熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

BBC:経済危機下のレバノン市民の苦境

2021年04月02日 | 政治・経済・社会
   BBCが、電子版で、”「息子を育てられなくなるのが怖い」 経済危機下のレバノン市民”を報じた。

   「レバノンが過去数十年で最悪の経済危機に陥っている。今や人口の半数以上が貧困状態にある。物価が5倍に膨れ上がった一方で、市民の所得は以前と変わらない。アンジェラさんは大勢の市民と同様に、なんとか生活を維持している。息子のミルクを買うために薬局を数十カ所も探し回ることも多いという。」と言うのである。

   この記事を見て、ダロン アセモグル と ジェイムズ A ロビンソン の「自由の命運」を読んでいて、文明国でありながら、レバノンが、いまだに、実質的に、国家なき社会で、有効に統治する国家体制を持たない国であることを知ったので、これでは、救いようのない事態に陥るのではないかと危惧したのである。

   首都ベイルートは、中東における交通の要所に位置し、商業と金融、観光の中心地として著しく発展し、中東のパリと呼ばれるほど華やかで美しい街として発展したはずが、1975年にレバノンで勃発した凄惨な内戦によって見る影もなくなり凋落の一途を辿ったところまでは知っていたが、国家なき社会であると言う信じられないような極端な話は念頭になかった。
   レバノンは、国家の疲弊に加えて、パレスティナ難民のみならず、近年隣国シリアから多くの難民を受け入れており、さらに、先刻壊滅的な爆発事故に見舞われて、それに、コロナとの対決であるから、塗炭の苦境に遭遇しているのであろうことは間違いない。

   先日来、民主主義と専制主義との鬩ぎ合いにつて議論してきたが、その埒外にある実質的に国家なき社会が文明国家として存在していることが不思議である。

   さて、そのレバノンだが、まず、冒頭で、1943年に独立して以来、一度も国勢調査を実施していないと言う。
   1932年に一度国勢調査を実施して、その時の人口構成で、キリスト教徒が51%で、その他のシーア派、スンニ派、ドゥルーズ派よりやや多く、この数字で、1943年に国民協約が締結されて、多数の集団間で権力が配分された。大統領は常にマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒、副議長と副首相はギリシャ正教キリスト教徒、陸軍参謀総長はドゥルーズ派イスラム教徒と決まっていて、議会の議席配分は、キリスト教徒六に対してイスラム教徒五で固定(後に五対五に改変)されて、この協約は、信じられないほど弱い国家を作った。レバノンの権力は国家ではなく、個々の共同体に所属する、これこそ、不在のリヴァイアサンであり、国家なき社会である。と言うのである。
   医療や電力などの公共サービスを提供するのも国家ではなく個々の共同体であり、国家は暴力を抑制しないし、警察を制御することもしない。シーア派のヒズボラは私兵を持ち、ベッカー渓谷のその他の多くの武装勢力も同様である。各共同体は、自前のテレビ局やサッカーチームを持っている。
   このような極端なまでの権力分有の所為で、共同体は互いの行動を逐一監視することが出来るので、他の集団が求めるどんなことに対してでも拒否権を行使して、政府内に酷い膠着状態が生じている。政府は意思決定を下せないので、公共サービスにとっては大問題で、ゴミは市街に山積みで、国会は10年近く予算を議決しておらず、内閣が自ら予算を決めて執行しており、何もしないことが政府の常態である。と言う。

   さて、レバノンは、国家なき社会ではなく、600万の人口を抱える近代国家であり、国連に議席を持ち、各国に大使を派遣している。著者は、レバノン国家が弱いのは、適切な制度設計を知らなかった訳でもなく、そうしなかったからでもなく、国民は議会を信用せず、議会に権限を与えることを望まず、社会運動も好まず、誰が信用できるか分からないので、共同体が、危険な坂道を恐れるがために、国家がわざと弱くなるように作られている。と言うのである。
   国勢調査がないので、誰も宗教毎の共同体の本当の人口を知らないし知りたいとも思っていない。国家が、他の共同体に占有され、掌握される恐れがある以上、社会は、政府や議会が弱体であり国家が判読不能なままでいることを望み、恐れを排除するために、リヴァイアサンを眠ったままにしておく。国家なき社会に共通しているように、あらゆる手段を用いて支配階級の出現を防ぐ。と言うことに徹して、国家を維持しようと言うことである。

   レバノンは、隣国のシリアと同じで、レバシリと称されて、商売に巧妙なユダヤやインパキでさえ舌を巻く世界で最強の商人だと言われており、悪く言うと、非常に巧みな、狡猾な、えげつない商売をする国民だとされていているように、本来は、非常に賢くて有能な民族であるはずである。
   しかし、シリアは、アサドというどうしようもない独裁者が君臨し、逆に、レバノンは無政府状態という、途轍もない悪辣極まりない統治制度で、国民は塗炭の苦しみに喘いでいる。
   このシリアとレバノンの現下の惨状を見ると、何が人間の価値を決めるのか、
   人類の愚かさ儚さを感じて、ハラリが、ホモ・ゼウスになったと言うホモ・サピエンスの未来に、暗雲を感じざるを得ない。
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