも大変な話題になったが、今度は、オール日本キャストで、改めて同じ劇場で上演された。
   前回のRSCリア王については、NHKでも放映していたが、最初は、保守的な、それも、シェイクスピアの本国であるイギリスでの能舞台の要素を濃厚に取り入れたニナガワ・リア王に対する拒絶反応は強烈であったし、それに、ミスキャストや色々な反省もあったようであった。
   私自身が観たリア王は、RSCの他の演出や日本にも来た英国女優がリア王を演じた舞台など総て英国モノだが、それはそれとして、やはり日本人であるから、蜷川の日本イメージを取り入れたシェイクスピアに何の抵抗も感じなかった。
   後になって、蜷川は反省も込めて、自分の思いを「日本の俳優を使って「リア王」を同じ舞台でやってみたい。日本人でつくるとこうなりますよ、と将来、イギリスに持って行ってみたい。それで僕の「リア王」は完結する。」と、高橋豊の本「蜷川幸雄伝説」で語っている。
   今回、正に、蜷川の最後の賭けとも言うべき日本人俳優による「リア王」が上演されたのであるが、私は、両方とも観ていて、両方とも同じ様に感激して鑑賞させてもらった。

   蜷川の仏壇の舞台を使った「マクベス」も、能登の能舞台を想定した舞台の「テンペスト」も、ロンドンのロイヤル・シアターとバービカン劇場で、イギリス人の観客の中で観て、イギリス人の好意的な賞賛を経験していた。
   しかし、これらは、やはり、日本人役者が日本語で演じたシェイクスピアと言う特殊要因があったたためにイギリス人の対応がフェアーであったのであって、RSC版リア王は、正にプロ中のプロのシェイクスピア俳優であるRSCを主体とした英国人俳優を起用してシェイクスピアそのものの戯曲「リア王」を演じさせたのであるから、違和感、異質感を惹起するのは当然であったのかも知れない。
   もっとも、それ以前にマイケル・シーンなどRSCの役者やノルウエーの役者を起用してイプセンの「ペールギュント」をリリリハンメルなどで演じて、東京でも観ているので最初の外人版芝居でもなかった。

   さて、今回のリア王の舞台だが、蜷川が、前回のリア王役のサー・ナイジェル・ホーソーンが弱いイメージでミスキャストと言うか幸四郎の方が良かったかも知れないと言っていたくらいだから、今回のリアを演じた平幹二朗は、正に、蜷川のイメージどおりの強い老いたリア王で、非常にパンチの利いた説得力のあるリア王像を現出していた。
   特に、嵐の中を彷徨うシーンなど、狂気と化したリア王には、大宇宙を相手に闘争を挑むような覇気が必要で、そうでなければ、折角、蜷川が、天空から石の塊を降らせて天変地異の凄まじさを表現しようとした演出が生きて来ないし、それに、殺害されたコーデリアを両手にしっかりと抱き上げて死地の界を登場するラストシーンの迫力などが出て来ないのである。
   そのような蜷川の意図を、平は適格に把握して、非常に骨太の堂々としたリア王を演じていて爽快でもあった。
   そして、ナイジェル・ホーソーンに不満だったと言うくぐもって突き抜けてこないと言う声についても、平は、極めて明確に語り、それに、何よりも魂を込めてリア王に生り切った迫真の演技が素晴らしかった。

   それを、支えたのが極めて有能な実力派の助演陣だが、私は、コーデリアを演じた内山理名に注目した。
   若くてキャリア不足は否めなくて、どこか、幼い演技が気になったが、後半の戦場でのリア王との再会の時の、あの何とも言えない幸せ一杯の表情や、リア王に抱かれて出てくる最後の表情の神々しさなど、これほど、こんなにも初々しく鮮烈なコーデリアを見たこともない程感動した。
   蜷川と平に対する全幅の信頼あってこそと思うが、蜷川のシェイクスピア・ヒロインの選択に何時も感心している。

   若い俳優の活躍は注目すべきで、先ほど蜷川「オセロー」で、ニヒルで個性的なイアゴーを演じた高橋洋が、今回は、善人で正義感に燃えるエドガーを演じた。
   軟弱な貴族の長男から乞食へ、そして、道化に入れ替わって狂気のリアと裏切られて盲目となった父親グロスター伯爵を相手にし、最後に、正義の使者として登場する重要な役だが、「間違いの喜劇」のドローミオから注目して見ているが実に器用な素晴らしい役者である。
   このリア王で、唯一、個性的で徹底的な悪役で、立身出世の為には、親兄弟は勿論、主君まで裏切っても平気の平左のエドモンド役(嫡子エドガーの妾腹の弟)を、池内博之が颯爽と格好良く演じていて爽快だが、難を言えば、もっともっと灰汁の強い強烈などぎつさを出すべきだと思った。二人の熟年王妃を天秤にかけるスマートさは良いがおとなし過ぎる。

   リア王の意地の悪い二人の姉娘、絶えずつんとして天を向いていて適度の色気を発散する傲慢なゴネリルの銀粉蝶も、品のある冷たさと女の揺れ動く魅力を披露するリーガンのとよた真帆も、正に適役で、リア王との対決が面白い。

   この舞台で、脇をしっかり固めていたのは、ベテランの二人の重鎮、グロスター伯爵の吉田鋼太郎と、ケント伯爵の瑳川哲朗であろう。
   グロスターには、二人の兄弟を持ちながら、妾腹のエドモンドに裏切られるリア王と同じバカな父親役と言う二重悲劇の主人公と言う役回りだが、日本有数のシェイクスピア役者としての吉田は流石で重厚なグロスターを演じきった。
   最初から最後まで忠誠を貫き通したケント伯は、恐らく日本人には最も理解し易い重要な役だが、重臣としてのケント、追放されてからの一兵卒としてケント、夫々味のある瑳川の演技は貫禄であろうか。
   最も賢くて(?)重要なリア王のカウンターパートである道化だが、山崎一が、コミカルに、しかし、非常にシアリアスに、陰に日向にリア王にまとわりつきながら強弱をつけて演じていて、真田広之の道化とはニュアンスが違った道化像を出していて面白かった。
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