
第42回納涼能が、宝生能楽堂で開催された。
プログラムは、つぎの通り
能・金剛流「清経」シテ金剛永謹
狂言・和泉流「樋の酒」シテ野村万蔵
小舞・大蔵流「猿聟」大藏彌太郎
仕舞・喜多流「道明寺」香川靖嗣
観世流「班女 舞アト」梅若万三郎
金春流「殺生石」金春憲和
能・宝生流「杜若 沢辺之舞」シテ宝生和英
この企画は、能楽協会東京支部の主催で、五流総出演でそれぞれのトップ能楽師が出演すると言う豪華な舞台で、能「清経」では、金剛永謹宗家、能「杜若」では、宝生和英宗家が、シテを舞う言う素晴らしい公演である。
能「清経」は、昨年9月の国立能楽堂の開場35周年記念公演で、シテ友枝昭世の喜多流の素晴らしい舞台が印象に残っている。
小書「音取」、
松田弘之師が、いつもの笛座から一歩正面に前進して、地謡前に陣取って揚幕方向を向いて端座し、しっとりとした美しい音色を響かせて、清経を誘う。天国からのような美しい笛の音と水を打ったような無サウンドの静寂が、交互に舞台に期待と緊張の高まりを増幅させる中を、揚幕から顔を覗かせた清経が、ゆっくりと橋掛かりを歩み、妻の夢の中に姿を現す。
今回、新鮮な印象は、宇佐の神託(上ノ詠)を、シテではなく、ワキが謡うことで、ここでは、淡津の三郎ではなくて、宇佐の神の声の代行者の位置づけだと言う。
シテが、平家一門の衰運を演じて悲観して入水するまでの心情を穏やかに謡い舞っていたのが、「さて修羅道に・・・」になると一気にテンションが上がって、扇を盾に擬して、太刀を抜いて、烈しい戦いを舞い、「十念乱れぬ」で太刀を投げ捨てる。
妻と遺髪を受け取る受け取らぬで痴話げんかし、平家の行く末に悲観して自決する、ある意味では弱気で軟弱な貴公子の立ち居振る舞いとは、一変した迫力あるシーンが展開されて興味深かった。
この「清経」の入水については、平家物語 巻第八「太宰府落」に描かれているのだが、私が興味を持ったのは、平家物語の最後に、建礼門院が、この清経の入水が、「心うき事の始め」、すなわち、平家滅亡のさきがけだったと嘆いていることで、女々しいと思われる清経の所業が、この平家物語には重要な物語の柱として底流に流れていることを感じたことで、この能「清経」が、「思想としての無常」をテーマにした曲であると言う趣旨も分かるような気がしている。
能「杜若」は、伊勢物語の九段の東下りの前段に、八つ橋の謂れと、かきつばたと言う五文字を句の上に据えた旅の心を詠んだ和歌「から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞ思ふ」の作出逸話がが語られており、この歌は業平の作であるから、当然、主人公は業平なのだが、この能「杜若」は、業平本人は勿論、二条の后高子も登場せず、シテは、植物の杜若の精である。
尤も、後半、物着で、シテは、業平の初冠と二条の后高子の衣を身に着けて優雅に舞うので、両者の化身と言う意味合いもあろう、象徴的な演出ではある。
ところで、この能で興味深いのは、杜若の精が、業平は歌舞の菩薩が人間に姿を変えて現れ、業平が二条の后など多くの女性と交わるのは、業平が陰陽(男女交合)の神でもあり、衆生済度、下化衆生の方便としてこの世にあらわれたのだと、取ってつけたような分からないことを言うのだが、
これは、古今集の注釈書「古今和歌集阿古根伝」の説の脚色だと言う。
仏教でもヒンズー教でも、歓喜仏も神仏であるから、それはそれとして、
その業平が和歌に詠んだ草や木も仏法の恵みを受けるのだと語り、業平が陰陽の神であることを念押しするためにと言って、業平を思いながら優雅な序ノ舞を舞い、夜が白み始めると、「草木国土悉皆成仏」の教え通りに成仏できたことを喜び、夜明けとともに消えて行く。
きれいな杜若を草木の代表として、「草木国土悉皆成仏」を説き、業平を神に祭り上げて、陰陽の世界を語り、業平の女性遍歴は女性を悟りに導く方便であったなどと説く高等芸能は、能の世界の独壇場だと言うことかも知れない。
小書「沢辺之舞」がついていて、シテは、初冠に藤の花と日陰の糸と呼ばれる飾り紐をつけ腰には太刀を履き、序の舞の中で、橋掛かりへ行き辺りを見渡すと言う演出である。
後半のシテの優雅で美しい舞舞台は、流石に、宝生能楽堂のひのき舞台で宝生宗家が舞うのであるから熱が込められていて、流石に美しく優雅で、見せて魅せてくれる。
プログラムは、つぎの通り
能・金剛流「清経」シテ金剛永謹
狂言・和泉流「樋の酒」シテ野村万蔵
小舞・大蔵流「猿聟」大藏彌太郎
仕舞・喜多流「道明寺」香川靖嗣
観世流「班女 舞アト」梅若万三郎
金春流「殺生石」金春憲和
能・宝生流「杜若 沢辺之舞」シテ宝生和英
この企画は、能楽協会東京支部の主催で、五流総出演でそれぞれのトップ能楽師が出演すると言う豪華な舞台で、能「清経」では、金剛永謹宗家、能「杜若」では、宝生和英宗家が、シテを舞う言う素晴らしい公演である。
能「清経」は、昨年9月の国立能楽堂の開場35周年記念公演で、シテ友枝昭世の喜多流の素晴らしい舞台が印象に残っている。
小書「音取」、
松田弘之師が、いつもの笛座から一歩正面に前進して、地謡前に陣取って揚幕方向を向いて端座し、しっとりとした美しい音色を響かせて、清経を誘う。天国からのような美しい笛の音と水を打ったような無サウンドの静寂が、交互に舞台に期待と緊張の高まりを増幅させる中を、揚幕から顔を覗かせた清経が、ゆっくりと橋掛かりを歩み、妻の夢の中に姿を現す。
今回、新鮮な印象は、宇佐の神託(上ノ詠)を、シテではなく、ワキが謡うことで、ここでは、淡津の三郎ではなくて、宇佐の神の声の代行者の位置づけだと言う。
シテが、平家一門の衰運を演じて悲観して入水するまでの心情を穏やかに謡い舞っていたのが、「さて修羅道に・・・」になると一気にテンションが上がって、扇を盾に擬して、太刀を抜いて、烈しい戦いを舞い、「十念乱れぬ」で太刀を投げ捨てる。
妻と遺髪を受け取る受け取らぬで痴話げんかし、平家の行く末に悲観して自決する、ある意味では弱気で軟弱な貴公子の立ち居振る舞いとは、一変した迫力あるシーンが展開されて興味深かった。
この「清経」の入水については、平家物語 巻第八「太宰府落」に描かれているのだが、私が興味を持ったのは、平家物語の最後に、建礼門院が、この清経の入水が、「心うき事の始め」、すなわち、平家滅亡のさきがけだったと嘆いていることで、女々しいと思われる清経の所業が、この平家物語には重要な物語の柱として底流に流れていることを感じたことで、この能「清経」が、「思想としての無常」をテーマにした曲であると言う趣旨も分かるような気がしている。
能「杜若」は、伊勢物語の九段の東下りの前段に、八つ橋の謂れと、かきつばたと言う五文字を句の上に据えた旅の心を詠んだ和歌「から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞ思ふ」の作出逸話がが語られており、この歌は業平の作であるから、当然、主人公は業平なのだが、この能「杜若」は、業平本人は勿論、二条の后高子も登場せず、シテは、植物の杜若の精である。
尤も、後半、物着で、シテは、業平の初冠と二条の后高子の衣を身に着けて優雅に舞うので、両者の化身と言う意味合いもあろう、象徴的な演出ではある。
ところで、この能で興味深いのは、杜若の精が、業平は歌舞の菩薩が人間に姿を変えて現れ、業平が二条の后など多くの女性と交わるのは、業平が陰陽(男女交合)の神でもあり、衆生済度、下化衆生の方便としてこの世にあらわれたのだと、取ってつけたような分からないことを言うのだが、
これは、古今集の注釈書「古今和歌集阿古根伝」の説の脚色だと言う。
仏教でもヒンズー教でも、歓喜仏も神仏であるから、それはそれとして、
その業平が和歌に詠んだ草や木も仏法の恵みを受けるのだと語り、業平が陰陽の神であることを念押しするためにと言って、業平を思いながら優雅な序ノ舞を舞い、夜が白み始めると、「草木国土悉皆成仏」の教え通りに成仏できたことを喜び、夜明けとともに消えて行く。
きれいな杜若を草木の代表として、「草木国土悉皆成仏」を説き、業平を神に祭り上げて、陰陽の世界を語り、業平の女性遍歴は女性を悟りに導く方便であったなどと説く高等芸能は、能の世界の独壇場だと言うことかも知れない。
小書「沢辺之舞」がついていて、シテは、初冠に藤の花と日陰の糸と呼ばれる飾り紐をつけ腰には太刀を履き、序の舞の中で、橋掛かりへ行き辺りを見渡すと言う演出である。
後半のシテの優雅で美しい舞舞台は、流石に、宝生能楽堂のひのき舞台で宝生宗家が舞うのであるから熱が込められていて、流石に美しく優雅で、見せて魅せてくれる。