熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ガラスの飾筥ドリーム・ボックス・・・藤田喬平展

2007年09月28日 | 展覧会・展示会
   金箔を鏤めた蒔絵の飾箱と紛うばかりの素晴らしいガラス製の飾筥(かざりばこ)「琳派」など目を見張らせるようなガラスの芸術作品が、高島屋日本橋店の展示会場一杯に輝いている。
   この中に何を入れるのかと外国の鑑賞者に聞かれて、「あなたの夢を入れてください。」と藤田さんは答えたと語っている。
   それから、花鳥風月など日本の素晴らしい自然を題材にして作出された藤田さんの美しい色彩に彩られた飾筥はドリーム・ボックスと呼ばれる様になった。

   藤田さんが、初めて、自分自身のガラス芸術に自信を持ったのは、この口絵写真の「虹彩」だと言う。43歳の時の作品である。
   その後、流動ガラスと名づけられた大型の、微妙な感触の微かに濁りを帯びた乳白色の複雑な造形に、青と赤、それに、小さな金箔が所々微妙に溶け込んだ妖しい輝きを発する作品である。
   動いていたガラスが、瞬間に動きを止めて最高の姿で氷結したのが、この作品なのであろうが、硬くて冷たいガラスに息吹を吹き込んで芸術の域に引き上げた藤田さんの流動ガラスは、鑑賞者の目の中では、まだ、必死になって流動しているように見える。

   最初に、ガラス工芸を目指すきっかけになったのは飾箱だったようだが、15年以上も大変な苦労と試行錯誤を繰り返しながら、素晴らしい完成品「菖蒲」を発表したのは、53歳の時、1973年だと言う。素晴らしい飾筥が沢山展示されていたが、その中には、この菖蒲はなかった。
   場内の映像で、この飾筥の製作の様子が放映されていたが、
   デザインされて床の上に敷き詰められた金箔などを、水飴の様な吹き棒の先のガラスの塊を回しながら付着させ、それを、飾筥の鋳型に差し込んで、吹き棒を吹いて膨らませて形を作る。
   冷めたら型枠からはずして、精巧なのこぎりで2~3段に切り分けて重箱のような形にする。

   地色のガラスは、青であったり赤であったり黒であったりモチーフによって違うようだが、藤田さんのイメージにあったのは、江戸時代の琳派の豪華な装飾様式であった筈で、とにかく、表面の飾の繊細優美な絵模様と色彩は、息をのむ様な美しさである。
   三重になった重箱のような「紅白梅」2003年作などは、尾形光琳の「紅白梅屏風」をイメージしたようだが、黒くくすんだ色ガラスの地に豪華絢爛と鏤められた金箔の上に、白やピンク、それに、青い小さな模様が瑪瑙を切って貼り付けたようなくすんだ輝きを放っており、実に美しい。

   世界中の人々を、「フジタのガラス」として驚嘆させたが、その後、1978年(57歳)にベネチアのムラーノ島に渡った。ベネチアン・グラスの巨匠や職人達、そして、文化と芸術の華咲くイタリアとの遭遇が、益々、藤田さんの芸術的な発想と芸術を豊かにしたのであろう。
   色ガラスで装飾されたガラス棒を繋ぎ合わせて作出されたカンナ様式のベニス花瓶の繊細優美な美しさは、日本の美意識とイタリアの美との融合がなさしめた技で、この技法が、茶道具や食器などの小さな作品にも応用されて珠玉のような輝きを放っている。

   他にも、イチゴ、リンゴ、かき、ブドウ、と言った果物の造形、バラやシクラメンの置物、装飾品、アブストラクトなオブジェなど面白い作品が並べられているが、まず最初に、入り口で迎えてくれる、地中海の太陽をイメージした赤い大きな球体にタコの鉢巻のような黒い帯をまわしてアレンジされた造形のユニークさとユーモアが素晴らしい。
   
   ところで、ベニスのムラーノ島での話だが、もう、20年ほど前に、私も観光客としてベネチアン・グラスの工房を訪ねて、ガラス製品作りを見学したことがある。
   名にしおうベネチアン・グラスの現場を興味深く見学したのだが、当然のこととして厖大なガラス作品をディスプレィした併設のみやげ物店へ案内された。
   私は興味なかったが、日本から来ていた友人はシャンデリアや花瓶などを買っていたが、案内してくれていた店主(?)が、しきりに写真を撮っている私のニコンの一眼レフを気にしていて譲れと言う。
   当時、このカメラしか持って来ていなかったし、まだ、旅路が長いのでカメラがないと困るので、イエスと言えなくて逡巡していると、痺れを切らした店主が、この展示中の品物ならどれでも良いから欲しいものをカメラと交換に持って行けと言う。
   高価な作品も沢山あり、交換条件としては申し分がなかったが、豪華なシャンデリアや花瓶など貰っても、赴任を終えて日本に帰国しても3LDKの社宅ではどうすることも出来ないので、結局、カメラは諦めてもらって早々にムラーノを発った。
   あのキャサリン・ヘップバーンとロッサノ・ブラッツィのなんとも切ない「旅情 Summertime」の舞台ベニスでの思い出の一コマである。
   わが家には、その後、別な旅の途中にベニスで買った小さなオーケストラの楽団員や音楽家たちのガラス人形が書棚に並んでいる。
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