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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

13・アムステルダム・コンセルトヘボウの思い出(2)

2021年01月25日 | 欧米クラシック漫歩
   さて、通算4年間ほど、定期コンサートに通い詰めたコンセルトヘボウだが、2年間通ったフィラデルフィア管弦楽団と同じように、お馴染みのオーケストラという感慨があって懐かしい。

   私が最初に聴いたコンセルトヘボウの演奏会は、アムステルダムに来た年にはチケットが取れなかったので、翌年のサマー・コンサートであった。
   どちらかと言えば、カラフルで明るいフィラ管とは違った重厚でどこか暗い感じのサウンドが印象的だったが、一番驚いたのは、演奏が終ると、観客が総立ちになってスタンディング・オベーションすることで、ハイティンク指揮のみならず、他の指揮者の時にもそうなので、オランダの観客の常だと言うことが分った。

   私が、シーズンメンバー・チケットを持って通っていた途中で、ハイティンクが、ロイヤルオペラへ転出してしまったので、イタリア人のリカルド・シャイーが、その後を継いだ。
   当時、カルロ・マリア・ジュリーニも健在であったし、クラウディオ・アバード、リカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリと言ったイタリア人指揮者が人気を博しており、トスカニーニ以来の盛況であった。
   シャイー指揮で、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴いたのだが、特に異質感はなく、美しいサウンドで感動したのを覚えている。
   このオランダは、フィリップスの本拠地でもあり、シャイー指揮コンセルトヘボウでCDが発売されていたが、シャイーに変ってから、サウンドに明るさと輝きが出てきたと言われていたが、演奏の幅と多様性に豊かさが出てきたように感じた。
   尤も、オイゲン・ヨッフム、クラウス・ティーンシュテット、ニコラス・アンノンクルト、ウォルガンク・ザバリッシュなどのドイツ系の指揮者の客演指揮も多くて、やはり、このオーケストラは、ゲルマンで、ベートーヴェン、モーツアルト、ブラームス、シューマン、それに、ワーグナー、マーラー、ブルックナー、シュトラウスと言ったドイツ系のプログラムとなると実に感動的な演奏を聴かせてくれる。
   亡くなる少し前に、ヨッフムが、ブルックナーの交響曲第5番を演奏して感動したり、ザバリッシュのブラームスのピアノ協奏曲と交響曲の演奏会で、フィラデルフィアでの思い出が蘇ってきたり、倉庫に紛れてしまっている当時のプログラムを探し出して見れば、涙が零れるかも知れない。
   やはり、オーケストラも観客も一番熱狂するのは、ハイティンク指揮のコンサートで、私の一番印象に残っているのは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」で、ソプラノのルチヤ・ポップしか覚えていないのだが、欧米で聴いた数少ない「合唱」であった。一連のマーラーが凄かったが、その後、伝統であったオランダ出身の指揮者が育っていない。

   ところで、今でも強烈な印象が残っていて忘れられないのは、1987年の冬に聴いたレナード・バーンスティン客演指揮のシューベルトの交響曲「未完成」とマーラーの交響曲第1番の演奏会であった。
   未完成の最初の出だしを聴いたときに、天国からのサウンドかと思うほど美しく、上手く表現できないが、素晴らしいベルベットのように艶やかで滑らかで、それに長い眠りから目覚めた高級ボルドーワインのような、芳醇なまろやかさをを感じる、今までに聴いたことのない途轍もなく美しいサウンドであった。休憩後のマーラーになると、一転して、どこか土の香りのする荒削りでメリハリの効いた起伏の激しい演奏になった。
   その数日後、再び、バーンスティンのシューベルト交響曲第8番とマーラーの「子供の角笛」を聴く機会を得たのだが、あの素晴らしい天国のサウンドは戻ってこなかった。
   バーンスティンとコンセルトヘボウでマーラーのCDが出ているが、比較的ユダヤ人の多いアムステラルダムで、ブルーノ・ワルターからマーラーを伝授されたバーンスティンが指揮すると特別のマーラーになるのかも知れない。バースティンが振っても、ハイティンクが振っても、コンセルトヘボウのマーラーは素晴らしく歌う。
   バーンスティンは、ニューヨーク・フィルとの公演を含めて何度か聴いているが、最後は、最晩年に、ロンドンで、ロンドン交響楽団を振ったコンサート形式の自作「キャンディード」であった。
   
   コンセルトヘボウの演奏会で何時も感じていたのは、フルサウンドで最高のボリュームでオーケストラが演奏するときでも、決して、違和感なく、何時も、豊かで深みのある温かいサウンドで包み込んでくれることで、特に、渋くてくすんだ燻し銀のようなオーケストラの音色は、私には、格別であった。
   これは、アムステルダムのコンサート・ホールが、世界一素晴らしいからと言うことだけではないことは、後年、ロンドンのアルバート・ホールでのプロムスのコンサートでも感じたので、私の実感であり、それ故に、アムステルダムの音楽ファンは、演奏後に、総立ちのスタンディング・オベーションをするのであろうと思っている。
   
コメント
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