熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立文楽劇場・・・二代目吉田玉男襲名披露公演「天網島時雨炬燵」etc.

2015年04月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   吉田玉男襲名披露狂言「一谷嫩軍記」と口上のある第一部は、満員御礼もあって、大変な人気だが、同じ玉男が登場する「天網島時雨炬燵」の方の第二部は、空席が非常に多くてさびしい感じである。
   人間国宝の文雀が休演で、和生が代役を務めたが、「絵本太閤記」や、「伊達娘恋緋鹿子」など人気狂言が上演されているにも拘わらずで、東京と比べて人口が少ないこともあろうが、何となく、文楽の本拠地である大阪での文楽人気の陰りを見た思いがして寂しい。
   

  「天網島時雨炬燵」は、2月の東京での公演での記事を書いたので、蛇足は避けるが、東京では、小春を簑助が遣っていたのが、大坂では、清十郎に代わっていて、かなり、印象が違った。
   「治兵衛は、色気や品が必要な役、この治兵衛にしろ、「冥途の飛脚」の忠兵衛にしろ、上方の二枚目には頼りない男が多く、師匠も「情けない奴っちゃんぁ」と言っていたが、そこが、世話物のリアルな面白さで、人間味がある。」と、プログラムで語っていて、色気があった師匠の遣い方を見習いたいと言う。

   初代玉男の舞台は、結構、沢山見ているのだが、このブログは、2005年3月からなので、玉男師匠の印象記を書いているのは、最晩年の「人間国宝・玉男と簑助の「冥土の飛脚」」「人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露」の2編だけである。
   記憶にあるのは、俊寛や内蔵助など限られており、最初に観たのが曽根崎心中の徳兵衛であるから、何故か、和事の世界の優男の方の印象が強いので、二代目玉男の近松物をもっと見たいと思っている。

   非常に興味深いのだが、文化デジタルライブラリーを見ると、1980年の舞台では、治兵衛が玉男、おさんが文雀なのだが、1985年では、それが入れ替わり、1989年と1994年の舞台では、治兵衛が簑助、おさんが玉男となっていて、この文楽では、玉男は、女形のおさんを遣っていたのである。
   2006年に玉男が逝去しているので、この年の舞台は、治兵衛を勘十郎、おさんを簑助、小春を和生、孫右衛門を玉女が遣っていて、これは見ており、このブログに書いている。
   ところが、近松のオリジナルに近い「心中天網島」の方では、栄三が治兵衛を遣っている時には、玉男はおさんだが、その他では、文雀がおさんで、玉男は治兵衛を遣っているのだが、玉男の解釈に、浄瑠璃として改作版と違いがあるのか、使い分けが興味深いと思っている。

   今回の「紙屋内の段」では、主役は、おさんなので、玉男の遣う治兵衛は、最初は、金策に困って小春から手を引いたと噂されるのが悔しいと炬燵に潜り込んで泣いている不甲斐ない男から始まって、殆ど格好良い動きはない。
   小春が、おさんの治兵衛を助けてくれと言う手紙に感じ入って、太平衛に靡くふりをして死ぬ覚悟だと分かって、助けるべく必死に金策に励むおはんに頼り切ると言う、更なる、ガシンタレぶりで、恰好がつくのは、殺そうと殴り込んできた太平衛たちを返り討ちにするところだけであろうか。
   玉男の言うような色気や品を示す余地など全くなく、本領発揮は、次の近松門左衛門の浄瑠璃となろう。
   
   「絵本太閤記」は「夕顔棚の段」と「天ヶ崎の段」で、勘十郎が武智光秀、和生が母さつきを遣う。
   この演目は、勘十郎が襲名披露公演で演じた狂言で、母さつきを紋壽、妻操を文雀、嫁初菊を簑助、武智十次郎を玉男が遣うと言う最高の布陣で、浄瑠璃と三味線は、嶋大夫と清介、咲大夫と富助であった。

   この浄瑠璃は、太閤記であるから、当然、善玉は真柴久吉で、小田春永を討った武智光秀は逆賊。
   光秀が、久吉と誤って自らの手で母親を刺し、初陣に出た息子十次郎が戦場で深手を負って帰還し、味方の敗北を伝えて、祖母とともに息絶えると言う壮絶な物語。
   私自身は、勝てば官軍負ければ賊軍なので、それ程、史実のように、秀吉を高く買い光秀を悪玉だとは考えていないので、何時も、すんなりと母さつきの役割を受け入れられなくて、消化不良気味で見ている。

   「伊達娘恋緋鹿子」は、「火の見櫓の段」で、九つの鐘が鳴って閉ざされた木戸を開けさせるために、お七(紋臣)が、火の見櫓に上って半鐘を打ち鳴らす舞台である。
   人形遣いが手を放した人形が、背後で人形遣いが操作しながら、正面を向いた梯子を、滑車に引き上げられて昇って行くシーンが、中々、リアルで良く出来ていて面白い。

   感動的なのは、第一部の「卅三間堂棟由来」
   梛の木と柳の木が互いの枝を伸ばして絡み合う「連理」の姿を見た修験者の蓮華王坊が、男女の交わりにも似て行場の穢れであると二本の枝を切り離す。
   王坊は二つの木の恨みで非業の最期を遂げ、ドクロは楊枝村の柳の木に留まり、柳が揺れる度に、王坊の生まれ変わりである法皇が頭痛の病を起こす。
   そこで、病を取り除く為、柳の木を切り倒して、ドクロを納める三十三間堂(蓮華王院)の棟木にすることになった。
   梛の木が本当の人間・横曽根平太郎に、柳の木が柳の精のまま女房お柳に生まれ変わって夫婦になって五年、みどり丸という子供も生まれ幸せな生活を送っていたのだが、女房お柳は柳の木の精なので、柳が切り倒されてしまえば死んでしまう。
   お柳は自身の秘密を打ち明け、所持していたドクロを夫に渡して姿を消す。
   切り倒された柳は、都へと曳かれて行くのだが、街道筋まで運ばれてくると動かなくなる。
   柳が別れを惜しんでいると悟った平太郎が、みどり丸に綱を引かせ、自ら木やり音頭を唄うと、柳の木は動きだし、みどり丸が木に縋り付く。

   この話は、「芦屋道満大内鑑」の狐葛の葉の物語を彷彿とさせて悲しくも美しい。
   人間と違った種類の存在と人間とが結婚する異類婚姻譚の一種だが、鶴の恩返しなど、動物の方が多いような気がするのだが、これは、木の精である。
   簑助が、女房お柳を遣って、素晴らしく情感豊かな物語を紡ぎ出していて感動的である。文壽が、久しぶりに颯爽とした進ノ蔵人を遣っている。
   勘十郎の息子簑次が、みどり丸を演じていて、進境著しい。
   津駒大夫と寛治の、木遣り音頭が、しみじみとした情感を残して素晴らしい。
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